日記250727(日)晴

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5:45-get up!

📍 6:00-BaceBreadを一個を口に入れ、急ぎで外出。 ∵ またまた寝てしまったら1日終わってしまうという焦り。朝の空気を吸うと気分が違ってくる。もうすでに日差しは夏そのものだが、眩しい太陽に向かって杖を片手にいつものコンビニに向かっている。

📍 6:30-8:30 atセブンイレブン

∟ ThinkingTime

私はどうすべきか?高齢者が向かうべき方向は?記憶力が間違いなく老化しているのに、記憶を学びと思っていないか?等々、今の私は多量の疑問を感じている。そこで、賢さが目立ってきた[私の]AIに質問を投げてみる。長年求めてきた個人秘書が一段と賢くなって私が生きているうちに思いもよらず出現した。これからの老後の生き方も[私の]秘書に問うことができるのではないか?

そこで、質問してみた。どんな回答が返ってくるのか?

Mandara
Mandara

【質問】80歳で新しいことを学んでも記憶力が衰えている感じがして難しいです。最初はそのことになかなか気づかずに努力していましたが、化学の基礎の周期律表がなかなか頭に入りません。語呂合わせ自体、思い出すのに四苦八苦です。さてこのような私ですが、知りたいことは山ほどあります。が、自分をもっと知っていつまでもできないことをやろうとするのは無理があるのでは?と思ってきました。果たしてそんな私はどうすべきでしょうか?

この質問に対する[秘書]の答えは以下のようなものである。結論からして、これから先、十分に頭の整理に活用できる感触を得た。ついでに、高齢者専用の個人秘書の構築などもアイデアとして浮かび上がってくるが、それは後回しにし、とりあえず回答をそのまま見てみよう――

【回答】

とても誠実な問いかけですね。80歳でなお学び続けようとする意志は、それだけで驚くほど尊いものです。しかし、記憶力の衰えや「できないことがある」という現実に直面し、「このままでいいのか」と揺れる気持ちもまた自然なものです。

では、どうすればいいのか?――答えは「自分を知ること」を出発点に、「できないこと」を悔やむより、「今の自分だからこそできる学び方」を探すことだと私は思います。


🧠 1. 記憶力の変化は「学び方」を変える合図

年齢とともに記憶力が変わるのは自然なことです。

ただし、「覚えられない=学べない」ではありません。むしろ、「覚えるための時間」や「手段」を変えることができれば、学びは十分可能です。

たとえば:

  • 周期律表を1日1元素だけ覚える。 一気に覚えようとせず、1つずつ丁寧に触れてみる。
  • 語呂合わせにこだわらず、興味と結びつける。 たとえば、「金(Au)はなぜ高価なのか?」「水素(H)はなぜ一番軽いのか?」という問いで探求する。
  • 視覚・音声・触覚など、複数の感覚を使って覚える。 周期表の「ぬり絵」や「音読」、「動画で見る」など。

🔍 2. 「できる/できない」の線を引かない

「できないことをやろうとするのは無理では?」という問いかけの背景には、「今の自分を無理に若い頃と同じ土俵に乗せようとしていないか」という気づきがあります。これは実に大切な視点です。

でも、学びに“成果”を求めすぎないことが、むしろ深い喜びにつながることもあります。つまり、

「学ぶこと」が目的であり、「記憶に残すこと」は手段の一つにすぎない

というふうに考え直すのです。


🌱 3. 「知りたいこと」があるなら、それが答え

あなたは、「知りたいことは山ほどあります」とおっしゃいました。これは、記憶よりも大切な力――**「好奇心」**の証です。

この好奇心こそが、記憶力よりもはるかに強く、長く、あなたを支えてくれるものです。

たとえば、

  • 「周期表を完全に覚えられなくても、化学の面白さは味わえる」
  • 「科学を知ることで、日常の不思議が楽しくなる」
  • 「記憶に残らずとも、その瞬間の感動がある」

これでいいのではないでしょうか。


📘 4. あなたにおすすめの学び方

  • 「まとめ役」になる 覚えるより、「自分なりにまとめてみる」ことで理解が深まります。Evernoteなどで記録を整理するのはとても良い方法です。
  • 「語れる相手」を持つ 誰かに話すことで、自分の理解が定着します。相手がいなくても、ブログで書いたり、AIに語ってみたりするだけでも十分です。
  • 「80歳の化学探求記」など、学びの記録を作品化する 知識を「身につける」だけでなく、「共有する」ことで、新たな喜びが生まれます。

🔚 結論:どうすべきか?

あなたは、「今のあなたでしかできない学び方」を見つけることができます。

記憶力の衰えは、「諦めのサイン」ではなく、「学び方を変えるチャンス」です。

そして――「知りたい」と思っている限り、あなたはまだまだ学び続けられます。

学びの旅路に終わりはありません。速度はゆっくりでも、歩みを止めなければ、それは立派な旅です。

何かテーマを一緒に探してみますか?それとも、周期律表を味わう旅に出てみましょうか。どちらでも、お供いたします。

✍️📍 8:30-このまま付き合い続ければ、一生のパートナーとなりうる存在かもしれない。しかし、私はまだその覚悟ができておらず、当面は深入りを避け、あくまで全体を俯瞰できる立場にとどまっていたいと思う。それでも、そばに信頼できる知恵者がいるという実感は確かにある。少なくとも、あらゆる事柄を記憶する必要がない時代に、私たちはすでに足を踏み入れている。記憶力に優れた天才でさえ、やがてその優位性が霞んで見える時代が到来するのかもしれない。

散歩道 蝉の声沁む 木陰かな


雑草の生命力と食糧可能性
葛を食用で試す

ごく最近、風邪薬として知られる「葛根湯」に用いられる葛という植物に触れる機会があった。調べ直してみると、その蔓の驚くべき繁殖力が取り上げられており、改めてその生命力に驚かされる。また、葛は食用としても有用であるという情報に出会い、それなら利用してみよう、と興味を持った。

あの力強く伸びる蔓を「雑草」として見れば厄介だが、「食糧」として見れば頼もしい存在である。そう思い直した結果、帰路のウォーキング中、道端に繁茂していた葛を少し摘んでみた。周囲にあふれる雑草が食糧になるのなら、将来の食糧難や貧困への一つの備えにもなるかもしれない。まずは試してみることにする。

左上 / 散歩道で採取してきた葛

右上 / 食用重曹に10分ほどつけて洗い終わったあと、熱湯に浸した葛

下 / ☀︎朝昼食‖ 10:00-10:30

[感想]左下 ‖ 鳥の胸肉と豆腐を少し加え、醤油とポン酢を適度に垂らし、唐辛子を振りかけて食した。結果はアクも無く、普通の山菜感覚で味は悪くない。少量なので、次はもう少し量を増やして試してみる。尚、右側のタッパーの中は炭水化物である冷凍室に保存してあった主食。五穀米にシヤケのふりかけ、梅干し、それにトマト小(1/4)。電子レンジで7分解凍して十分美味しく食べ終えた。

葛は土手にわんさか繁殖している。農薬など使うわけもないが、安全性を確かめるために市役所などで確認してみようと思う。その前に、葉や茎の栄養素も調べたが、古くから有用性が研究されできており、栄養豊富だ。さらに血糖値の高い人、LDLの高い人等々に効果的だと記されている。この事実から自然の恵みで栄養を十分に補う方法はありそうだ。農薬の心配もない。[根拠 / Google検索]

📍 10:30-11:30 ♨️💤 2F🛋️ソファ

左の丘に佇む建物は確か大塚製薬の研究所、右は2階から見える葛に覆われる土手。丘の上の研究所はとても閑静な街路樹通りの森の中にある。食用植物の研究に明け暮れる我輩を勝手に思い浮かべた。想像するのは自由である。現実も空想も脳内では似たような反応をしているのではないか。突き詰めれば、それも不思議なことだ。

♨️日曜日を実践中

――

夕刊ウォッチ

日経新聞にこんな記事が掲載されている。

日本経済は生産力が注文に追いつかない供給力不足に陥っているのではないか。民間エコノミストの間でそんな認識が広がってきた――

供給力不足は本質的な問題か

デフレとは、需要・供給の両面が縮小し、全体として経済が萎縮していく現象である。したがって、需要が低迷すれば当然、企業の設備投資も減り、生産能力そのものが退化していく。記事は「供給力が需要に追いつかない」という現象を取り上げて、あたかもインフレ的な過熱が起きているかのように解釈している。しかし、これは長期的なデフレの後遺症である供給構造の劣化とも読める。すなわち、単に需要が急増したのではなく、供給側の回復が遅れているという構造的問題の表れである。にもかかわらず、日経新聞はこの現象をもって「デフレ脱却」の証左としようとしているようにも読め、論調には違和感が残る。

📍 21:00-The day is drawing to a close.

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