日記240619(水)晴れ❗️

コラム

健康記録[ロカボ食]

体調‖冒頭、

朝食‖ ロカボ食→野菜のみ、主食省き

昼食‖無し

間食‖ 17:00-17:30 ホッピーセット + ニラレバ炒め単品

夕食‖ロカボ食 | 作り置きのキャベツ(湯通し)・胡瓜・トマト・大豆(自前で茹でた)を最初に食べる。次に、タンパク質源(豚切身を味噌汁の中でしゃぶしゃぶ風に茹でて食べる)、味噌汁は豆腐、卵、こんにゃく、モヤシをあらかじめ作って温めておく。肉を茹でる!時には火をつける。その次が主食の炭水化物、今日はパスタ一掴み。これは食べすぎると眠くなり、運動にもゆけなくなり、体調を悪くする。

夜食 ‖ 無し

22:00– 23:00- 就寝

出会い[植物編]

飯能の能仁寺前のバス停にて咲く蓮の花

ハスは1億年以上前から存在していたとされ、仏教やヒンドゥー教では神聖な植物として登場します。インド、スリランカ、ベトナムの国花でもあります。花は午前中に咲き、午後には閉じてしまうのが特徴です。根は蓮根として食用に使用されます。

芸術[まず国語…英語より上位にあるべき]

書き順が難しい

……▼俳句例

  • 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 ‖ 静は外部、閑は、心の中を表す。秀逸、松尾芭蕉
  • 古池や蛙飛び込む水の音 ‖ 秀逸、松尾芭蕉
  • 春の海終日のたりのたりかな ‖ 終日はひねもす、と読む 与謝蕪村(よさぶそん)

……▼サラリーマン川柳例(資料はいただきもの)

  • 増えるのは税と贅肉減る贅沢
  • 物価高見ざる買わざる店行かず
  • マスクなし二年目社員の笑顔知る
  • ペイペイを覚えた父の無駄遣い
  • パスワード チャンス3回 震える手
  • アレとソレ 用事済むのが 日本流

自作してみた

老年忘れ易く顎出し易し ‖ ←少年老い易く学成り難し、から。

石川啄木→与謝野晶子→松尾芭蕉→与謝蕪村

……

松尾芭蕉の生涯と生きた時代背景

松尾芭蕉が生まれた年に、どんな人が世の中で活躍していたのか?

https://www.weblio.jp/content/1641%E5%B9%B4

芭蕉の活躍した時代の著名人の生涯(没は享年)

  • 松尾芭蕉1644年~1694年51才
  • 柳生 宗矩1571年~1646年75才没
  • 林羅山 1583年~1657年75才没
  • 松平 信綱1596年~1662年48才没
  • 徳川 家光 1604年~1651年48才没 三代目将軍
  • 由井 正雪1605年~1651年47才没
  • 保科正之1611年~1672年62才没
  • 渋川 春海1639年~1715年77才没
  • 徳川家綱1641年~1680年40才没 4代目将軍

芭蕉の略歴(1644〜1694 享年51歳)

1644年 出生:伊賀国上野(現在の三重県伊賀市)にて生まれる。本名は松尾金作。

この年、家光の長男、徳川家綱が第4代将軍に就任した。

1656年頃 – 俳諧との出会い:仕えていた藤堂家の藤堂良忠(井原西鶴の従兄弟)と共に俳諧に親しむ。しかしオン歳12歳だ。早熟!

1662年-18歳。俳諧師としての活動を始め、初の俳諧集『貞門の俳諧』に作品が掲載される。

1672年 – 28歳。『冬の日』発表:最初の俳諧集『冬の日』を発表。

1675年 – 31歳。俳諧の修行と生計のため、江戸へ移住。江戸で多くの俳諧仲間と交流。

1680年 – 36歳。江戸深川に草庵を構え、「芭蕉庵」と名付ける。ここで「芭蕉」の号を使用し始める。

1684年 – 40歳。最初の長旅に出発。この旅で『野ざらし紀行』を執筆。

1686年- 42歳。代表作である「古池や蛙飛びこむ水の音」を詠む。

1689年 – 45歳。奥の細道:奥州や北陸地方を旅し、『奥の細道』を執筆。

1691年 – 47歳。幻住庵:京都嵯峨の幻住庵に滞在し、多くの俳句を詠む。

1694年 – 病気により大阪で死去。

芭蕉の芸術句が生まれるまでの経緯

有名な「古池や蛙飛こむ水の音」は、芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出る3年前に詠んだ句である。この句で芭蕉は独自の句風に目覚めたといわれています。

この句がそれまでと異なるのは、蛙が水に飛び込む音だけをたよりにイメージを膨らませて吟じているということです。

つまり、蛙が飛び込むのを見ずに、その音を聞いて“心の世界”に現れた現実には存在しない「古池」を詠んだ。その後、芭蕉はさらに俳句を極めようと「歌枕* の宝庫である“みちのく”」への旅を志したものと思います。陸奥の自然の美しさに遭遇し、感性がさらに磨かれたのでしょうね。

* 歌枕とは

歌枕は、日本の和歌や俳句において、特定の地名や景勝地を指す言葉です。これらの地名は、その土地にまつわる歴史や伝説、美しい風景などの文化的背景を持ち、それが詩の中で情緒やイメージを豊かにするために使われます。

歌枕は、単なる地名としてではなく、詩の情緒や意味を深めるための重要な要素として、古くから日本文学において用いられてきました。交通網が発達していない社会ですから、やたら行けないところを人伝に聞いて想像するしかなかった、とうかがっています。

奥の細道で詠んだ俳句10選

  • 行く春や鳥啼き魚の目は泪 ‖ 元禄2年3月27日に江戸深川を出立した芭蕉は、門人の曽良をともない、東北・北陸地方をめぐり、8月21日に大垣に到着した。
  • 草の戸も住み替る代ぞ雛の家‖ 仙台の古くなった草の戸を詠んだ句。
  • 夏草や兵どもが夢の跡 ‖ 平泉で詠まれた戦国時代の名残を感じさせる句
  • 五月雨をあつめて早し最上川 ‖ 最上川の流れの速さを詠んだ句。
  • 閑けさや岩にしみ入る蝉の声 ‖ 山寺での静寂を詠んだ句。
  • 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る ‖ 芭蕉の晩年の心境を詠んだ句。
  • 荒海や佐渡に横たふ天の川 ‖ 佐渡島の雄大な風景を詠んだ句。私の育った海岸から佐渡島が見える。田舎の悪ガキはみなこの歌を知っている。私も、彼らから教わった。
  • 象潟や雨に西施がねぶの花 ‖ 象潟の風景を中国の美人、西施に例えた句。
  • 涼しさやほの三か月の羽黒山 ‖ 羽黒山の涼しさを詠んだ句。
  • 千年の柳だしきり夏の月 ‖ 越後の柳を詠んだ句。

参考図書:

歌の解説はまた別の機会があれば…次の歌人は、与謝蕪村の予定。人によっては芭蕉より評価している人がいると聞きますが、個性の違いで比較できるものではないと思います。

コラム

明日へのメッセージ

▶︎生成AIの構築アイデア(1/n)

原則的に苦手な記憶はAI任せる。日常的に使う必要があることは、AIに記憶方法を尋ねてインパクトのある記憶手段をAIは提供する ‖ 現状のシステムで可能なはずだ。

→ 俳句作成を支援するシステム

→→ システムに季語を登録する⇒データベース化 ‖ 基本を登録した後、手動で都度増やしてゆく⇒自分専用の支援システムになる。

→→ 気持ちを表す日常語句、これも基本的に予測できる語句は登録しておく。手動でも登録できるようにしておく。次に、

→→ この語句を声で入力すると、そのワードを媒介として、俳句の季語を答えられるだけたくさん抽出する。この時、すでにインターネットに流れているワードもAIとして集めて提供する。

→→最後は自分でまとめるしかない。

▶︎少年老い易く学成り難し

→ 川柳

  • 老年忘れ易く顎出し易し
  • 若者は未来を語りやがて来る老たるものは過去を語るれり
  • 若者の価値は未来にあり、老たるものの価値は過去にある
  • 若者は未来に投資し、やがて来る老たるものは資産を遺す
  • 資産とは、有形無形の文化なり
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