7:00-9:00 モーニングタイム
朝食‖ 作り置き湯通済キャベツ刻み→野菜肉+パスタ入り→薬3種 ‖ →印は、順序を示す。
眠い、寝るかどうか→外に出る→銀座へ向かう(経済シンポジウム参戦)
9:30- たった今、飯能から準急に乗車し池袋に向かってる。電車はガラガラである。眠い。〜10:20池袋駅着地予定💤
📌 11:10-有楽町着、シンポジウム会場へ
→ ヒューリックホール東京 11F 会場確認、まだ閉鎖中につき有楽町界隈を散策。
→ コンビニ見つからないので、珈琲店を探していたところ、銀座インズ2にKFC(ケンタッキーフライドキチン)が見つかった。珈琲。→ ピカデリー(ルミネ内)に戻る。→ 11階へ。
📌 📌 11:30-時間早すぎた。2時間も違ってる。13:30が正解💦
再び散策。ここで時間を潰そう。
行き交う人々の流れを見ていると、吉田兼好の徒然草の書き出しを思い興す。「つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
「あやしうこそものぐるほしけれ」の現代語は「なんとなく、一日を過ごし、硯に向かいあって心に浮かぶとりとめのないことを書いていると、妙に狂ったような気持ちになる」という意味になる、という解釈らしい(実際は数多くの解釈がある)。しかし、天気も良く、別に気が狂うような気分ではない😸心地よい日である。
【参考】ついでに、吉田兼好のエピソード[NHKSchool scena 03より]を参考にしてみた。
『徒然草』の作者、兼好法師は、13世紀末、京都にある神社の神主の家に生まれました。子ども時代のエピソードが『徒然草』の中に残っています。「人は何として仏にはなり候やらん」。数え年で8歳のとき、兼好は「人はどうやって仏になるのですか」と父に尋ねます。「仏の教えによって仏になる」との答えに、兼好は「その教えた仏を教えたのは誰ですか」と問い返します。「さらに前の仏が教えたのだ」と言う父に、「ではいちばん初めの仏は?」と食い下がります。困った父はうまく答えられず、おもしろがって笑ったといいます。✍️ 兼好の誕生日は見つからない。生きた時代は鎌倉時代末期〜南北朝時代。1350年に没している。
📌 13:20 会場へ向かう。目的は、例えば我々が普段ウォッチさせられているニュースに偏向はないか、判断材料に加えるためである。
📌 11:35- 現場へ行っても様子がおかしい。受付に確認したところ、予定は明日であることがわかった。ボケは仕方ない、、、有楽町散歩の歩数稼ぎで適当に帰宅する。そのせいで今日は1万歩いけそうだ💦→8000歩
- 間違えて 五月晴れに 遠出する 有楽町の 街並み拝見
→ 飯能日高屋で間食後帰宅
📌 18:30- 昼寝から目覚めてみると足元に”きなこ”のイビキ響き渡れり
しばらくすると、私が目覚めたことを知ったか、どこかへ消えた😸 しばらくするとまたやってきて、まだ起きないか?みたいな😸
📌 〜21:20 夕食‖ ロカボ食 主食はパスタ。まだ余っている。
体が休戦モードだ。適当に運動して寝るしか出来ない。食べたばかりで寝るのはよくないが、起きていても何も出来ない。寝るしかない。⇒ 改善点 ‖ 遅くなる前に食べてしまうこと。
ニュースウォッチ
- 首相「電気・ガス8~10月補助」物価高に対応 ‖ 年金受給者らに給付金、経済対策を検討
- 日産、中国生産能力1割減 ‖ 販売低迷、初の工場閉鎖
- 大学発スタートアップ、5年で9割増 ‖ 富山は4倍、元経営者知事が旗振り 地方に起業広がる
- 車、中国で値下げ競争激しく日産工場閉鎖 ‖ 日本車、ピーク比2割減 ホンダは人員削減
- 万博の前売り券、コンビニ発売へ ‖ ネット販売低調受け
- 歳出改革、一貫性欠く骨太の方針 ‖ 続く家計支援、財政に重荷、エネルギー国家戦略を策定 ‖ 政府が21日に閣議決定した経済財政運営と改革の基本方針は国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)を2025年度に黒字化する目標を盛り込んだ。岸田文雄首相は物価高対策として電気・ガス代の補助や年金世帯への給付金支給を表明した。政府の歳出改革は一貫性を欠く。
- 東大名誉教授:吉川洋氏 ‖ 基礎的財政収支の2025年度の黒字化目標を明記したのは評価したい。震災などに備えて財政余力を残すことは必要だ。物価上昇率が2%台で推移し、完全雇用のような状態にある。財政出動はあり得ない。個人消費が伸び悩んでいるのは、社会保障の将来不安が最も大きい。財政赤字の本丸である社会保障改革の道筋が示されないから不安が払拭できない。政府が真正面から取り組み、税や社会保険などの負担について説明することが必要だ。<私感>この学者は、政府の御用学者だと思われる、一部同意出来ない</私感>
- 孫正義氏、エヌビディアに対抗心ソフトバンクG株主総会 ‖ AI戦略「今でもアーム買い即決」※昨夜掲載済み…曰く、アームにはIC設計の天才がいる、という。✍️ 共存関係になるしかないと思われる。独禁法の縛りがあるので、独占に近い勢力は築けない。それに、アームはまだまだIT業界で可能性に富む会社だとは思う。
- 仮想通貨、国内上場企業31社が保有 ‖ 3年で倍増‖日本、監査体制に後れ
- 「台湾独立行為に死刑」 中国が指針 、頼政権を威圧 ‖ ✍️ 香港のようにならなければ良いが…そのような危険を感じる
- がん「5%の体重減」注意 ‖ 早期に対応、生存率の向上もがんの診断後に起きる体重減少を放置すると、生存率が大きく下がることが分かってきた。
- 東大、授業料2割上げ提案 ‖ 学長「教育改善待ったなし」 「進学機会に格差」の声も ‖ ✍️ 授業料無償化が進められようとしている時に、値上げムードに乗じている。国立大を貶めている。
話題になっているニュースの表面をほぼウォッチしたのみとなります。
コラム
健康記録
朝食‖ 思い出し中
昼食‖ BaceBread2個
間食‖ 日高屋 生姜焼き単品 + 飲み物(ジョッキー)
夕食‖ 間食したせいで空腹ならず。野菜がきれている。
出会い(植物編)
タイム(イブキジャコウソウ属の一種)(Thymus)
別名:コモンタイム、タチジャコウソウ(立香草)、ガーデンタイム >シソ科
240620-新電元工業(株)側道花壇
タイムは日当たりのよい場所で低い茂みをつくる常緑小低木です。適した土壌では、数年おきに有機肥料を与える程度の手入れで問題なく育ちます。代表的な料理用ハーブで、乾燥でも生でも使用され、各国料理で欠かせない食材になっています。
タイムは日当たりのよい場所で低い茂みをつくる常緑小低木です。適した土壌では、数年おきに有機肥料を与える程度の手入れで問題なく育ちます。代表的な料理用ハーブで、乾燥でも生でも使用され、各国料理で欠かせない食材になっています。
オシロイバナ(ミラビリス属 ‖ 花弁は5㌢、葉は10〜15㌢細長い。朝顔に似ている。この他に、白、赤(やゝピンク)3種、近くに見える。
240621-飯能南口でて左側沿道左側
オシロイバナは、江戸時代に観賞用として日本に持ち込まれた多年草本です。黒い種子を割るとおしろいのような白い粉が出てくることから「白粉花(おしろいばな)」と名付けられました。夕方頃に花が開き、翌朝日が昇ってからしぼみます。‖ 夕方に蜜を求めてくる昆虫は?
検索したら、「おしろい花 」という歌謡曲が、、
https://www.uta-net.com/movie/14916
詩歌
投稿者 のりさん
弟の思いで
- 幼少に 弟をまいて 遊びけり
- 弟は ちょっとお先にと 旅たちぬ
- 姉の背に おぶわされたと 姉は言い
- その姉は ちょっとお先にと 旅立ちぬ
その他
- いただいた 大福の重さ ズッシリと
- 養育院 病院となり ガン治療
- 年月の 経ちたる手を観て 驚けり
- 雨足が 斜めになって 北の風
- 黒い影 大樹の中で 雨しのぐ
- 雨音が ますます激し この住まい
正岡子規の生涯について
天才と言われるような方で短命の方が多いのに驚きます。ちょっと考えただけでも、石川啄木(享年27)、樋口一葉(24)、瀧廉太郎(24)、宮沢賢治(享年38)、正岡子規(34享年36)、若山牧水(享年44)、、肺炎で亡くなった人が多い。
正岡子規 1867/10/14〜 1902/9/19(享年36)
彼の本名は常規(つねのり)で、「子規」という雅号は、漢詩の一節「子規啼いて血を吐く」に由来します。
略歴
- 幼少期と教育
- 1867年:伊予国松山(現在の愛媛県松山市)で生まれる。 ‖ 彼の地では今でも市をあげて俳句がふんだんに推奨されているそうです
- 1878年:松山中学(現在の松山東高校)に入学。文学や詩に興味を持ち始める。
- 東京進学と文学活動の開始
- 1883年:上京し、大学予備門(現在の東京大学)に入学。後に東京大学予備門に進学。
- 1884年:大学予備門在学中に俳句に興味を持ち、俳句の創作を始める。
- 俳句と歌の革新
- 1887年:『ホトトギス』という俳誌を創刊し、俳句や短歌の革新運動を推進する。
- 1888年:肺結核を患い、以後健康状態が悪化する中で執筆活動を続ける。
- 『ホトトギス』の成功と影響
- 1895年:日清戦争に従軍し、従軍記者としての活動を行う。
- 1898年:『ホトトギス』の成功により、正岡子規の名声が広がり、俳句や短歌の革新者としての地位を確立する。
- 晩年
- 1902年:9月19日、東京で肺結核により34歳で死去。
主要な業績と影響
- 子規は伝統的な俳句や短歌の形式を革新し、より写実的な詩風を提唱しました。
- 彼の影響を受けた多くの俳人や歌人が登場し、日本の近代詩の発展に大きく貢献しました。
著作
- 『歌よみに与ふる書』:和歌の革新を訴える評論。
- 『獺祭書屋俳話』:俳句に関する随筆。
- 『病床六尺』:病床での生活を綴った日記。
正岡子規の文学活動は、短命ながらも日本文学に大きな影響を与えました。彼の革新精神は現在でも評価されています。
正岡子規の詠んだ俳句・短歌
- 柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
- 秋の風情と歴史的な法隆寺の鐘の音を詠んだあまりに有名な句。
- 春や昔 十五万石の 城下哉
- 春の訪れと出身地松山城下の繁栄を懐かしむ句。
- いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
- 雪の深さを何度も確認する情景を詠んだ句で、自身が病気で伏せていたという背景を知ると尚深く胸がつまります
- 糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
- 病床での自身の状態を詠んだ句。
- くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
- 春雨に濡れる薔薇の新芽の柔らかさを詠んだ句。美しい旋律を感じる名句です。
- 病床六尺の たまものとても 銀杏を むいて小春日 和を楽しむ
- 病床の狭い空間の中であっても、銀杏をむいて小春日和を楽しむ。病牀六尺は、正岡子規の著作物(記 既述)の題名でもあります(岩波文庫)。