埼玉県の観光地で検索し、レンタカーで秩父方面へ車で散策。最初は美の山公園頂上まで車で登る。その展望台に上がって周囲を眺め回す。

そこへ身軽に小走りで中年位の女性が登ってきた。しっきりなしに足を小刻みに動かしている。マラソン大会にでも出るのか?舌を巻くほど、元気がいい。深い緑の背景に橙色のグラジオラスが咲いている。
しばらくして埼玉観光地で調べて 、三峯山へ移動。1時間ほどのドライブだ。
三峯山は日本神話の日本武尊が東国征伐に立ち寄ったと言い伝えらる、

日本武尊の像
荘厳な海抜1000メートルの山頂に建立された古く歴史のある神社である。下山するときに、熊が出たとか聞き、恐ろしくなり足早に下山した。最も、移動は車での話である。
6:00-7:00 モーニングタイム
翌朝編集につき、写真のみアップ











21:30 眠い。ブログは明日へ
▶︎食事
朝食‖ 軽いロカボ食
→ BaceBread合計3個
昼食‖ 天ぷら蕎麦
夕食‖ BaceBread3→これを忘れ食べ過ぎ
+ 肉野菜炒め定食+ドラゴンハイボール
▶︎運動 8822歩数
▶︎血圧 朝(110.66.65)夜(119.57.71)
▶︎【メモ】食べ過ぎ、明日どうなるか….

グラジオラス ‖ 美の山公園にて。初夏の花壇を彩るグラジオラスは、俳句では夏の季語。19世紀はじめ頃からベルギーでガンダベンシス種が育成され、それ以降欧州で品種改良が進みました。現在最も一般的な夏咲きのグラジオラスは、この系統が元となったと言われています。
国内では茨城県、千葉県が球根の生産地として知られています。
渋沢栄一 略歴
1840年3月16日 – 1931年11月11日
天保11年〜昭和6年
明治から昭和初期にかけて活躍した日本の実業家、社会事業家、政治家で、「日本資本主義の父」と称されます。
### 生涯と業績
#### 幼少期と青年期
– **生誕と家族背景**:
渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市に生まれました。農家の長男として育ち、幼少期から勉学に励みました。
– **青年期**:
幼少の頃から商業や漢学を学び、20歳の頃には尊王攘夷運動に参加し、攘夷志士として活動しました。
#### 幕末から明治初期
– **幕府への出仕**:
渋沢栄一は1867年(大政奉還の年)、徳川慶喜に仕えて渡仏し、パリ万国博覧会を見学。フランスでの見聞が後の日本の近代化政策に影響を与えました。
– **明治政府への参加**:
帰国後、明治政府に出仕し、財務・経済政策に関与。官僚として新政府の財政基盤を整えました。
#### 実業界での活動
– **第一国立銀行設立**:
1873年、日本初の銀行である第一国立銀行を設立。これが日本の銀行制度の基礎を築きました。
– **多数の企業設立**:
渋沢は約500社以上の企業設立に関与し、東京ガス、日本郵船、帝国ホテルなど、今日でも存在する多くの企業を創設しました。
– **企業の指導者**:
彼は企業経営の実践者としてだけでなく、多くの企業家の指導者としても活躍し、経済活動の倫理と道徳を重視しました。
#### 社会事業と晩年
– **社会事業への貢献**:
渋沢栄一は社会事業にも積極的に取り組み、教育、福祉、医療など多くの分野で貢献しました。特に社会福祉法人の設立や支援、東京大学や一橋大学の設立に尽力しました。
– **晩年**:
1931年(昭和6年)に91歳で亡くなるまで、多くの公的役職を務め、経済界や社会活動に大きな影響を与え続けました。
### 功績と影響
渋沢栄一の理念と行動は、日本の近代化と資本主義の発展に大きく寄与しました。彼の思想は「論語と算盤」という言葉に象徴されるように、道徳と経済の調和を重視し、現代でも多くの人々に影響を与えています。
2024年には、彼の功績を讃えて新しい一万円札の肖像画に選ばれました。
追記 交友関係について
渋沢栄一は、その多岐にわたる活動を通じて、政治家、実業家、学者、文化人など幅広い交友関係を築きました。以下に、彼の主な交友関係を挙げます。
政治家
- 伊藤博文: 日本の初代内閣総理大臣。渋沢は政府の財政政策に関与し、伊藤博文と協力して日本の近代化を推進しました。
- 大久保利通: 明治維新の指導者の一人で、渋沢とは政府の財政改革で協力しました。
- 井上馨: 外交官としても活躍した井上は、渋沢と共に近代日本の外交や経済政策に取り組みました。
実業家
- 三井家・三菱家: 渋沢は三井家や三菱家の創業者たちとも深い交流を持ち、日本の産業発展に貢献しました。
- 益田孝: 三井財閥の一員であり、渋沢と共同で多くの企業を設立しました。
学者・教育者
- 福沢諭吉: 慶應義塾大学の創設者で、渋沢とは教育や経済についての意見交換を行いました。
- 新渡戸稲造: 国際連盟事務次長を務めた新渡戸とは、国際交流や教育において協力しました。
文化人
- 森鴎外: 文学者として知られる森鴎外とは、文化活動や社会事業での交流がありました。
- 夏目漱石: 日本の代表的な作家で、渋沢とは文学や文化の発展について意見交換を行いました。
海外の交友関係
- エドウィン・ダン: アメリカの農学者であり、日本の農業改革に貢献しました。渋沢とは農業技術の導入において協力しました。
- アンドリュー・カーネギー: アメリカの実業家で慈善活動家。渋沢とカーネギーは、お互いの事業活動や社会貢献において意見交換を行いました。
社会事業家
- 大隈重信: 政治家であり、教育者としても知られる大隈とは、社会福祉や教育改革について協力しました。
- 原敬: 政治家であり、渋沢とともに社会事業や国際交流に取り組みました。
影響と意義
渋沢栄一の広範な交友関係は、彼の多彩な活動を支える重要な要素でした。彼はさまざまな分野の人々と協力し、日本の近代化と経済発展、社会福祉の向上に大きく貢献しました。