老活260524(日)曇22〜13℃

2125 02

▶︎活動 ‖ 高活・老活・社活・猫活、読書 15分

→ 高活

12:35-音楽、ビジネス学科 体育は欠席、高校側のミスで音楽授業キャンセル、次の科目はビジネス。しかし、講義予定の内容で目新しいものは無い。欠席して帰路ウォーキング​へ移行。

狭山市駅前

□老活

食材仕入れ ¥3000 Over

飯能駅前交差点→入間川沿道→帰宅。

食材加工。我流ながら、少しずつ段取りが良くなってきた。面倒だと思っているうちは工夫も浮かばない。しかし、ゆっくり一呼吸置き、「楽しんでみよう」と気持ちを切り替えるだけで、不思議と作業の流れが見えてくる。

現役時代を振り返ってみても、いくつか並行で仕事を抱えていると時間的なゆとりを失い焦りが先に立つ。すると早く片付けることだけしか考えなくなり、工夫にまで頭が働かない場面が少なくなかった気がする。その悪しき積み重ねが、判断ミスにもつながっていたようだ。効率より“味わう感覚”が創意工夫を生む。仕事は楽しくある必要がある。

Amazonから荷物が届いていたが寸法合わず。返品処理。明日コンビニ持ち込み返送予定。 ‖ 済。

20:00- 夕食タイム&ナイトタイム

南雲吉則医師は、一日一食主義で一時ブームを巻き起こした人物である。最近、改めて彼の動画を見つけ、何本か視聴している。

その中で印象に残ったのは、「夕食を食べたら眠くなるので、そのまま早く寝てしまう」という生活スタイルである。なるほど、そのやり方なら、食後の強い眠気は夜の一回に集約されることになる。

確かに合理的で効率的にも思える。しかし一方で、「食後すぐに休むことになるが、それで良いのだろうか」という素朴な疑問も残る。動画では、食物の分子構造にまで深く関わり理由付けを述べておられるが、運動についての説明はなかったようで気になる。

従来の栄養学や一般的な医療常識とは異なる部分があるため賛否が分かれるのも無理はない。しかし私自身、食後に眠気に襲われることも多く、つい寝てしまい後悔する。そこで、彼の言う空腹の快感も私はよく知っているので彼の独特のメソッドを利用したくなる。ただし、それをすると主治医の治療方針と対抗することになるので医師を変える必要が出てくる。ちょっと面倒でもある。

21:00- The day is drawing to a close.


世界の窓

▶︎米国で増える「上流中間層」 高収入で消費を支配、高額経済に悲鳴 [タイトル出所 日経新聞]

【要約】
米国では「中間層の衰退」が叫ばれてきたが、実際には高所得の「上流中間層」が大幅に増加しているとの分析が注目されている。米シンクタンクによれば、上流中間層は過去の約1割から3割超へ拡大した。高収入層が消費を牽引する一方、住宅・教育・医療などの価格も押し上げられ、一般層には生活負担が増している。見かけ上の繁栄の裏で、社会全体の格差感や分断が深まっているという構図である。

✍️ コメント
米国社会は「貧富の二極化」ではなく、「上流中間層の巨大化」によって価格体系そのものが変質しつつある。高所得層向けに経済が最適化されれば、住宅や教育、外食に至るまで物価全体が押し上げられ、普通の勤労層ほど生活苦に陥る。


📌 数字上は豊かでも、実感として苦しい社会である。日本も対岸の火事ではない。格差は広がっている兆候は現れている。余った資金が株式の上昇を招いてもおり、いつかはバブルが弾ける懸念がある。余って投資している人は失うだけで済む話しだが、余剰資金を超えて投資に回した層は夢を見るどころではなくて家庭の破綻を招くのである。なんのための人生か危うい。

📌 民主主義の安定には「普通に暮らせる層」の維持こそ重要である。

#サルトルの実存主義

サルトルの実存主義と量子論

👉 サルトルを学ぼうの第一回で捉えた内容は、老活における実存主義とは「老いてもなおかつどう生きるか」を問い続ける哲学であると捉えた。

人間は、生まれた時点であらかじめ決められた目的や役割を持っているわけではない――この思想は、サルトルの言葉を象徴的に表している。

もっとも、思想を文章だけで完全に語り尽くすことには限界がある。しかし、人はふとした「切り口」によって、無限の現実と理論の新たな出会いを得ることがある。

改めて述べるまでもなく、人間の進化の果ては社会的動物としてただいま存在している。150人規模の集団が適切だという興味深い論文もあるが、ここでは追わない。問題は、社会的存在ということは、自分たちの行動には周囲の集団の意識が関与することにある。

今回は、その切り口として量子論をぶつけてみたい。

量子の世界では、粒子は波のように重ね合わせの状態を持つ。しかし外部から観測されることで、その重ね合わせは壊れ、観測者からは「粒子」として振る舞う。これが有名な「デコヒーレンス」や二重スリット実験で知られる現象(*1)である。

サルトルの実存主義に照らしてみると、外部環境とは「自分を形作る素材」や「選択が行われる場」ではあっても、人間を完全に決定づける檻ではない。

人は死の直前まで自らを更新し続ける存在である。完全に完成された人間など存在しない。未完成のまま燃え尽きてゆくところに、人間の本質がある。

老活とは、衰えを受け入れながら自らを更新し続ける営みであり、その果てにあの天竺(*2)があるのだ。

[補足]

(*1)量子論部分を厳密に言えば「観測=人間の意識」ではなく、「外部環境との相互作用」によりデコヒーレンスが起きる。

(*2)天竺 元々はインド地方からきた中国語の派生語句である。人間が真理を求めて向かう「象徴的な場所=彼岸~理想郷、曼荼羅」という意味合いで使っている。