今朝は雨が止んでいた。

📌 13:00- 有楽町にいる
これ以前は記録なしの過去。いつもと変わらず、語る内容無し。
予定 atヒューリックホール東京
📌 14:00-15:30 講演テーマ
「…令和の日本に必要な真の経済政策」
📌 15:40-16:30 質疑応答
📌 17:00- 池袋 帰路中
📌 22:00 作り置きmaking 夕食

おやすみ中でーす♪
22:00- 食後2h待ち 休憩
24:00- 就寝
ニュースウォッチ
- 大谷翔平、3試合連続23号2ラン 鈴木誠也は2安打
- 前線活発化し大雨の恐れ 全国で梅雨入り
- 半導体「AI覇権」争う米欧、出遅れ日本も攻勢
- 自民・茂木幹事長、総裁選への対応「夏によく考える」
- 自民・石破茂氏、総裁選への対応 「時機を見て結論」
- トランプ株高再来するか 関税・移民政策インフレ圧力に ‖ 迫る大統領選、下期相場を展望
- 小池氏がリード、蓮舫・石丸両氏追う 都知事選序盤情勢 ‖ 日本経済新聞社は21〜23日に序盤情勢調査を実施した。現職の小池百合子氏(71)がやや優勢で、前参院議員の蓮舫氏(56)、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏(41)が追う展開となっている。 ✍️ 顔を知られている順である。日本の民族性なので予測がつく。間接選挙制は大きく捉えると正義ではなく広告力で決まる。選挙民は公約は覚えていない。海外だと公約を守らないと落選する、ともいわれている。が、日本はそもそも50%は選挙にいかない。細かいことは言わない、お任せします、誰がやっても大差ない、、という気持ちなのだろう。
コラム
健康記録
朝食‖ BaceBread2個
昼食‖ BaceBread2個
夕食‖ロカボ食[繊維質→タンパク質+脂質→炭水化物 →果物(杏)]、腹七分目。きゅうり皮付きを細かく刻み、ごま塩にアマニ油少し、そこへリンゴ酢を少量 ‖ 最高にジャリジャリして美味しい。
血圧 朝(106.62.85)夜(118.69.71)
歩数7300
体調 異常無し、歩き 杖あり快調
出会い(植物編)アイキャッチ画像
ハブランサス・ロブスタス (ハブランサス属の一種)別名:ピンクレインリリー
240623-新電元工業(株)側道入口家屋の庭
ハブランサス・ロブスタスは観賞用に広く栽培される球根植物です。夏から秋にかけて、花びらの淡いピンクの濃淡が目を引く大きな花を咲かせます。種をまく以外にも分球で増やすことができますが、毒性があるため取扱いには注意が必要です。
詩歌
▶︎投稿者 のりさん◀︎
雨音が ラジオの音を 消し去りぬ
雨上がり 静けさ戻る 炎天寺
雨上がる 束の間の静けさ 啼く鳥ら
雨上がり 宅配の人 喜んだ
大樹あり 聞こえくる咒は 炎天寺
* 雨上がりの句ですが、また、降ってきました。まさに、梅雨です。一眠りしたくなりました。
▶︎ 本日の詩歌 人物史 若山牧水◀︎
若山牧水 1885/8/24〜 1928/9/17(享年44)
### 初期の人生
若山牧水は、宮崎県東臼杵郡(現在の延岡市)で生まれました。本名は若山繁です。彼は幼い頃から詩や歌に興味を持ち、地元の小学校を卒業後、中学校に進学しました。その後、宮崎県立延岡中学校(現在の宮崎県立延岡高等学校)を経て、早稲田大学文学部に入学しました。✴️同級生に北原白秋がいます。1904年(明治37年)早稲田大学に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれました。
### 文学活動の開始
大学在学中に短歌や詩の創作に本格的に取り組み、1907年に処女歌集『海の声』を刊行しました。この頃から彼の文学的才能が注目され始め、同時代の文学者との交流も深めていきました。
### 歌集の刊行と結婚
1910年に大学を卒業後、牧水はさらに創作活動に専念し、次々と歌集を発表しました。彼の代表作には『海の声』(1907年)、『白梅集』(1910年)、『枕草子』(1912年)、『葡萄棚』(1913年)などがあります。また、1910年に結婚し、その後も家庭生活と創作活動を両立させながら、多くの優れた作品を生み出しました。
### 旅と自然
若山牧水は自然を愛し、多くの旅行を通じてインスピレーションを得ました。特に、山や海、川などの自然景観に触れることを好み、それらを題材にした詩や短歌を数多く残しています。
### 晩年と死
1928年、若山牧水は慢性の肺疾患により東京で亡くなりました。
### 遺産と評価
若山牧水の作品はその自然描写の美しさと感情の深さで高く評価されており、日本文学における短歌の重要な作家の一人とされています。彼の詩や短歌は今日でも多くの人々に読まれ、研究されています。✴️俳句は少ないようです。
歌人 若山牧水はわずか43年の短い生涯の中で実に9,000首(未発表含む)もの多くの歌を残しています。 文才にすぐれ、短歌の他に随筆、童話、紀行文などを数多く手掛け、また新聞・雑誌歌壇の選者としても広く活躍しました。
…翌1928年9月に日光浴による足の裏の火傷と下痢・発熱を起こして全身衰弱し、長年の大量飲酒による急性胃腸炎と肝硬変を併発して9月17日に沼津市の自宅で死去する。 享年43。 沼津の千本山乗運寺に埋葬される。 戒名は古松院仙誉牧水居士。
若山牧水の短歌
- おもひやる かのうす青き 峡のおくに われの生まれし 朝のさびしさ …
- 父の髪 母の髪みな 白み来ぬ 子はまた遠く 旅をおもへる …
- 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり …
- はつ夏の 曇りの底に 桜咲き 居り衰へはてて 君死ににけり …
- 白鳥は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ
- 幾山河超えさりゆかば寂しさの果てなむ國ぞ今日も旅ゆく ‖ どれだけ山や川を超えたら寂しさが果てる国に辿り着くのだろう、そんな国に辿り着くことはないが、いや、もしやという気持ちが今日も旅をさせている、、、
俳句はあまり残していないようです。二句掲載。
雛買うて祇園を通る月夜かな
月一つ落葉の村に残りけり
出典: 人物史(ファクトチェック不十分)Wikipedia、ChatGPT、他、Google検索による。
シンポジウム参加の感想
これまで主張してきた経済関係のコメントがズレていないか気になっていた。今日は、少なくとも勘違いはなかったことを確認出来た。野党、与党、評論家、学者の意見を聴きながら、私が主張するまでもないことだと思って少し安心した。
一つ救われたのは、財政法を変えなければいけないという発言をはっきり聞くことができたことである。これで溜飲を大いに下げることができた。
ただし、政治家の大半が無知であるという発言には、改革に至るまで、相当先が長いな、と思った。
そのおかげで、これから先、安心して気を揉まなくて済む。ストレスが減ると同時に、この件は今後私のような隠遁者が目くじら立てる必要はなく、世俗を離れて他に注力できる、という確信が得られた。安心して別の分野にシフトできる。その意味では今日のシンポジウムの意義があった。
新しい知見について、ランダムにリストアップしておく。
- 財政法4条の他3条も理解しておくこと
- 消費税の導入時の経緯。最初3%を導入した時期はバブル期であった。日本がアメリカの土地を漁ったりしていた行き過ぎた行為を懲らしめる(経済を弱体化)意図があった。弱体化が動機なので、導入するときに3%以上には絶対にしてはならない、という意図があったが、いつのまにかそれは忘れ去られた。✍️過ちは年々大きくなってゆき、それを決めた人たちの権力が残り、歴史は遡らない!
- 財務省がPB黒字化をいうようになったタイミングは聞いたが詳しくは忘れている
- すでに野党間で横断的にインボイス廃止法案が提出されている。
- 一度決めた責任があるので、自民が続く限りは軌道修正は期待できない(だろう)。
- 他、略。
今回の骨太方針で「財政再建へ25年度のPB黒字めざすと3年ぶり明記」という一文が有る。裏増税の根拠である。明らかな政策の矛盾である。しかし、財務省の見解では、25年度末までは、実は問題は起きない(余力あり)なのだそうだ。なので奥の手はあるのかもしれない。問題を放置した場合、自民が崩壊する(日本が崩壊する)という認識は持っているようだ。