日記251205(金)晴^曇12〜-2℃

990 04 10:00-

今朝も朝食を抜いてテーブルに置いてあったナッツを口に頬張り外に出た。

📍 10:00- 10:30 atセブンイレブン∟ ThinkingTime

とうとう初のマイナスを記録した今朝の気温。それでも、外に出れば青々とした澄み渡った空が広がっている。北陸の冬の空を思えば、なんと素晴らしい冬の空である。

📍 10:30-Jump to the next work stage.🧑‍🦯

のらりくらり散歩。同じようなところを歩いている。それでも、新しい発見はある。時々、発見と思ったものが、発見でなく忘れていることも多い。

📍 12:00 帰宅

📍 16:00-晴→曇→晴 🧑‍🦯

▼飯能駅ビル書店を眺めて目についた読みたい本。地球、生命の不思議が詰まってそうだ。現在、AI革命が起きつつある中で、土と生命だけは生み出せない――と、地球の成り立ちから今日までの地球の活動など、、知識欲も無限に湧いてくる。とても100歳では足りない。

牛乳を少し飲みすぎたか?ちょっと具合悪い敏感な消化器。子供の頃に比べるとはるかに丈夫になったのだが、牛乳などの乳製品には強くない。美味しいのでつい飲みすぎる。

📍 20:00-22:00 The day is drawing to a close.

【メモ】[編集完了]


ニュースコラム

▶︎ 「令和の利回り革命」が問う成長 還元より投資へ、変わる評価軸

[ニュース要約]

日本の証券市場で「令和の利回り革命」と呼ばれる転換が生じ、株式の配当利回りが15年ぶりに長期金利を下回った。これは、デフレからインフレへの構造転換の中で、投資家が企業の株主還元よりも成長投資を重視する姿勢へ移りつつあることを意味する。AI、特にロボットを自律制御する「フィジカルAI」分野の需要が高まり、収益拡大の可能性が現実味を帯びてきたことで、関連銘柄が上昇している。市場全体が「投資して成長する企業」を評価する局面へと変わりつつある。

📌 感想[社会構造の変化の兆し]
株式の利回りが国債利回りを下回ったという事実は、長らく続いた「配当で株を買う」時代の終わりを告げている。企業に求められるのは、余剰資金を還元することではなく、未来の成長に向けて資金を投じる姿勢である。低成長に慣れ切った日本経済が、ようやく投資主導の成長モデルへと舵を切り始めた兆しといえる。

[AI時代とのコンタクト]
AI、特に「フィジカルAI」と呼ばれるロボット自律制御の技術が、産業構造そのものを作り替えつつある。人間の働き方、企業の競争力、国家の成長――いずれもAI投資と切り離せない段階に入った。市場がその変化を先取りしているとすれば、いま起きている利回り革命はただの数字の変化ではなく、産業史の転換点である。

[老後資産の行方]
老後の資産運用でも考え方の転換が必要だ。配当利回りだけを追う姿勢は、低成長時代の習慣にすぎない。これからは「どの企業が未来に向けて投資し、技術を育て、価値を生むのか」という視点が重要である。変化を恐れず、新しい評価軸に目を向けることが、個人にとっても日本経済にとっても不可欠である。

▶︎ロシアのスパイ船が領海侵入 英国が警告「準備はできている」

📌 どうなるのやら、お互いに「準備はできている」と。要は、武力攻撃はいつでも出来る体制だ、と言い合っている。この事態を人間としてどう解釈していいのか、命あっての物種であるからこそ物語が生まれる――

▶︎[発見、緊縮財政]教育資金の生前贈与、最大1500万円の非課税特例を終了へ 与党

📌 富裕層からとはいえ、PB黒字化の流れの中にいる。人間の欲望は無限なので、積極財政だけでなく抑えることも必要である。責任ある積極財政という範疇の出来事であろう。

▶︎英国、2018年の毒殺未遂「プーチン氏が承認」 ‖ 調査委報告書


[要約]英国で2018年に発生した神経剤ノビチョクによる中毒死事件について、独立調査委員会は最終報告書を公表し、暗殺未遂の背後にロシアのプーチン大統領の承認があったと結論づけた。

📌 英国が6年越しの事件について、プーチン大統領の承認があったと公式に結論づけた意味は重い。国家が暗殺を容認するという構図が国際社会で明文化されたからである。

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詩歌・俳句・川柳・短歌

▶︎ノリさん投稿

なんだかな〜 耳が遠くなりて 寒々し

みそ汁に しめじ牛蒡生姜をいれました

コラム

2度目のウォーキング中である。何か思い浮かんだらメモしておこうと思い、入間川の河原を歩いている。目につくのは枯れススキだ。白い綿をかぶり、無風の夕方の河原でじっと佇んでいる。歩いていると、枯れ木もあれば、まだ緑を保つ草木もあることに気づく。同じ環境に置かれながら、である。草の中にはまだ瑞々しいものさえある。それぞれが独自の戦略と仕組みを備えて生き残っているのだ。自然をよく観察すると、その巧みさに驚くほかない。地球という環境に、生命は実に多様な知恵で適応しているのである。

ここでふと思う。人間もまた、同じ場所に生きていながら歩む速さも疲れ方も違う。老いの進み方も、気力の残り方も、一様ではない。無理に合わせる必要はどこにもないのだろう。枯れススキの静けさを眺めていると、自分は自分の歩幅で進めばよいと諭されているような気がした。

綿すすき 同じ夕べに 各(おのおの)の息
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