母が残した老いの美学

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母が残した老いの美学


――母の言葉が今も胸に響く

 人は、どのように生き、そしてどのように終わりを迎えるのか。答えのない問いは、若いころには遠い話に思えるが、年を重ねるにつれ、すぐそこに影のように寄り添ってくる。その時、ふと胸をよぎるのが、母の世代の人々が口にしていた「生き恥を晒したくない」という言葉である。

 この言葉を私は、亡き母から幾度となく聞いた。若いころはただ古めかしい響きと受け流していたが、散歩の途上で母を思い出すと、この言葉もまた立ち上がってくる。母はそれを誰に向けるでもなく、まるで独り言のように口にしていた。けれど、その響きは子である私の心にも染み込み、消えることはなかった。

 「生きて、他人に恥ずかしい思いだけはしたくない」。そうした切なる思いだったのだろう。人の振り見て我が振り直せ――他人の姿に自分の将来を重ね、ああはなりたくないと願う気持ち。場合によっては、そうなるくらいなら死んだ方がましだとまで思ったのかもしれない。

 だが、人生は皮肉である。母は六十代後半で脳梗塞に倒れ、かつて自分が忌避した姿に近づいていった。「死にたいなあ」と、ため息のようにこぼす母。その声は重く、長く、部屋の空気まで沈ませた。それから十年以上、母は病と向き合い続けた。

 私はせめてもの慰めにと、母の好きだった唱歌や民謡をカセットに録音し、枕元に置いた。耳を澄ませる母の瞳が静かに潤むのを、何度も見た。だが父は、そのラジオを手に取り、「こんなもの、邪魔だ」と言ってしまい込んでしまった。当時の私は強く反発したが、今にして思えば、人の感じ方はそれぞれだと分かる。けれど、あの瞬間の胸の痛みは、いまも薄れない。

 ――先に言っておこう。私もまた、生き恥を晒してまで長らえたいとは思わない。しかし、死は望むときに訪れるものではない。母のように、他人の手を借りながらなお生き続けることになるかもしれない。その時が来ても取り乱さぬよう、心の構えだけは持っていたい。

 母の言葉に導かれ、遠回りをしてしまったが、結局はこの一点を語りたかったのである。

2025/8/10(日)記