コラム
健康記録
ロカボ食実践7日目 朝の目覚めが良い
→ 健全な肉体の上に精神的なエネルギー源も必須である。それで初めて目覚めが良くなる。精神に宿らせる神々は何者だったか…今ひとつだ。
出会い(植物編)
ハクチョウゲ (ハクチョウゲ属の一種)
別名:ハクチョウボク(白丁木),バンテイシ(満天星)、ハクチョウゲ(白丁花)‖花弁 白1㌢程度[アイキャッチ画像]
240616-新電元工業(株)裏道壁の花壇
[説明]ハクチョウゲは刈り込みに強く丈夫なため、盆栽や生垣などによく用いられます。和名は白い丁子(チョウジ)形の花を咲かせることから来ており、「白鳥花」と書かれることもありますが鳥のハクチョウとは関係がありません。葉は揉むと悪臭がし、日本ではほぼ実をつけません。
コラム
植物ホルモンについて
先日、植物の葉の裏を顕微鏡で観察する機会がありました。気孔がランダムに開いていたり、閉まっているのが観察できました。この気孔をコントロールしている植物のシステムを知りたいと思い、理科の先生に質問しましたところ、以下のような回答がありましたのでシェアします。
質問
気孔をよく見ると口が開いているものと閉じているものがあります。どのような仕組みでコントロールされているのでしょうか?
解答
現在全てが解明されているわけではありませんが、以下の通りです。
<閉じる仕組み>植物周辺の水分が晴天などで不足すると、植物内でアイシジン酸という植物ホルモンが合成され気孔が閉じます。
<開く仕組み>光に反応して開きます。特に、青色の光が有効です。
※ 閉じる時も、開く時も化学変化がおきて、細胞の中にカリウムイオンが増減することにより細胞の水分で膨らんだり、しぼんだりしています。
今のところ人工的に自在にコントロールはできないようです。
追記 240614
一般的に「ホルモン」とは、動物の体内のある器官で分泌される有機化学物質のうち、分泌した器官とは別の器官に作用し、一定の変化を与えるものの総称です。
一方、分泌器官が明確でない植物に関しては、その植物自身が作り出して微量で作用する生理活性物質や情報伝達物質を指して「植物ホルモン」と呼んでいます。
</net> 240616
感想
動物の場合は、ホルモンは特定の器官で合成され、それ以外の器官に送られて生命活動が営まれているそうです。植物では臓器はないので、どこというのがわからない、という記事を見かけました。まだまだ謎は深いようです。
4コマ漫画 作 yokoMandara
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のりさんのコラム
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詩歌研究
いきなり我流で始めましたが、過去の先達から多くのヒントをいただこう、という気になりました。
俳句だと松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規、石川啄木、与謝野晶子、とか、古いところでは柿本人麻呂、、他はあまり知らない。元々関心を持ったことがなかったが、これから継続すれば自然に視界が広がるはず。
一句ぐらい多少の感動を与えられるようになりたいものだ。
今日は石川啄木について
彼の略歴(1886〜1912)
- 1886年 岩手県日戸村生れ。
- 村人からは神童と騒がれ、気位が高かったそう
- 盛岡中学在学時に「明星」に感銘、神童も文学に傾注するあまり、成績が落ちて、それが契機となり放校処分に至ります。
- 17歳の時、文学を志して上京するが、健康を害し帰郷 ‖ この時、与謝野晶子夫妻と接触があった。
- 20歳で処女詩集『あこがれ』を出版、天才詩人の評判を得る。
- 1912年 両親妻子を養わねばならぬ貧困の現実に直面し、大逆事件* を契機に社会主義思想に目覚めたが、肺結核で不遇の幕を閉じた(享年26歳)。
net記事では27歳という記事も見受けられる。が、単純計算で26歳で間違いない。→失礼、享年27歳。こちらの方が正しい。
石川啄木の作品
- 生前の作品 歌集『一握の砂』
- 死後友人らの手で出版された作品に『悲しき玩具』、詩集『呼子と口笛』
以下、『一握の砂』から抜粋
いきなり,有名とされる句を探してきました。太字の短歌は聞いたことがあります。私は、それ以外は初めて触れます。一番下の句は、NHKの教育番組で紹介された短歌です。
- 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる
- 類(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず
- 砂山の砂に腹ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日
- たはむれに母を背負ひてそのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
- はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
- 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来きて妻としたしむ
- 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし 十五の心
- ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
- やはらかに柳あをめる北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに
- ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
四句目の句は、私の親父を背負った時のことがよみがえり、一瞬、時が止まった。私の場合は、戯れではなく、病院に同伴した時のことであった。プライドの高い親父が、私の背中におぶさるとは夢にも思わなかったことであろう。それを思えば、哀れで涙も溢れてくるというものだ。
本日はここまで
[注釈]大逆事件とは
大逆事件は、明治15年に施行された旧刑法などの法を適用し、天皇家一族を狙って危害を加えたり、加えようとすることに対する罪で逮捕・訴追された事件の総称。参照Wikipedia。
明治時代後期、日本では急速な近代化とともに、社会主義や無政府主義(アナキズム)といった思想が広まりつつありました。政府はこれらの思想を危険視し、厳しく取り締まるようになっていました。1910年、宮下太吉や幸徳秋水などの危険思想者と言われる人たちが天皇暗殺計画を立てているという情報が当局に伝わりました。そして、事件は大量の逮捕者が出て裁判は秘密裏に行われ、1911年、26名の被告が大逆罪で起訴されました。そのうち12名は死刑、残りも重い刑に処された事件です。大逆事件といえば、この1910年の幸徳事件を指すのが一般的です。
この事件を契機に、日本国内では社会主義や無政府主義に対する取り締まりが一層厳しくなり、言論の自由が大幅に制限されました。これが大逆事件と言われているものです。[参考 Wikipedia、ChatGPT、他]