コラム
人生100年時代に挑戦
老化と対峙 ‖
老化とは、食い止めようがない自然の摂理である。歳には勝てない、というのは真実である。身をもって経験している。これからさらに、経験したことのない毎日を迎えることになる。
老化とは、体の機能が経年劣化して病気になりやすくなる事、と(仮)定義する。そこで、病気になりやすいとは、免疫力の低下が一番の要因であろう。しかし、それは避けられない宿命である。では、それに対してどう考えるか、である。つまりは、免疫力を落とさないように常日頃から節制を心がけ、手を打ち、寿命を最大限使い切ることが課せられた課題である。
以上は、机上論、理想論である。理想があって、一歩でもそれに近づこうとすることが、未熟な人間の姿である。この考えも理想論なのであるが、以後は、この基本の上で、技術的な具体論になる。
闘病対応
生活習慣病(糖尿病・前立腺系・new肝硬変・筋肉量の減少・認知症リスク・等) ‖ 当面、認知症以外が対象
日常の記録
炭水化物(主食)は、食後20分以後に別にして食べる。薬はその後に服用する(薬に頼らないでゆくのか迷いあり)。続いて、食後30分以内に、5分以上の軽いウォーキング、ストレッチ。ストレスにならないよう、全てを幸せな気分で行うこと。
朝食‖ ロカボ食 心掛けていること⇒食事の順序 ‖ 繊維質と野菜・ビタミン類→脂質とタンパク質→炭水化物
昼食‖ロカボ食 ご飯もBaceBreadもキレてしまい、主食無し、野菜ばかりで、流石に消化はよくなさすぎるのだろう、お腹がおかしい。ナッツ類、ピーナッツなどで補填した。
間食‖ブロッコリーの茎を細かく刻んで温野菜(蒸す)にして食べた。歯触りが良くてつい食べすぎた。
夕食‖午後運動していないので、お腹が空かない。
→ ロカボ食、魚|シャケ、枝豆、主食は玄米100g
睡眠 ‖
リレー人物史 夏目漱石編
夏目漱石 1867年2月9日 – 1916年12月9日
→ 49才没、享年50才
本名は夏目金之助(なつめ きんのすけ)。
東京出身。東京帝国大学(現在の東京大学)で英文学を学びました。
略歴
– **教育者としての活動**:
卒業後、中学校や大学で英語教師として勤務しました。その後、文部省からの派遣でイギリスに留学し、そこで西洋文学や文化に触れることができました。
– **文学者としての活動**:
帰国後、1905年に発表した『吾輩は猫である』が大ヒットし、一躍有名作家となりました。その後も『坊っちゃん』、『草枕』、『それから』、『門』などの作品を発表しました。
– **晩年と影響**:
晩年は体調を崩しながらも、『こころ』、『明暗』などの作品を執筆しました。 ‖ 「こころ」は既読。なぜ名作なのか、特別に名作とは感じなかった。
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交友関係
### 正岡子規
– 漱石が東京帝国大学の学生時代からの友人であり、同時に俳人でもある正岡子規は、漱石に文学の道を進むきっかけを与えました。
### 高浜虚子
– 正岡子規の弟子であり、俳句の革新者として知られる高浜虚子とも親交がありました。
### 森鴎外
– 漱石と同時代の文豪である森鷗外とは、お互いにライバルでありながらも尊敬し合う関係でした。
### 津田梅子 新五千円札の顔
– 日本初の女子留学生であり、教育者としても知られる津田梅子とは、イギリス留学時代に交流がありました。
### 小宮豊隆
– 漱石の門下生の一人であり、漱石の晩年に最も信頼していた人物の一人です。小宮は漱石の作品の編集や普及に尽力し、漱石の死後もその遺産を広める活動を続けました。
### その他の門下生
– **松岡譲、寺田寅彦、久米正雄、芥川龍之介**など、多くの若手作家や知識人が漱石の影響を受け、その教えを受けました。