体調には波がある。いくら健康に留意していても波はあるようだ。
📌 10:00- 谷中霊園

日暮里谷中方面

谷中霊園 もう来ることも無い

📌 日暮里北口改札前の「stationBooth」。なんだろうとのぞいて見ようとしたが、コインが必要だ。椅子とテーブルが用意されているなだろう… ‖ →
→ STATION BOOTHは、15分単位で利用ができる個室ブース型シェアオフィスです。 非会員のお客さまは交通系電子マネー決済で利用可能です。( 一部拠点除く) ブース内には電源、Wi-Fi等が完備されていますので、急な打ち合わせやお仕事のほか、外出先での隙間時間にもご活用いただけます。
📌 13:00 at稲毛海浜公園 猛暑
炎天下 海岸通り 影を踏み 昔のことぞ 語り継ぐ


キョウチクトウ 渦をまきつつ 揺らいでる

📌 タクシー ⇒ 14:30- 幕張、湯楽の里
→ ランチ
📌 17:00- 湯上がり
📌 19:00- 市川塩浜駅通過🚃
📌 22:00- atHome
昼寝していないのにそれほど疲れていないのはなぜか…
米大統領選が世界の注目を浴びている。ハリス対トランプ氏の取り組み姿勢の比較があったので掲載してみると、、

- 40代後半の賃金は10年で1千円しか増えず
- 50代前半の部長の割合は1.7ポイント低
- 40代で貯金が100万円未満の割合は2桁に
インド・ニューデリーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は27日、新潟県の「佐渡島(さど)の金山」について、世界文化遺産への登録を決めた。日本の文化遺産としては21件目で、自然遺産も合わせた世界遺産は26件となった。17世紀には世界最大級の金の生産地となり、1989年まで操業を続けていた。採掘や精錬などの遺構、鉱山集落跡などが残る。 ‖ 17世紀前半には世界の2割の金を日本が生産し、国内の半分を佐渡島で産出するなど、国際的にも認知度が高かったという。
▶︎食事
朝食‖ ロカボ食 主食はBaceBread1個
→ 朝食後|ジャヌビア錠 50mg が不足
昼食‖湯楽の里にてランチ(外食)
夕食‖ロカボ食主食無し、果物 |モモ中1個
間食‖無し
▶︎運動 歩数 14,589
▶︎mind
▶︎memo
水羊羹 甘さ加減に ホッとする
この暑さ 出かけることに 後退りら
3時間 立ちて2時間 眠る日々
カラスども 雷神感じ 叫びたり
雷神が 風神連れて 雨降らす
生物の不思議
昨日、食べられた経験がなぜ子孫に伝わり、進化の原因になるのか、と述べた。しかし、寝ながら考えていて思ったのは、そのような経験の直接的な伝搬ではないのかも知れない、と思うに至った。すでに、進化論では私の疑問とは別に人知の及ぶ範囲で研究者たちの今現在の成果が存在しているはずである。象牙の塔に篭って考えていたのが間違いであった。まずは先進の知見に触れるべきである。基礎を学ぶべし。
松平定信(まつだいら さだのぶ)
1758年 – 1829年
江戸時代中期から後期にかけての日本の政治家で、徳川幕府の老中を務めました。彼は「寛政の改革」として知られる一連の改革を推進した。
- 生い立ちと背景:
- 松平定信は、白河藩の藩主である松平定邦の子として生まれました。
- 彼は若い頃に徳川吉宗の孫である田安宗武の養子となり、田安家の家督を継ぎました。
- 政治家としての経歴:
- 1787年、老中首座(現代でいう首相に相当するポスト)に任命されました。
- 彼の統治期間中(1787年 – 1793年)、幕府の財政再建と社会秩序の回復を目指し、様々な改革を行いました。
- 寛政の改革:
- 農村復興政策:農村の再建と農民の保護を目指し、出稼ぎや都市への移住を制限しました。
- 財政改革:幕府の財政を立て直すため、倹約を奨励し、無駄な支出を削減しました。
- 教育改革:藩校の設立や寺子屋の支援を通じて教育の普及を図りました。
- 寛政異学の禁:朱子学を官学とし、その他の学派を排除する政策を採用しました。
- 晩年:
- 改革は一部で成功を収めましたが、保守派や既得権益層からの反発も強く、1793年には老中を辞任させられました。
- その後は白河藩に戻り、藩政に尽力しました。
松平定信の改革は一部で成功を収めたものの、その後の徳川幕府の衰退を食い止めるには至りませんでした。しかし、彼の努力は後の歴史家によって高く評価され、幕末の改革派に影響を与えました。
松平定信の人脈は、彼の政治的影響力を強化し、改革を推進する上で重要な役割を果たしました。以下に彼の主要な人脈を示します。
- 徳川幕府内の同僚と支持者:
- 松平康福(まつだいら やすとみ): 幕府の老中であり、定信の改革を支援した。
- 松平忠固(まつだいら ただかた): 幕府の重臣で、定信の改革を支持した人物。
- 学者・知識人:
- 林子平(はやし しへい): 地理学者であり、定信の改革に協力。特に海防政策に関与。
- 細井平洲(ほそい へいしゅう): 儒学者であり、教育改革を支援した。
- 藩主・大名:
- 田沼意次(たぬま おきつぐ): 定信の改革に対して反対の立場を取ったが、彼との論争を通じて定信は自身の立場を強化した。
- 上杉治憲(うえすぎ はるのり): 米沢藩主であり、同じく改革を推進する立場から協力関係を築いた。
- 家族・親族:
- 松平定邦(まつだいら さだくに): 実父であり、白河藩の藩主として定信を支えた。
- 徳川宗武(とくがわ むねたけ): 養父であり、田安家の当主として定信を育てた。
- 門下生・弟子:
- 佐藤信淵(さとう のぶひろ): 経世家として、定信の思想や改革に影響を受けた弟子。
定信はこれらの人々との関係を通じて、改革の実現に向けた支援を得ることができました。しかし、彼の改革は一部の既得権益層からの強い反発も招き、最終的には彼の老中辞任につながりました。それでも、彼の人脈は後の時代における幕府改革の基盤を築く一助となりました。
備考 江戸時代の三代改革
江戸時代の三代改革とは、江戸幕府の三つの主要な政治改革を指します。それぞれの改革は、異なる将軍の下で行われ、幕府の財政再建や統治の安定を図ることを目的としていました。
- 享保の改革(きょうほうのかいかく):
- 実施期間:1716年~1745年
- 実施者:徳川吉宗(8代将軍)
- 主な内容:
- 新田開発による農業生産力の向上
- 町人や農民からの意見を吸い上げるための目安箱の設置
- 武家諸法度の改定
- 貨幣の改鋳による財政再建
- 各地の特産品を幕府直営で販売する「専売制」の導入
- 寛政の改革(かんせいのかいかく):
- 実施期間:1787年~1793年
- 実施者:松平定信(11代将軍徳川家斉の側用人)
- 主な内容:
- 農村復興政策(農業奨励策)
- 倹約令の発布
- 学問の奨励と朱子学の強化
- 商業活動の制限と町人の贅沢禁止
- 出稼ぎ農民の帰農促進
- 天保の改革(てんぽうのかいかく):
- 実施期間:1841年~1843年
- 実施者:水野忠邦(12代将軍徳川家慶の側用人)
- 主な内容:
- 農村経済の立て直し
- 贅沢品の取締りと倹約令の発布
- 商業の統制
- 人返しの法の施行(都市部から農村への人口還元)
- 外国船の接近に対する防衛強化
これらの改革は、それぞれの時代背景や社会状況に応じたものでしたが、いずれも幕府の財政再建と統治の安定を目指した点では共通しています。
- 朝聞道夕死可也
- 人間至る処青山有り
- 人間万事塞翁が馬
- 転生/一日一生
- 興一利不如除一害
- 生一事不如省一事
- 禍は口より出て病は口より入る
- 貧乏は苦にするな、
- 借りては使うな、
- 義理は欠かすな、
▶︎明日へのメッセージ