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今日は2回目のスクーリング日。朝から空は曇り、どこか気も重い。
思えば子どもの頃、学校は遊び場のようなものだった。授業よりも休み時間が待ち遠しく、勉強に追われることなどほとんどなかった。あの頃の学校は、心から楽しい場所だった。
一方、今の私は、例の少ない高齢で通信制高校に入学したばかり。若い頃のような高揚感はないが、静かに自分を見つめながら学ぶ時間も悪くない。
先生にもよるが、画面越しではない“生身の先生”から直接教わる授業には、やはり特別な味わいがある。
一時限は保健体育、二時限目は体育で2時間、3時限目は午後からで地理総合である。保健体育は、レポートに沿った授業内容だった。説明は面白く、ユーモアのある先生で前列の生徒から時々笑い声が漏れていた。
二時限目は失敗した。体育館の場所をよく調べてこなかったため着替え時間に手間取ったせいで時間ギリギリで到着した。ところが、体育用のシューズを教室で履き替えていったところ、体育館入り口で運動靴に履き替える必要がある、といったことや、ゼッケンが見当たらなくなってしまったことから、入口で手間取ってしまった。もうみんな集合している。時間に遅れたら参加不可、という決まりなので焦っていたところ、先生から、単位はまた出席すれば取れる、と言われ、待たせるのも忍びなかったので欠席する旨伝えた。内心はホッとしたが、その後2時間教室に戻り座っているうちに眠くなり居眠りしてしまった。朝早かったので、疲れが出た。その代わり、午後はさっぱりした気持ちで講義を受けることができた。
昼ごはんには、簡素ながら自分で工夫して作ったものを持参し、それを食べた。
主婦業は大変な面もあるが、工夫を重ねるうちに次第に要領がつかめてきて、今ではそれほど苦にならなくなってきた。
実際に自分でやってみると、主婦業というのは家族の生活を支える立派な労働であり、国としても一定の理解と支援策が必要だと感じるようになった。
ある有名な経済学者は「民主主義が進むと少子化が進行し、やがて民主主義そのものが終焉を迎える」と語っているが、実際に家事や家庭内労働を体験してみると、この言葉の意味が実感としてよく分かる。文明が進み、生活にゆとりが生まれれば、誰しも過酷な下積み生活を望まなくなるのは当然である。
思えば、私を育ててくれた母も、自分の気持ちを吐き出す場もないまま、夫に尽くし続ける人生を強いられていた。
その母に、きちんと恩返しをすることができなかったのが、80歳を迎えた今となっては最大の悔いである。
午後の地理総合は、公共も受け持っていた先生だ。科目は違っても、ダブるところも多い、この先生の授業も相変わらず面白かった。やはり本を読むより遥かにわかりやすく、内容も面白い。聞けるだけでもありがたい。現役時代ではとても学べる内容ではない。社会人になってから得た知識で大まかには知っているので、穴埋め、学び直しになる。スクーリングは半分くらい出席すれば大丈夫そうであるが、日曜日はできるだけ空けて登校することに決めた。
帰宅してすぐにレポートを片付けてしまった。これで第二回目のスクーリングは終えた。第三回から急に難易度が高くなる、と担任からメールが来ていた。なにしろ生徒数が多いので、担任ともお目にかかることさえほとんどないと思われるので、中学とは違う。それに、レポートは100点になるまで突き返される。甘くない。
トランプ一族、仮想通貨漬け 政権への危うい裏口ルート
👉要約、コメント
トランプ一族が暗号資産に傾倒しているという報道は、単なる投資行動を超えて、民主主義の根幹に関わる深刻な問題を孕んでいる。特に「監視の目が届かない裏口ルート」としての活用が指摘されている点は看過できない。政権中枢と資金の流れが不透明な形で結びつけば、それは国家の公正性と透明性を損ねる温床となる。
仮に一族の資産形成が「$トランプ」など特定の暗号資産に依拠しているとすれば、それ自体が市場操作やインサイダー的な行為に接近しかねない危うさをはらんでいる。しかもその影響が政権運営にまで波及するなら、もはや個人の資産形成では済まされない。
現職大統領が個人資産の拡大と政治的影響力を暗号資産を通じて融合させようとする構図は、かつての政治と金の問題の延長ではなく、新たな次元の「デジタル政治腐敗」の兆候と見るべきである。
📍 21:47-I got home.

📍 23:30-就寝
肩のこり ほどけぬままに 初夏の夜
疲れ果て 肩こり重く 目を閉じる 眠れぬままに 初夏の夜は更け
枕元 愛猫そっと 夢の中