呪文
一日一生、呪文で瞑想、事始め
- 朝聞道夕死可也
- 人間至る処青山有り
- 人間万事塞翁が馬
- 転生
日常訓
- 興一利不如除一害
- 生一事不如省一事
一利を興すは一害を除くに如かず
一事を生ずるは一事を滅するに若かず
今日の親父達のお小言三選
- 初心は忘れるな、
- 人には腹を立てるな、
- 恩は遠くから返せ
初心、もう遠い昔のことか?
ここ近年、考えたこともない。忘れている。若い頃は、繰り返し目にした言葉だ。啓蒙書の中の常備薬みたいなものだった。しかし、今どうなのか少し考えてみる。
まず、親父の小言でも同じであるが、普段容易にできることであれば、その言葉の価値は全くない。注意も何も必要がない。例えて言えば「お腹空いたら何か食べるんだぞ」なんて教訓が親父の小言にあっても全く受けないだろう。詰まるところ、自分がなかなかできないことで、そうしたい自分がいる、そんな言葉が人気をもたらすのだろう。
ある時、受験が近い高校生の学校の掲示板を見る機会があった。将来こうなりたい、とか、大学合格に向けての我慢や頑張る目標、心構えだとか、その時の願望、希望がかいてあった。興味深いことは、その人は、なるほど本人はそうしたくても、なかなかできていないことなんだな、と見ることができるので、とても面白く感じた。彼女が欲しい頃の男子校だから、元気溢れる若者が大学受験のための我慢比べのような本音の殴り書きの言葉も面白く、また、可哀想な受験時代のもったいない青春を感じたりもした。
閑話休題。
人々が感動するような教訓、訓話というものは、それを発する人の困難な体験から生まれたものが多いように思う。その中から、知らず知らず目標とする。これが初心ではなかろうか。