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7:00-8:00起床、モーニングタイム
8:30-ウォーキング開始
9:00-10:00 atローソン
∟ ThinkingTime / ローソンのPonta会員登録
登録作業 ‖ 「ローソン行くならPontaパス」 ‖ 登録に手間取った。6桁の数値をチラ見で記憶ができない。いちいち紙にメモして進めたが不便だ。やっと登録してクレカと連動完了。ここまでは「月に5杯のコーヒー無料」キャンペーンに誘導されて作業したものだ。完了はしたものの、また一つ煩雑な作業が増えたのかも知れない。★ショートメールを眺めていたら、10/29に入会済みになっている!ボケの始まりか⁉️
📌 残り時間30分。idpwを備忘録へ記録。完了。キーワードはponta。細かい文字を眺め続けていると目が霞んでくる。
📍 10:30-ウォーキング再開

11:20-I got home after a while!
the nextStage
📍 11:30-12:30 ランチタイム
13:30 二回目のウォーキング開始 / マスクでメガネが曇る。外して歩く。行き先を天覧山方面にした。
📌 途中で睡魔と疲労が目立ってきた。予定中止して戻ることにした。
14:50-帰宅、💤 (タロと一緒)〜16:50
もう夕食タイムだ。すると、、また運動に出る。それで終わりとなる。食べて歩いて寝て1日終わるとは――何やっても1日は1日。
★ゆで卵を茹でながら忘れて寝てしまっていた。今のガスレンジは、加熱センサーがついているのだろう、鍋が焦げるまでには至らない。ガスを自動的に停止して小さなアラームが継続して鳴動する仕組みになっている。ゆで卵は白身が少し変色しているだけで、他に問題はない。
18:30-19:10夕食タイム
∟19:20-ウォーキング / 持病の中程度の神経痛。これが治るかどうかで、今晩の睡眠の質に大きな差が出る。
∟ウォーキング中は神経痛は治っている。しかし、立ち止まって座って考え事をすると再発する。したがって、お腹のもたれ感がなくなるまで歩く必要がある(か)。神が「食べて美味しい思いをした以上は、体を動かして働いてくれっ」と耳元で囁く。
誰もいない道 21:00

♨️

100メートルほどジョギングして体を温めたところ、体が軽くなり、胃もたれと神経痛が消えた感じがする。
▶︎22:00-The day is drawing to a close.
▶︎人身取引が世界で急増 困窮つけこむ組織、保護のタイ少女にも関与か
✍️(記事要約)東京都内のマッサージ店で働かされていた 12歳のタイ国籍少女の事件 について、警視庁は ブローカーが関与する人身取引の疑い が強いとみて捜査している。少女は母親とともに6月下旬に羽田空港へ到着し、その後何者かにより労働を強いられたとみられる。
人身取引は世界的に増加しており、背後には国際的な犯罪組織が関与しているケースが多い。警視庁は タイ警察と連携して国際ネットワークの全容解明を進める方針 である。
✍️コメント
遠い国の出来事と思っていた人身取引が、いまや私たちの生活圏の中で起きている。高齢社会で人手不足が深刻化する一方、海外の弱い立場の人々が搾取の対象になりやすい状況もある。社会全体で「見て見ぬふり」をしない目を持つことが求められている。
▶︎AI相場「バブルにあらず」 米ウェドブッシュのアイブス氏
(要約)米ウェドブッシュ証券の著名アナリスト、ダニエル・アイブス氏がインタビューで次のように述べた。
全体として、米株高は今後2〜3年は続くとの強気の見通しを示した。
理由は、AIが経済全体に与える影響がまだ序盤であり、「第4次産業革命」の入り口にあるため。
特にAIインフラやクラウド、半導体などの需要は今後数年にわたり拡大し、株価上昇の基盤があると強調。
✍️コメント
AI相場をめぐる評価は二分されがちであるが、アイブス氏の指摘には耳を傾ける価値がある。バブルとは実体の裏付けを欠いた価格の暴騰を指すが、現在のAI関連投資は企業活動の根幹そのものを変えつつある。
つまり“実体なき熱狂”ではなく、“実体が追いつく前段階の高揚”である。第4次産業革命とは、情報処理が人間の能力を拡張する歴史的局面のことであり、今回の相場もその文脈に位置づけられる。老いも若きも、この変革の只中にいるという自覚が求められるであろう。
▶︎ノリさん投稿
一本の バナナ挟んで 朝ごはん
いよいよと インフラ工事が 始まった
本日も 茶3杯飲んで 始動する
みそ汁は ダイコンシメジ に白菜
句作りは 張りが出てくる 独居老
吾がアパートの前の新築工事が下水道工事をはじめました。年内に建つか。楽しみです。野次馬ですね!
【一口メモ】キリスト教の原罪説
キリスト教では、アダムとイブが神に背き知恵の木の実を食べたため、人間は生まれながらの罪である「原罪」を背負っているとされている。
考え方はもちろん多種多様である。が、生まれた時から死罪が決まっていると言えるのが人の歩む道でもある。なるほど、人間は原罪を背負って生まれ、罪を償う過程であの世に召されるのか――そう思えば、キリスト教は人生の矛盾に一つの解決策を与えてくれているのかも知れない。それでも、昨日書き込んだような、人生は遊ぶために生まれてきた、と思う方が気持ちが明るくなりはしないか?もしそうなら、後者の方が正解だ。
