日米施設の共同利用、4倍増

日記230910(日)曇り→晴れ

深夜の夢うつつ

4:30- 4:45 深夜に目覚めてしまい、スマホで音声を流しながら寝ていた。聞いているうちに、眠りについた。

眠りが浅いので、夢うつつである。

そのうちに両親が死んだのを忘れて、かなり長時間にわたり夢の中にいた。

母親が私のそばにいる。父親で苦労している様子にも見える。そのうち、一度亡くなったはずの父親がまだかくしゃくとしている。が、いつの間にやら行方がつかめなくなって、連絡取れない…

そのうち目覚めて、あぁ、両親は随分前に亡くなっていたということをはっきり認識した。もうそんなに苦労しなくても良かったんだ、とほっとする。それにしても、かなり長い時間だった。なんとも言えない遠い世界にいたような「もっとやれた事があったはずだ」というような残像がしばらく続いた。

そのうち、ふと肌寒いのに気付き、パジャマを探して羽織る。

野菜どころかすっかり雑草畑になった裏庭、草むしり開始

5:15- 早すぎるウォーキングに出かけて、人体実験。

[結果]1日終わってから結果を記す→正解


今日のメモ

▶︎経営 = 経理 + 営業 [各頭文字をとり、経営]

▶︎接着剤除去に困ったら[←ChatGPT3.0]#接着剤除去

1. アセトンを使用する方法:

– アセトンは、セメダインの接着剤を効果的に除去するのに役立ちます。

– 通常の塗布方法は、アセトンを含んだ柔らかい布または綿棒を使い、接着剤の付着部分に優しくこすります。ただし、素材によってはアセトンが損傷を与える可能性があるため、注意が必要です。

〈factCheck〉アセトンは有害なので、要注意 である。

2. 機械的な方法:

– セメダインの接着剤を削り取ることができます。これには、やすりやカッターナイフを使用しますが、素材に注意して作業し、けがをしないようにしましょう。

3. 温水と石けんを使用する方法:

– 一部の素材では、温水と石けんを使用して接着剤を柔らかくし、こすり洗いすることで取り除ける場合があります。

4. 専用の除去剤を使用する方法:

– セメダインの接着剤に対応する特別な除去剤も市販されています。取扱説明書を確認し、適切な除去剤を使用することを検討してください。

接着剤を除去する際には、素材や状況によって最適な方法が異なるため、できるだけ詳細な情報を提供していただければ、より具体的なアドバイスをお伝えできます。また、作業中は適切な安全対策を講じ、通風の良い場所で行うことをお勧めします。


原稿の効果

中学一年生向けに何か話をすることになっている。何を話したらいいのかさっぱり見当がつかなくて助言をもらって原稿を書いてみた。効果は、考えが少しはまとまり、気持ちが楽になることである。

原稿

ステップ

自己紹介前(導入)

これまでの人生を何かに例えてみる

自己紹介

本編 私の中学1年生時代

締めくくり

以下原稿作成中
本文をガイドに、その場で思い浮かんだ事を話す。

初めまして、樋口といいます。

自己紹介の前に、小話を少しさせていただきます。

ある時、浦島太郎が浜辺で蟹を見つけました。

「あれっ?カニくん、君はなんで横に歩くんだ、と聞きました」そしたら、カニくん、ご機嫌が悪かったようで、「そんなこと知るかい!この足にきいてくれっ!」と言われました。

考えてみれば横に進むのは、カニくんのせいではないよね。生まれてきた時から横に歩くようにできているわけです。

浦島太郎が亀に招待され竜宮城に行って、帰ってみたらあっという間に年取っていた、、という皆さんもご存知のお伽話がありました。例は違いますが、これも本人の思わぬ出来事の結果でしょうね。

さて、私も、これまで考えると色々と分からないことや不思議なことがたくさんありました、、、それは今も増えるばかりで減ることがありません。しれば知るほど知らないことは増えるものなんです。ですから、すこしぐらいわかったからといって満足することはないでしょう。

例えば、誰かに「君はなぜこの世に生まれてきたの?」と聞かれれば、この蟹くんのように「そんなこと知るかいッ!神さまに聞いてくれ」というかもしれません。

今の子供達は「親ガチャ」とか言って、「そりゃ、自分のせいじゃないよ」という意味で使うのでしょうか。でもね、親もそんなのご先祖様にに聞いてくれっていうかもしれません。

親にも親がいます。1人が生まれてくるには2人の親がいるから、それをたどって行くと、どれだけの多くの人が私たち1人のために存在していたか、本当に驚くよね。

それを辿ってゆくと何億年も昔にたどり着きます。さらに辿って行くと地球が誕生したといわれる46億年前まで、いや、さらには宇宙が生まれた138億年前のビッグバーンにまで辿って行けるんじゃないでしょうか?いやいや、その先は?疑問にはキリがないですよね。

この世はわからないことだらけです。それでも、すこしづつ疑問はわかってきていますし、進歩もしています。皆さんのこれからは、そんな不思議な世界に旅立つことではないでしょうか?そして勉強して少しでも後世に知を残せたらいいと思いませんか?

さて、横道にそれましたが、皆さんからみたら遠い昔の話になるのですが、私の中学時代はどうだったのか少し思い出して話してみたいと思います。

私は小学校を卒業し、中学へ進学する年に、とある事件に巻き込まれました。

これまで、先輩達が通っていた中学校が隣町の中学校に吸収されることになったのです。私たちの学生数が特別に少なかったせいかもしれませんが、詳しいことはわかりません。

中学校が廃校になるというので自然と反対する勢力が生まれました。

私は当初は隣町に新しい自転車に乗ってさっそうと通学できることを楽しみにしていました。

しかし、父親が反対派から請われて反対派の中心的存在になり、新しい自転車に乗る夢が消えてしまいました。

その頃は旧校舎の机とか設備を持ってゆかれないようにと、まだ春先の肌寒い夜にバリケードを作って徹夜したりしました。この経験は、周りから初めて大人扱いされて悪くない気分だったのを覚えています。

このようにして私達の村では統合先へ通学する賛成派と、反対派に分かれてしまいました。紛争が起きたのです。私は反対派なので進学先を失うことになりました。

が、その後、反対派の村人たちが先生を探し廃校の校舎で独自の中学校生活を送ることになりました。全く予想していない出来事が起きたわけです。

なんとか来てくれた先生も、すぐ辞めたり、変わったりして、授業には支障が出ていたと思います。

といっても、昔の田舎のことです。当時は学校は半分は遊びにゆくようなものでしたので、私たち生徒に不満は感じませんでした。それは不満感じるほどの知識もなかったからです。

当時は中学卒業したら働くのが普通で、進学というのはほんの一握りのお金持ちの事だったので初めから頭にありません。大人になったら船に乗って働き、働いたお金を家に送り、立派な家を建てるのが当時の親たちの期待で、いつもそんな話を聞いて育ってたんです。

ただ、世の中は変化し、私の2年後輩ぐらいから高校に進学する生徒が次第に増加し始め、今ではほとんどの生徒が高校へ進学するようになったようです。

その中学は3年間通い、その翌年に今度こそ完全に廃校になりました。その跡地をいつか見にいきたいと思っていますが、故郷を離れてからいまだに行っていません。

私は自分をふりかえってみるとき、決して平坦な道ではなかったと思います。そもそも生まれた時が太平洋戦争中のことでした。

が、運良く生き残り、いまだ生きています。当時は、この年だとかなりヨボヨボの老人だったように思います。それが、なかなか死ななくなりましたね。実際に年取ってみると、まだまだ大人になりきれていない、子供みたいなところがあります。きっと他の人もそうじゃないかな、と思います。

人生山あり谷あり色々ですが、それはそれで終わって見れば、いやまだ終わってはいませんが、まぁ面白い経験だったかな、という気がします。

まだこれからも人生途上ですので何があるかわかりません。

何をいいたいのかといいますと、人間にはいつ、何が起こるかわからないものである、ということです。いつか、皆さんもきっと思わぬ出来事に出くわす時がくるでしょう。いいことも、悪いことも、です。

そんな時、自分たちの先輩方がさまざまな試行錯誤しながら希望を捨てずに生きてきたということを思い出してもらえれば、と思います。

——————その他の派生知識

カニというのは世界で1000種

ちなみに、タラバガニという特別美味しい蟹に似たヤドカリもいる。しかし、足が8本しかない。検索で調べてみると実際は10本あって2本は見えないのだそうです。カニは10本見えます。人間の手と同じです。

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