日記240804(日)晴れ

人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録

▶︎食事記録

📍 朝食‖ 6:30-7:00-ロカボ食 ‖ 玄米100g

薬摂取の中断中 ‖ 今のところ変化無し。夜中起きなかった。間空いてはいるが、三回目の経験だ。

📍 昼食‖12:00に帰宅したが、お腹はまだ空かない。調理することにする。 〜 14:00 ロカボ食 ‖ BaceBread1個、在庫切れ。

📍 夕食‖19:30-20:30 ‖ ロカボ食(サラダ→枝豆→サバ缶一切れ→玄米100g 節制!

▶︎体重 54.3kg 運動不足か?少し増えた。

▶︎ 炭酸水手作り ‖ 簡単にうまくできた / 冷たい水に、重曹とクエン酸を小さじ1/2づつ入れたら、すぐに泡立ち始めた❗️3杯400ml 飲んだ。

▶︎運動 ウォーキング 午前 4800歩、午後中止

→ 雑草まとめ、明日朝ゴミ出し。

▶︎mm> 調理と料理

 「調理」は、食材を切る、煮る、焼くといった技術・課程を指すため、料理を作る器具は、「料理器具」ではなく「調理器具」とよぶ。2023/10/19

文化・芸術
俳句 / のりさん投稿分
カラスども また雷神を 威嚇せり

雷神は 大粒の雨 放ちたり

遠雷を 察知して啼く カラスども

この暑さ 重い腰上がらず 日が暮れる

武蔵野線 アチコチからの 異国音

決壊に 芭蕉もビックリ 最上川

ガンゴンと 冷して涼し 我が居室
4コマ漫画 by yokoMandara 再掲

遠い昔となりにけり、、、

しかし涙なしには聞けなかったなぁ

童謡作詞 そのうち作曲
"きなこ"の歌

我が家の我が家の子猫ちゃん
あらあら またまた オネンネかい
ほら起きてチュルチュルあげるよ
ほら起きてチュルチュルあげるよ

我が家の我が家の子猫ちゃん
あらあら またまたお昼寝かい
ほら起きてチュルチュルあげるよ
ほら起きてチュルチュルあげるよ

我が家の我が家の子猫ちゃん
あらあら すっかり まんまるね
ほら来てねチュルチュルあげるよ
ほら来てねチュルチュルあげるよ
ずいひつ

忘れ物を減らす工夫

忘れ物が多いので、今週の予定を頭に入れることにする。

無限とは

数学では♾️と記す。最近と言うか、未だにと言うのか、幼い頃に上級生からヒントをもらって以来からよく無限という数値について考える。不思議さが消えない。おそらく数学的には深く突き止められているだろう。私のようなごく普通の人間が抱く疑問なのだから。

例えば、生死の境をよく考えることがある。限りなく彼方に近づくという時、その隙間を埋めていくのだが、いつまで経っても堺が埋まらない。近づくたびに、レンズを拡大してみるのだ。そうすると、その隙間は底なしに裂けている。いくらでもレンズを拡大して見ることができる。一歩近づけても、拡大鏡を一捻り拡大すれば、さらに溝は広がって見える。その溝は無限の深さだ。まるで地球の底の底。どこまで行っても隙間は埋まらない。この隙間は無限に続くのだ。

数値で表せば、♾️と表現するのだろうが、いくらでも(これを無限と称する)数値は存在する。いくらでも…だ。生と死の間に限らず、距離にしてもそうだ。しかし、一挙に数値をみないで飛び越えれば彼方へは到着するではないか。だから、無限に数値は存在したとしても、問題ない。拡大なんぞするからわからなくなる。

何を言ってるのか?意味がなかった。

ぐるぐる巻きの遺伝子の二重構造のようなことを想像して述べた。結局、単純なことだった。

これにて無限について考えることは無くなった。気になっていたことを吐き出してしまった感じである。全くの駄作になった。240804

リレー人物伝(人を辿り歴史を知る)

伊藤若冲(いとうじゃくちゆう)→ 狩野派*

狩野永徳(かのうえいとく)

1543年 – 1590年

狩野永徳は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した日本の画家で、狩野派の代表的な人物の一人です。彼は狩野派の創始者である狩野正信の孫であり、狩野元信の子である狩野松栄の息子です。

永徳の絵画スタイルは、力強くダイナミックな構図と豪華な色彩が特徴で、戦国時代の混乱と雄大さを反映した作品を多く残しています。彼は安土桃山時代の著名な武将たち、特に織田信長や豊臣秀吉の庇護を受け、多くの重要な作品を手がけました。

代表作には、次のようなものがあります:

  1. 『唐獅子図屏風』 – 力強い獅子の姿が描かれた屏風絵で、永徳の代表作の一つとされています。
  2. 『洛中洛外図屏風』 – 京都の街並みらとその中での人々の活動を詳細に描いた作品で、歴史的な価値が高いとされています。
  3. 『松鷹図』 – 鷹と松の力強い描写が特徴で、永徳の画風をよく表しています。

狩野永徳は、狩野派の発展に大きく貢献し、その影響は後の日本絵画に広く及びました。彼の作品は、現在も多くの美術館や寺社で見ることができ、日本の文化財として大切にされています。

* 、狩野派とは

狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。

狩野派(かのうは)は、日本の伝統的な絵画の一流派で、室町時代から江戸時代にかけて活動しました。狩野派は、狩野正信(かのう まさのぶ)や狩野元信(かのう もとのぶ)などの狩野家の画家たちによって始められました。

狩野派は、中国の宋・元の絵画の技法を取り入れつつ、日本独自の様式を発展させました。彼らの作品は、主に大名や幕府の依頼に応じて制作され、屏風絵や襖絵、掛軸などの形式で残されています。狩野派の特徴は、精密な描写と大胆な構図、豊かな色彩です。

江戸時代には、狩野永徳(かのう えいとく)や狩野山楽(かのう さんらく)などが登場し、幕府の御用絵師として多くの重要な作品を手がけました。狩野派の影響は長く続き、多くの後継者や派生流派を生み出しました。

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