貝原益軒の名言
- 禍は口より出て病は口より入る
▶︎バランスよい食事量
朝食‖ ロカボ食 玄米100g
昼食‖ ロカボ食 コロコロ、果物モモ小1
→ 買物、食材加工(サラダ用)
夕食‖ロカボ食 玄米100g(美味しくないタイプの玄米、時々モミが残っている)
▶︎適度な運動 4506歩(夜は中止)
▶︎適度な休養と心の健康 (、、、)
▶︎メモ
体重 54.4Kg
細かい字が読みにくくなってきた。視野が狭くなってボケてくる。眼科医は、まだ白内障は軽い、ということであったが、世間の高齢者はもっと不自由をしているということか。
デラウェア 食べても食べても なくならず
水羊羹 甘さ加減に ホッとする
この暑さ 出かけることに 後退り
この暑さ 無事乗り切れば 金メダル
お客人 旅の土産と 菓子持参
(スペーシアで中禅寺湖へ行かれたとのこと)
この暑さ もう挫折感あり 出られるに
35度 続きこの身は へたりけり
「お店にて」
3時間 立ちて2時間 眠る日々
→ わかります😸
酷暑なり リモートワークの 再登場
空暗転 雷神来たり ドシャ降りに
遠雷に 乗って来ました ラインかな
カラスども 雷神感じ 叫びたり
雷神が 風神連れて 雨降らす
新井白石(1657年 – 1725年)は、江戸時代中期の日本の学者、政治家です。彼は儒学者としても知られ、徳川幕府の第6代将軍・徳川家宣および第7代将軍・徳川家継の下で重臣として活躍しました。
**経歴と業績:**
1. **初期の生涯**:
白石は武蔵国(現在の埼玉県)で生まれました。幼少期から学問に励み、特に儒学に深く傾倒しました。
2. **仕官と政治改革**:
徳川家宣の治世において、白石は幕府の重要な役職に就き、財政改革や法制度の整備に努めました。彼はまた、経済の安定と社会の秩序を維持するための政策を実施しました。
3. **学問と著作**:
白石は多くの著作を残しており、その中には歴史書『読史余論』や自伝的な『折たく柴の記』があります。また、彼は『西洋紀聞』という書物を通じて、西洋の地理や文化に関する情報を紹介しました。
4. **晩年**:
白石は幕府の重職を退いた後も、学問と執筆に専念し続けました。彼の思想や政策は後の時代にも大きな影響を与えました。
新井白石は、江戸時代の政治と文化の発展に大きく寄与した人物であり、その業績は今日でも評価されています。
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新井白石に関わった人々
1. **木下順庵(きのした じゅんあん)**: 白石の師であり、儒学者としての基礎を築いた人物。木下順庵は、朱子学の権威として知られ、白石に大きな影響を与えました。
2. **室鳩巣(むろ きゅうそう)**: 同じく儒学者であり、白石の同僚・友人。二人はともに幕府の政策に関与し、学問的な議論を重ねました。
3. **荻生徂徠(おぎゅう そらい)**: 同時代の著名な儒学者であり、白石とは思想的に異なる部分もありましたが、学問的な交流がありました。徂徠の学問は古文辞学* を基盤としており、白石とは異なるアプローチを取っていました。
4. **松平定信(まつだいら さだのぶ)**: 後の時代の政治家であり、新井白石の政策や思想に影響を受けました。松平定信は、寛政の改革を通じて白石の理念を実践しようとしました。
5. **徳川家宣・徳川家継**: 白石が仕えた将軍であり、彼の政治的な支援者でした。白石は家宣・家継の治世において、多くの改革を推進しました。
新井白石はこれらの人物を含む広範な交友関係を持ち、その影響力を通じて江戸時代の政治・文化に大きな貢献をしました。
◾️注記* 古文辞学とは
古文辞学(こぶんじがく)は、江戸時代中期に荻生徂徠によって体系化された学問の一派です。古文辞学は、儒学の中でも特に古典文学や歴史的文献の研究を重視し、従来の朱子学や陽明学とは異なるアプローチを取っています。