始まりと終わりと
▶︎始まり ‖ 朝聞道、夕死可矣
朝のお祈り(毎日の始まりの心構え)で一日の無事を祈る
▶︎中頃 ‖ 臥薪嘗胆
生命は永続する、生命は時の流れ、変化する…
何があっても大丈夫。死ぬこと以外は擦り傷、でゆこう
▶︎終末(一日一生)
終わりのない旅、明日は明日の風が吹く。
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[明日の予定]
都心へ、浅草橋[記帳、資金移動]、ヨドバシカメラ、ソフマップ、秋葉原ネジ屋さん、、
17:00- 芝浦クリスタル品川
📝 オーストラリアとカナダの留学リサーチ
用語解説2
▶︎朝聞道、夕死可矣 ‖ 論語(孔子) ‖ 朝、人の生きる道を糺しその道を歩むなら夕べには死んでもいい、という孔子の教え ‖ これを私は我流で解釈していた。いつ死んでといい準備をして今日も生きろ!みたいな。そう違わないのか。
▶︎臥薪嘗胆 ‖ 悔しさを堪えて再起を期すること、薪に臥し胆を嘗める。 日清戦争後の流行語となった。 これは、当時、勝利したにもかかわらず三国干渉により、遼東半島を手放さなければならず、日本政府やマスコミが、「臥薪嘗胆」を合言葉に国威発揚を行ったことによる。[/net]
📝 私はすでに余命宣告されていると思っている。でも、5〜10年はまだ生きそうだ😸 万人そうなのだが、ただ単に死を忘れているだけのことで、殊更死を強調すべきことではないのかもしれない。第一、いつもそんなに緊張して生きていて価値があるのか?という問いも持ち続けている。
▶︎人生は終わりのない旅
繰り返しなんのために生きているのか、など考えてきた。しかし、結論は「わかりません!」だ。
人間の体のほとんどは意識のコントロール下にはない。五臓六腑以外にも…意識で動かしているのは筋肉の一部だけだしね。本能に打ち勝てるようにはできていない。生命は複雑で、そもそもが矛盾した存在である。
それよりも、そうこうしているうちに、彼岸が見えてきた。時に叫び、時に諦め、時に嘆き、なぜなんだ?と人生を過ごしてきた。ところが、とうとう終わりが見えてきた。この事実にどう向き合うのか?