日記240726(金)晴後曇36℃予想

コラム
人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録

▶︎食事

朝食‖ロカボ食玄米100g

昼食‖ロカボ食+玄米100g 概ね500Kcal以下

→ 15:00

夕食‖ロカボ食玄米100g

間食‖胡桃3粒

▶︎運動 4500歩 + 草むしり

▶︎心 マインドフルネス参考

▶︎マヨネーズをら手作りにするか、やめる。

原理は簡単。卵の黄身に、大さじ二杯の酢、それに150mlのサラダ油(オリーブ油、エゴマ油、など)を丁寧に混ぜるだけ。

マヨネーズにトランス脂肪酸が含まれていて、含有物としては掲載されていないとのこと。手作りに切り替えるか、マヨネーズは使わないことにする。代わりの調味料は、シャケのふりかけ、ごま塩など。

ついでに、野菜は自作する。調査・準備開始のこと。

詩歌・文化

のりさんの投稿 (昨日分5句再掲)

水羊羹 甘さ加減に ホッとする

この暑さ 出かけることに 後退りら

3時間 立ちて2時間 眠る日々

カラスども 雷神感じ 叫びたり

雷神が 風神連れて 雨降らす
ずいひつ 「生物の不思議」

尾久島のミニチュア植物ナゾ

[朝日新聞24面 教育・科学]

研究部隊 ‖ 東北大、京都大の研究チーム

ヤクシカに食べられずに、80種類超の植物が進化か

2015年夏に屋久島に研究チームが訪れたのがきっかけで冒頭の研究チームが新しい発見をした。

それは、これまでみてきた植物の小型化したものが多いことに異変を感じたことで始まる。最初に目をつけたのが坂口さん。

翌々年に大学院生だった高橋さんらが研究の中心となって尾久島を訪れた。その時、坂口さんから「尾久島のミニチュア植物群は動物が関係しているかも知れない」と声をかけられたという。

動物というのはヤクシカ(鹿)である。ヤクシカの好む植物が、ヤクシカに食べられないようにミニチュア化したのではないか、と推察したのだ。実際、調べてみると、ヤクシカが好む植物タチがミニチュア化していることがわかってきた。

✍️ 食べられた、という経験がどのようにして子孫に伝わり、それに対抗するための進化をする仕組みはいったいどこに存在するのだろうか?食べられた、という経験はすでにこの世から亡くなっている生命体固有の体験だ。つまり、伝え手が既に存在していないにもかかわらず、その体験が後世に伝えられていることになる。自然の力は我々の知恵をはるかに超えるところに存在しているとしか考えようがない…意識はあるのかないのか?謎は尽きない。長生きしたいとする熱意があるとするなら、この世の不思議を少しでも知りたい、という願望からくる。学ぶことの意義も実はそこらへんにある</私感>

植物の進化は数万年単位だという。これは、かなり以前ではあるがNHKが特集で放送していたことを記憶している。その時「進化の期間は万年単位である」ことを知り、自然の力というものは凄いものだと感銘したことを覚えている。

しかし、このミニチュア化は、比較的短い期間に進化していると考えられるという。

研究人は、ヤクシカが天敵のいない場所で高密度で存在したことが、80種類もの植物が世界的に類を見ない規模でミニチュア化が進んだのではないかとみている。

ゲノム解析により、その植物タチの進化の始まりは、屋久島が九州・四国から分離された頃だったことがわかった。氷河期最後の頃(11万年前)に陸が水没して、尾久島が島として分離された頃に符号する。

今後は、そのミニチュア進化をもたらした遺伝子を探す研究を進めるという。

✍️ 動物との関係で進化した植物は他の地域でも見つかるはずだ、と期待しているが、自然の中でいつもと違う『不自然』を探してみてはどうだろう、と繋いでいる。植物一つとっても、無限に探索できる領域が眠っていることに、だろうな、と思った次第である。

リレー人物伝 新井白石⇒荻生徂徠

荻生徂徠(おぎゅうそらい)

1666年 – 1728年

江戸時代(1603〜1867)中期の日本の儒学者、思想家です。

生涯

  • 出生と教育: 荻生徂徠は1666年、武蔵国江戸(現在の東京都)に生まれました。若い頃から学問に興味を持ち、特に中国の古典に深い関心を寄せました。
  • 学問の追求: 京都や大阪で学び、後に江戸に戻って私塾を開きました。彼の塾には多くの弟子が集まり、江戸時代の儒学に大きな影響を与えました。
  • 幕府との関わり: 後に徳川吉宗* の命を受け、幕府の儒学顧問として仕えました。

注記 * )徳川吉宗は江戸幕府の第8代将軍。彼は「享保の改革」と呼ばれる一連の改革を行い、幕府の財政や社会の改善に努めました。

思想と業績

  • 古学の提唱: 徂徠は「古学」を提唱し、朱子学を批判しました。彼は孔子や孟子などの古典を直接学ぶべきだと主張し、原典に立ち返ることを重視しました。
  • 経世済民: 徂徠の思想の中心には「経世済民」(世を治め、民を救う)がありました。彼は学問が実社会に役立つべきだと考え、政策論や行政改革についても積極的に提言しました。✴️経世済民とは「世を治め、民を救う」という儒教から来た言葉。
  • 著作: 彼の主要な著作には『弁道』『弁名』『論語徴』『孟子略説』などがあります。これらの著作を通じて、徂徠の思想は広く伝えられました。

荻生徂徠は、日本の儒学史において重要な位置を占める人物であり、その思想は江戸時代の学問や政治に多大な影響を与えました。以下、その影響を知るために以下、彼の交友関係について記す。

荻生徂徠の交友関係リサーチ

1. **太宰春台(だざい しゅんだい)**:

荻生徂徠の弟子であり、経済思想家としても知られています。彼は徂徠の学説を広め、徂徠の後継者として活躍しました。

2. **山崎闇斎(やまざき あんさい)**:

徂徠と同時代の儒学者であり、朱子学を重んじました。二人は学派は異なるものの、互いに尊敬し合っていたとされています。

3. **新井白石(前回記載)**:

江戸幕府の官僚であり、歴史家・文献学者としても有名です。彼も徂徠と同時代に活動し、彼の思想や政策に影響を受けたとされています。

4. **松平定信(まつだいら さだのぶ)**:

江戸幕府の老中であり、寛政の改革を推進した人物です。定信は徂徠の思想に深く影響を受け、彼の学問を政策に反映させました。

5. **服部南郭(はっとり なんかく)**:

徂徠の門人であり、詩文や書画に秀でた文人です。彼は徂徠の思想を継承し、文芸活動を通じて広めました。

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