📓240801(木)晴れ

お元気様です❗️

駅前のコンビニで東京新聞購入した。なぜか、朝日新聞はおいていない。

パラパラとめくって畳んだ。その時、何か記事のタイトルかなんかを目にしたような気がする。内容が「死なないノウハウ」だ。とっぴなタイトルだ。キャッチコピーとしては面白い。が、改めて新聞を確かめても、そんな記事は見当たらない。何か勘違いだったか。新聞の一面をよくみてみると、

今日は何の日? = 歯が命の日

というコピーがあった。この言葉が目に触れて思い浮かべたのかも知れない。それにしても、誰が決めたのか、あまり感動を覚えない日?だ。

📌 〜10:00 atドトール珈琲店​ ‖ 記事アップ完

📌 11:00- the END of ThinkingTime

📌 13:00- あと100mで自宅だ。

📌 13:30-14:30 昼食

📌 20:30 就寝

ニュース

円上昇一時150円台 / 円買い介入 5.5兆円 ‖ 4月、5月合わせて15兆円

財務省が概ねこの1ヶ月間の介入額としては過去最高だった。財務省は当初介入を公表しなかったが、8月上旬には公表する予定だそうだ。

10:00-日経平均一時1000円安 円高受け輸出株に売り

✍️ 円高になれば、輸出企業の製品は海外に対しては相対的に高くなる。つまり、利益が減る。投資家は持っていた輸出企業の株式を売りにだす、結果安くなる。ごく普通の流れである。

10:30-円高加速、一時1ドル148円台 日米金利差の縮小観測で

トヨタ、新たに7車種不正 / 型式認証で初の是正命令

newトヨタ営業益最高の1.3兆円 4〜6月、円安で生産減補う

外為特会* 余剰金3.8兆円 / 2兆円を防衛費の財源に

枝野氏 立民代表選出馬へ

✍️ 後戻りの印象を免れない。彼の主張も古く感じる。年功序列は流行らないのではないか…野党が大きく育たない限り今後の日本に希望を感じない、と思うのは私だけか…

ハマス最高指導者ハニヤ氏暗殺 / イスラエル イランで攻撃か ‖ イスラエル レバノンに報復空爆、ヒズボラ司令官を殺害

外交の要、ハニヤ氏の殺害により「ガザ停戦は絶望」。今週にも和平協議が始まる予定だったが…

東京の生活費急落し世界49位 / 物価高よりも円安影響

▼大阪146位、横浜154位、名古屋161位といずれも前年順位を大幅に落とした。下落幅は世界で5番目に大きかった。✍️ しかし円安介入で円高に進んでいることから、来年度は上向くのではないか…

この表をみる限り、総合的にスイスが優位か

長崎「原爆の日」式典にイスラエル招かず / 広島市と対応が別れた

鈴木市長は「大変苦渋の決断だ」と。

戦禍鮮明なカラー写真見つかる

[東京新聞8/1朝刊第1面より]

太平洋戦争後の1947年に米軍接収中* の甲子園球場(甲子園西宮市)のカラー写真が見つかった。周囲は焼け野原が広がり、戦争の傷痕が色濃い。[衣川太一氏コレクション] ‖ 甲子園は8月1日に開場100年を迎えた。

* 用語開設

* 外為特会とは

外国為替資金特別会計の略。1951年に設立された特別会計で、政府の外国為替相場の安定を目的としています。

この会計は、為替介入や国際的な支払いに必要な資金の管理を行っており、日本政府が保有する外貨資産や政府短期証券の運用を通じて、安全性、流動性、収益性を重視した資金運用を行っています

* 接収とは

連合国占領軍の管理に移した行為(召し上げる、と言った感じ)。

人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録

食事

朝食‖ 抜き。ウォーキング中にBaceBreadとコンビニでスパイシーチキン頬張る。

昼食‖ ロカボ食 ‖ バランス皿盛り付け ‖ 主食無し、代わりに、タンパク質(魚、納豆、枝豆、コロコロ)多め。

夕食‖19:30-20:30 ‖ ロカボ食、玄米無し

運動

午前ウォーキング 4028

午後 炎天下につき、畑の草むしり 30分

自律神経(こころ)

マインドフルネス

メモ

なんと、今日も病院の泌尿器科の予約を忘れウォーキングを優先し、帰宅してから気づいた😸

📌 8:30 夕食後、眠くね何もできなくなり早々就寝。

文化・芸術
俳句・短歌

のりさんの投稿(7/29 抜粋)

カラスども また雷神を 威嚇せり

雷神は 大粒の雨 放ちたり

遠雷を 察知して啼く カラスども

この暑さ 重い腰上がらず 日が暮れる

武蔵野線 アチコチからの 異国音

決壊に 芭蕉もビックリ 最上川

ガンゴンと 冷して涼し 我が居室
ずいひつ

睡眠の質

早寝し、4時間寝て目が覚めた。その後はいつもの通りうたた寝だ。興味のある動画をうたた寝中に聞く。と、半分は夢の中で聞いている。あまり良くはなさそうであるが、黙って寝ろ、というのは退屈でだめだ。対策がありや否や。

死なないノウハウ?

今朝方、ふと思い浮かんだこのフレーズ。何か、面白く感じる。この歳になると、物事に集中できている時は別とし、そう遠くない将来この世との別れがくることを考える(ものだ)。

ものだ、という( )の括りは、私だけなのかも知れない、という自信のなさからくる。他人はどうなのだろう。

ここで取り上げたのは、ひょっとしてそういうノウハウが見つかるかも知れない、と思ったからだ。我々は発想の転換でどうにでもなるものだ、という物心ついてからの私の考え方の癖である。そうは言っても、発想の転換は何かを生み出すことに等しいので、いわゆる産みの苦しみ(喜び?)はいくばくかは伴う。俳句一つ読むのに比べれば、言葉を思いつくままに綴るのはまだ楽かも知れない。

(一旦中断)

憲法の精神

昨日、FMさんの動画を視聴した。憲法の解釈を弁護士さんが解説している講演録である。この動画は二回目になる。聞いてみると、確かに聞き覚えのある内容である。条文を読んだだけでは、理解が浅いことがわかる。プロパガンダに侵食された脳が、その優れた弁護士の解釈と解説により再び覚醒させられる(寝ながら聞いていたので、再視聴したい動画だ)。

最重要だと思うところは「現在の憲法は外国から押し付けられたものだから日本人が作り直すべきだ」と言う「いかにも」納得させられそうな誤った主張だ。

…<これまで、私は、憲法改正の試みは妥当だと思ってきた。実際にも否定はしない。が、改正にあたっては、この弁護士のような方の指導のもとで、勉強が必須になると感じる。指導者不足が懸念される>…

しかし、憲法の前文は感動的な内容である。その高尚な内容は、欧米人が日本に押し付けたものなのか、よく吟味してほしい(違うよね)、と言う。

確かに、日本を思う日本人の文章だと思う。ここで説明するにはあまりに紙面が足りなくて述べ切れないが心が洗われるような内容だ。誰が考えたのか、それに対して、自民の改正文章例は、よく考えてみると日本の将来にとって危険であることが、実によくわかる。少なくとも、検討されている改正文書部分は改悪である。

解説がなければ、国民の大半はその文章の内容で騙されると思う。深く理解できる人は少数派だろうと思われる。

このことから、簡単に改正を受け入れてはならない理由の一つは、国民一人一人が条文を考えているわけにはいかないからだ(否、考えなければならないものかもしれない)。

我々は国民の代表を国会に送り込んでいる。本当は、信用できる人に任せて、互いの持ち場、守備範囲を全うすることでこそ社会が成長するのだ。それを、いちいち任せた部分について任せ切れない不安を持たなければならないのは人類の損失だ…これは理想すぎるが。

かねてより思い続けているのは、ここに、信頼関係を築き上げる土台として日本人教育の重要な使命を見出す。就職のための学問であってはならないと思うのである。

まとまりが悪いが、脳が疲労してきた、一旦中断。後に、もっとわかりやすくまとめたい。

[連想]法律家を目指していた奴の思い出 / 憲法の話題から思い浮かんだ昔のこと

歩きながら、かつて弁護士を目指していた学生を支援していた頃を思い出した。18年位前だ。同世代の友人の紹介で出会った彼は、新しい制度の大学の法科に所属していた。ちょうどその時期、新会社法が施行されることになり、法の解釈をサイトに掲載する企画を実践した。予想以上のアクセス数があったが、彼の法律の内容は難しかったため、深読みすることは少なかった。これが無料の内容かと、自慢の内容だった。法律家という職業は文書作成能力が非常に高いと感じたものだった。

その男性は上◯大学の法科を卒業後も弁護士を目指して勉強を続けていた。ある日、彼から「私のそばに置いておいてくれないか?」と申し出があった。彼は「あなたが仕事でギラギラしているのが好きだ」と言った。挑戦的ではあったかもしれないが、そこまで言われるほどではない。何か可能性を感じたのかもしれないが、私は弁護士やその卵を雇うほどの余裕はなかった。彼はその後、出身元の中堅企業の法務担当で就職したのだった。

【注釈】新会社法は、平成18年5月1日(2006年)から施行されているので、18年前頃から数年間である。名前はK。

リレー人物伝(人を辿り歴史を知る)

小林一茶 → 葛飾北斎

葛飾北斎(かつしかほくさい)


1760年 現在の東京生まれ
1849年 89歳没(享年90)
幼少期から絵を描く才能を示し、若くして浮世絵師の勉強を始めました。彼の師匠は浮世絵師の勝川春章で、後に狩野派の技法も学びました。

北斎は多くの異なる名を用い、自身の芸術的アイデンティティを何度も変えながら生涯で約3万点もの作品を制作したとされています。

代表作「富嶽三十六景」

中でも「神奈川沖浪裏」が有名で、この作品は国際的にも高く評価されています。

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また、北斎は版画だけでなく、多くの絵本や挿絵も手掛け、その表現の幅広さと革新性で知られています。晩年にはさらに画法を深め彼は1849年に89歳で亡くなりましたが、その生涯と作品は後の世代の芸術家に大きな影響を与え続けています。

私生活

葛飾北斎の私生活については、詳細な記録が少ないため、彼の交際関係や家族生活に関する具体的な情報は限られています。北斎は生涯に二度結婚しており、複数の子供がいたことが知られています。特に彼の娘である葛飾応為(おうい)も画才があり、父親の晩年を支えつつ、自身も浮世絵師として活動していました。

北斎は何度も引っ越しを繰り返すなど、非常に個性的な生活を送っていたとされ、それが彼の作品にも反映されています。しかし、彼の個人的な交際関係については、今日に至るまで多くが謎に包まれています。

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