関東大震災100年

日記230804(金)晴れ

4:30-6:00 働きのない無効時間…目は覚めたが、目が霞んでいて周りがボケて見える。気持ちもさっぱりしない。意欲が湧いてこない。軽く片付け物をしながら、体を動かす。生きるのもシンドイ…どこにいたのか猫が様子を嗅ぎつけてやってきて、足にまとわりつく。ゆっくり立ち上がり猫のエサを用意したり、後始末したり、散らかっている資料を整理したりしながら、これではいかん(1日終わるっ!)、目を覚さないと、とゴミ出しの準備をする。すると猫が玄関のドアの前でお行儀よく座って待ってる。外に出たいのだ。ゴミ出しで外へ出たついでに、少し庭草をむしってゴミ袋に入れる。Amazonから玄関側にプリンターのインクが届いているので中に入れる。

猫も隙を狙って外に出て、周りを嗅ぎ回りながら、恐る恐る歩き回っている。新鮮な空気に興味津々といったところだ。しかし猫の足の汚れが気になる。しばらく見ていて、抱いて中に入れる。抵抗され、ややかわいそうだ、と、思いつつ部屋の汚れが気になり強行した。仕方ない。が、、猫に合わせて、家の中も土足環境にするか、なんて思い浮かべる。そうすれば、猫を安心して外で遊ばせられる。一日中家の中ではかわいそうだ。外見たいんだよナ? 世界は広いぞ…自分が外に出してもらった気分で考えてしまう。

ゴミ出しに出た。100メートルほど先だ。現場について、プラスチックなどがゴミ出しされている。木曜日と勘違いしてゴミの種類を間違った。普通ゴミを持ち帰る。100メートルの出直しはきつい。

出直してウォーキングではなく自転車にした。どうしても行き着くところは、楽な道だ。歩きよりは自転車の方が速くて楽に目的地に着く。

→困難なことは、その先に欲しいものがなければ行動に移せない。活力の源は欲しいものを手に入れたい願望である。願望の消滅は死である。その願望の大きさが生きている証として結果をもたらす。今、それが年々萎んできているという現実に直面している。老いる現実だ。これに抗うことは不可能である。この日記は老いの体験談でもある。

10:00- 日常へ。何をする?何から片付ける?

輸出ビジネスの調査、段取り。なかなかうまく進まない。着手して思うのは、行動によって次々に新しい着想が生まれるということである。成功の可否を問わず始めることの価値である。とにかく、やり始めた以上は、一定の成果が出るまではやる。

晩年を汚すなよ、という先輩の言葉がこだまする。しかし、もう決めた。その先輩が「前向いて倒れろ」とも言っていた。矛盾する。それでいい。世の中も矛盾だらけだ。完璧は不要だ。

20:00-一日一生。終わりの始まり。明日の準備へ。

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