メモ ‖
朝聞道夕死可也とは
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子曰、朝聞レ道、夕死可矣。
〔子曰く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、と。〕
出典
論語・里仁
意味
朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない。 ‖ 📝 解釈は諸説あり。
解説
一般には上記の[意味]のように理解されているが、異説はかなり多い。その一つとして、この一句は孔子が死に瀕したときに述べた言葉という考え方がある。
原文
それによると、孔子は死ぬことを気にするよりも、現実の生きているうちに真理を学ぶことが重要であると弟子たちに説いたということである。📝 ツッコミどころ満載。仮に1分後に意識がしっかりしていて死を迎えるとした時はどうなのか?死はもっと大きな重みがあるのではないか?あるいは諦めるしかないという現実か?まぁ理屈はキリがない、中断。解釈は自由)
同じ孔子の言葉の「未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らんや」〔『論語』先進〕のような考え方で、むしろ生きていることに忠実であれということを強調していることになる。
しかし一般的には、死を間近に控えての孔子の悲愴な考えを述べたものという理解がなされている。伊藤仁斎は、その著『論語古義』の中で、「ある人が、『朝に真理を聞いて夕方死ぬというのでは、少しせわしなさすぎるのではないか。』と尋ねたのに対し、『そうではない。人間として道を聞かなければ、生きていても益がない。だから孔子が、朝、道を聞いて、夕方死んでもよいとされたのは、どうしても真理を聞かずにはおれないというつきつめた気持ちをお示しになったもので、決してせわしないなどということはない。』と答えた。」と解釈している。 ‖ 📝 しかし、死というものは赤子の誕生と同じく、日常的に陳腐なもののはず。悲壮などという言葉は孔子にはそぐわない気がする。
清の劉宝楠(りゅうほうなん)の『論語正義』には「朝、道理を聞いて夕方死んでしまい、学問が途中で挫折したとしても、道理を聞くことなく死んでしまうよりはいい。」としている、この一句が、孔子が死を前にして弟子を励ました言葉か、それとも飽くことのない学問追求の態度を表す言葉かはっきりしないが、いずれにせよ道を求めることを強く主張しているものであることには変わりがない。 ‖ 📝 ガンジーの名言とされる「「明日死ぬかのように生きろ。 永遠に生きるかのように学べ」」というのがある(👏)。これこそ一日一生として生きるのにふさわしい言霊だと思うのだが、、、ここまで述べてきて、なにを言いたかったのかその意図を忘れた。恥ずかしい🫣 ‖
これを孔子の積極的な姿勢として受け止めるか、死を前にした悲愴な感慨と受け止めるかは、読者の主観によるほかはあるまい。
出典略解
孔子
【人名】前五五二~前四七九。春秋時代魯の国の人。名は丘、字は仲尼。儒家の祖。十五歳で学問の道に志し、特定の師を持たずに勉学にはげんだ。魯に仕えて大司冦となり、国政に参与し、魯の国はよく治まった。のち、用いられなくなり、十四年の間諸国をめぐり歩いた。六十九歳のときに魯に帰り、弟子の教育と著述に専念した。弟子の数三千人、六芸に通ずもの七十二人、詩書を刪定し、礼楽を定め、『春秋』を修めて先王の道を伝えた。「仁」を中心思想におき、仁の徳による政治思想を説く。孔子の言行を記したものが『論語』である。
論語
【書名】孔子と、その弟子たちの言行録。
孔子の弟子たちが師の言行などを記録したもので、原形は前五世紀の後半には存在したといわれる。仁や孝、君子のあり方などを二十編にまとめ、儒教の経典中もっとも重視され、四書の一つとなる。
「終わりの始まり」の意味について
[始まり]
朝聞道夕死可也(メモに詳述)/ 捉え方は諸説あるようであるが、私は一日一生の積み重ねと捉え、朝に今日一日だけでも、いかに生きるべきかを問い、その日の心構えとする、という自己流の解釈で用いている。できないからこその目標である。日中はわすれる。
[中程]
このブログでは、日中、行動中に事実を時系列に記録する。記録にはその時に頭をよぎったことを、可能な限りありのままに記録する。もちろん自制はある。おそらくは後に振り返れば、全くの無知ぶりを知るに違いない。そんな自分を知りたい、という興味がある。
[一日の終焉]
一日精一杯生きていれば、夜になって何か考えようという余力は残っていない。私的には夜は、力を出し切って精魂尽きて死ぬが如くに倒れる方が良い。したがって、夜に記録することは無理だと最近思う。故に、[始まりの終わり]とは、はじめに前世(前の日)の振り返りから始めるということを意味する。それが朝聞道夕死可也、という文言に帰結する。
本ブログの公開を忘れていた…
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