日記240627(水)曇

コンビニで読売新聞、珈琲、ファミチキ買って新聞を眺める。やはり新聞紙面は全体が一度に見通せるのでSNSとは比較にならない安堵感が湧く。at神保町の専修大裏コンビニ。お昼の満員に驚き退店。

記念に撮影。専修大近く。高くなった。

私の記憶からは30〜50%高くなったと感じる。持参のBaceBreadを公園で齧る。

📌 14:00- 予定:今日は昨日アップした4コマ漫画、戦中モデルのMさんの貴重なお話が聞ける。楽しみだ。

→滅多に聞けない戦中の凄まじい実体験談を聞くことができた。こんな機会は滅多にあるものじゃない。また機会あれば同じことでも何度でも聞きたい。まだまだ自分の苦労が足りてない、と思いたい。

📌 15:00- 15:30 糖質疲労が少し出た。隣の部屋で2、3分休憩して目を瞑っただけで、回復した。

📌 15:30- 帰路

→ スーパーで食材少し購入。モヤシ二袋、これは繊維質の定番。あとはロカボ食の調味料のマヨネーズ、それに、、牛乳無調整。

📌- 19:00 – 夕食‖ ビール2缶150×2=300ml、大豆入り胡瓜ごま塩サラダ→タンパク質は、牛肉(生協冷凍物) 作り置き⇒人参、椎茸、豆腐、玉ねぎ 煮込み。

📌 -20:00 休憩 ☕️

📌 22:00-going to bed

“きなこ”の日記

久しぶりに猫の習性について記録する。その前に、今は換毛期のようで、まるで円形脱毛症の時のように、ボソボソっと毛が抜けてくる。あちこち、ドサっと毛が抜け落ちていたりする。コロコロでは間に合わない💦

‖ 30才後半によく円形脱毛になった経験がある。お風呂で髪を洗っていて、ボソッと抜けてくる。そして、おかしいなとその辺りを触ると、ツルツルしている。

焦って鏡を見ると円形に禿げている。当時何回もあった。忙しいので医者に行く暇がない。同僚に聞くとストレスだとか言われたが、放置していると、そのうちうぶ毛が生えてくる。そして元通りになるのだった。

何回か経験した。一回サインペンで塗ってみたことがあったが、そのうち症状はなくなった。その後は、60代で徐々に髪が薄くなり始め、脱毛症はなくなった代わりに、今度はうぶ毛は生えてこなくなった😸😸

横道に逸れた。

半月前からか、一月前からかはっきりはしない。野生の性格を持つ”きなこ”であるが、家にいて退屈なのか、私の動く先々を嗅ぎつけてやってくる。私が寝てしまったりすると、離れる。その場合でも、近くで地べたに這いつくばって待機の姿勢をとっていたりする。

先ほども、Yogiboに腰掛けて休養していて、目を覚まして起き上がると、トコトコトコと駆けつる。近くにいたのか。そして足元に体ごとぶつけてきて、挙句に足を枕にしてドテッと体を預けてくる。

そうなると動物特有の弾力のある暖かさ心地も良い。そんなわけで、そっと少しの間なすがままにする。

しかし、ここで人間並に気を許すと、思わぬところで野生が出て齧られることもある。ある程度は用心して付き合わないといけないのだ。実に足首は齧られたあとの軽い傷だらけだ😸よく見ると、頭は小さい。可愛い。考えて行動するのではなく、反射神経で動くことが多いようだ。拳大以下の大きさの動くものは何でも攻撃対象に映るようだ(多分)。

今足元でゴロリと横になり、イビキが聞こえる。起きて立ち上がると、敏感に気づいて(多分)ついてくるだろう。さて、では、立ち上がって見る😸


ニュースウォッチ

偽の位置情報を見破る技術/ 研究開発開始 / 防衛庁と新興企業

衛星は機器固有の特徴をデータ化できる。その個別データを「無線指紋」とみなし送受信に利用し、第三者の攻撃による無線情報改竄による偽物を排除するというものです。

江戸時代に朱印船貿易で用いた「朱印状」、あるいは、室町時代、3代将軍足利義満が始めた倭寇(わこう)という、日本の海賊と正式な船を見分けるために用いた勘合符という札のようなものでしょうか。

この手法は今後主流になる可能性があるとしています。

円安一時160円70銭台 / 38年ぶりの水準

▲印の間隔が38年を意味します。あとほんの少し円安に振れて円高に移りそうな気配があるように見えます。もし、そこで一旦円高に振れた後に円安へ向かうと歯止めなき円安へと向かう。

河野ディジタル相総裁選出馬意向

麻生太郎氏と会談したことで、意向を伝えて協力を仰いだものと推測される。

米大統領選 / 正式指名前に異例の討論会

バイデン氏(81)対トランプ氏(78)である。いずれも私のほぼ同世代!まだまだ国のトップという重職を担おうというバイタリティには恐れ入る。支持者が降ろさせないのかもしれないが、私も頑張らなくては。

理系学部拡充に97校選定[文科省基金]

文科省は2032年度までに理系300学部新設・拡充を目指している。昨年の初回公募では、国公私立、高専など118校が選ばれている。

科学分野、特に今後急成長が見込まれるAI分野のテクノロジー分野における人材を強化して国力を上げようという狙いがありそうだ。それも、もはや一国では限度がある。

中途採用5割迫る、24年度「新卒中心」からの転換点[日経調査レポート]

日本経済新聞社が7日まとめた採用計画調査で、2024年度の採用計画に占める中途採用比率は過去最高の43.0%になった。

・中途採用比率は過去最高の43.0%
・補充要員ではなく、戦略的な経営
・新卒中心の採用慣行は転換点

少子化と人手不足を背景に、新卒中心の採用慣行は転換点を迎えた。

24年の初任給、上昇率4%超[民間調査]

民間シンクタンクの産労総合研究所は23日、2024年4月に入った新入社員の大卒初任給は前年より4.01%高い22万6341円だったと発表した。上昇率は1991年以来の高い水準になった。✍️ 教育費をつぎ込んできた新卒を、この程度の初任給で雇用できる大企業に、中小企業はなかなか太刀打ちできない。最も、採用する企業はさらに人材教育費をかけるわけなので、新卒としても大企業の教育システムは魅力があるのだろう。目先の賃金は決して高くない。

newソフトバンクG孫氏「医療とAIを融合」/ 米社と合弁発表

ソフトバンクグループ(SBG)は27日、医療データを人工知能(AI)で解析するサービスの立ち上げを正式に発表した。

注釈


コラム

健康

▶︎朝食‖ ロカボ食、主食は無し。タンパク質と野菜のみ。薬4種。

早朝起きてすぐBaceBreadを齧った気もする。昼の今、思い出せない。

▶︎昼食‖ BaceBread2個 (コンビニ| 珈琲とFチキ)

→ 15:00-15:30 糖質疲労が少しでたが、二、三分休養しただけで回復した。

▶︎夕食‖ ロカボ食 ‖ 野菜中身繊維質成分→タンパク質+脂質→炭水化物 ‖ タンパク質でも炭水化物を取らなければ糖質に変わるが、タンパク質の摂り過ぎは腎臓に悪い(かかりつけ医)ので、バランスよく炭水化物も取ること、らしい。炭水化物は、あとで。

▶︎血圧 正常値が続いているので、記録中止。しかも、6月から国の方針で160未満は高血圧判定に入れないとなった。何らかの明らかなエビデンスによるものだろう。尤も、6月からは、別の制度が始まり、医療費は上乗せされている。アンケート用紙が配布され、いわゆる生活習慣病の指導料がこれまでに加わることになっていた。その代わり、患者は減る。

▶︎歩数 9200歩 ‖ 目標 > 6000

沿道で出会った植物たちの記録

チドリソウ>チドリソウ属 ‖ 別名:ヒエンソウ


240627-新電元工業(株)側道花壇
チドリソウは、初夏にさまざまな色彩の花を咲かせる一年草です。花壇や庭で楽しめるほか、切花やドライフラワーとしても最適です。千鳥が飛ぶ姿のような花の形をしていることから、千鳥草という和名がついています。

短歌・俳句・川柳

▶︎投稿 のりさん

  • ジメジメと 身体に黴びが 生えるよう
  • 満席に なって始めて 驚けり ‖ お店繁盛、おめでとうございます。なぜ驚きなのでしょうか…満席になるとは思いもよらなかった?
  • 急きょ ご飯を炊いて しのぐなり
  • 騒がしい 朝から啼くは カラスです
  • 騒がしい 屋根を叩くは カラスです
  • 朝起きて 身体のダルさ 梅雨の空 ‖ 同感!
  • 朝目覚め もう少し眠たい つゆの空 ‖ 同感!
  • シュワシュワ ドグドクドグドク 炭酸水

リレー人物伝 山田耕作

山田耕筰 1886/6/9 – 1965/12/29(79亡)

日本の作曲家、指揮者、教育者として知られ、日本の近代音楽の発展に多大な影響を与えました。

生い立ちと教育

山田耕筰は現在の東京都に生まれました。音楽に対する興味は幼少期からありましたが、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)では音楽教育を本格的に受け、特に器楽と作曲を学びました。

ドイツ留学

1908年、山田はドイツのベルリンに留学し、ここで西洋音楽の理論と実技を深く学びました。ドイツでの経験は、彼の作曲スタイルや音楽観に大きな影響を与えました。

帰国後の活動

1913年に帰国した山田は、日本初のオーケストラ「東京フィルハーモニー協会」を設立し、指揮者としても活動を始めました。彼の指揮の下で演奏されたコンサートは、日本のクラシック音楽の普及に重要な役割を果たしました。

作曲活動

山田は、多くの歌曲、交響曲、オペラなどを作曲しました。彼の作品の中でも特に有名なのが「赤とんぼ」や「この道」といった歌曲です。これらの作品は、メロディの美しさと日本的な情緒を持ち合わせ、多くの人々に親しまれています。

教育と晩年

山田は教育者としても精力的に活動し、後進の育成に努めました。彼は日本の音楽教育制度の整備にも関わり、多くの若い音楽家を指導しました。晩年まで音楽活動を続け、その功績により文化勲章を受章しました。

山田耕作の時代背景を記す

山田耕筰が生きていた1886年から1965年の間のいくつかの出来事を順を追って記します。

📍 1889年**:大日本帝国憲法が制定され、日本は立憲君主制となりました。

📍 1904-1905年**:日露戦争が始まり、日本が勝利。国際的な地位が向上しました。(1906年は私の実父が生まれた年です)

📍 1912年**:明治天皇が崩御し、大正時代が始まりました。

📍 1914-1918年**:第一次世界大戦が勃発し、多くの国が参戦しました。日本は連合国側として参加しました。

📍 1918年**:米騒動が発生し、日本国内での社会不安が高まりました。

📍 1923年**:関東大震災が発生し、東京を中心に大きな被害が出ました。

📍 1929年**:世界恐慌が始まり、経済的な混乱が広がりました。

📍 1931年**:満州事変が発生し、日本は満州を占領しました。

📍 1937年**:日中戦争が勃発し、長期化しました。

📍 1941年**:太平洋戦争(第二次世界大戦の一部)が始まりました。日本は真珠湾攻撃を行い、アメリカと戦争状態に入りました。

📍 1945年**:広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本は無条件降伏し、戦争が終結しました。戦後は連合国軍に占領されました。

📍 1952年**:サンフランシスコ平和条約が発効し、日本は主権を回復しました。

📍 1956年**:日本が国際連合に加盟しました。

📍 1964年**:東京オリンピックが開催され、日本の戦後復興が世界に示されました。

📍 1965年 山田耕作、79歳の生涯を閉じる。

山田耕筰はこれらの出来事を通じて、日本の音楽界に多大な貢献をしつつ、激動の時代を生き抜きました。

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