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コラム

人生100年時代を生きるために

▶︎まずは健康

食事→運動→精神の修養 ‖ 動的平衡の中で生きる

朝食‖ ロカボ食 主食まで食材回らず、

→ 納豆・バナナなど必要、ロカボ食の繊維質多過ぎ?

昼食‖ロカボ食 14:30- 軽く ビタミンB121錠

間食‖18:00 BaceBread1個、甘すぎて、砂糖を舐めっている感じだ。直感としてよくない。次回から停止する。

夕食‖21:30- 間食したので、お腹が空かない。しかし、明日朝までは持たないので、食べないわけにもいかない。📌 21:30-22:00 ロカボ食開始。そのあと軽くウォーキング予定。

運動‖ 6294歩数+草むしり15分

血圧 ‖ 朝(112.65.59)、夜(119.62.59)

健康記録 ‖今朝は繊維質(野菜など)と摂り過ぎの感じでお腹が少し具合が悪かった。特に異常では無し。

出会い 植物たち

タイワントリネコ>トネリコ属、フラクシヌス属>モクセイ科>シソ目
飯能南口大野屋食堂燐家-240710

タイワントネリコは、温暖な地域では街路様や公園、庭木として植えられ流常緑高木です。カブトムシをよく引きつけることでも知られています。ジャワ島のコーヒー農園では、本種をコーヒーの木の日よけとして植えています。

  • 夏木立佩くや深山の腰ふさげ 松尾芭蕉

▼ムクゲ(木種)(フヨウ属の一種)(Hibiscus)、アオイ科 ‖ 別名:ハチス、キハチス
入間川沿道の出入り口、帰路出口の角にまるで雪を思わせるような真っ白で10㌢ほどの大きい花が天に向かって咲いている。木立の高さは4メートル程度だろうか。

ムクゲ(木)は、芙蓉やハイビスカスに似た花を咲かせる落葉です。韓国の国ですが日本でも平安時代初期には存在していたと考えられています。夏の茶花として好まれますが、和歌では秋の季語となります。

詩歌

  • 電柱の鳥鳴き交わす初夏の朝

人物伝 菊池寛

時代 1888/12/26 – 1948/3/6 59才没、享年61才

(明治21年〜昭和23年) ‖ 参考までに、芥川龍之介は1892年〜1927年自死が生存期間で、菊池寛とは同人誌刊行など関係が深く関与しあいました。

本名:菊池 寛治

小説家、劇作家、編集者(ジャーナリスト)

### 生涯と経歴

– **生い立ち**:香川県高松市に生まれました。東京帝国大学(現・東京大学)文学部英文学科を卒業。在学中より芥川龍之介らと同人誌『新思潮』の刊行に参加。

– **文壇デビュー**:大学在学中から小説を書き始め、1916年(28才)に発表した『無名作家の日記』で文壇デビュー。地位を確立。

– **文藝春秋社の創設**:1923年(34才)に文藝春秋社を創設し、文芸雑誌「文藝春秋」を創刊。この媒体を使って多くの作家や作品を世に送り出すことに成功しました。

– **直木賞・芥川賞・菊池寛賞の創設**:1935年(46才)に、文藝春秋社の主導で芥川賞と直木賞、並びに菊池寛賞を創設しました。他に大映社長として映画事業にも参加し作家の育成や文芸の振興に努めた。戦後に公職追放を受け、その解除をみずして死去した。

### 代表作

– **『真珠夫人』**:1920年(31才)に発表された小説で、後に映画やテレビドラマにもなりました。

– **『父帰る』**:1921年(32才)に発表された戯曲で、家族の絆と葛藤を描いています。

– **『恩讐の彼方に』**:1925年(36才)に発表された短編小説で、復讐と赦しをテーマにしています。

### 晩年

– **戦後の活動**:第二次世界大戦後も文学活動を続けましたが、1948年に脳溢血により急逝しました。59才没、享年61才。

[注記]年齢は単純引き算にて表記(満年齢で仮定)

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