昨夜の豪雨明けで比較的爽やかな朝を迎えた。もう秋の予感がする空気である。
夜は体力減少のため、いつの間にか無意識世界に墜ちてしまっているので、前の日の日記の閉め処理を行う。
およそ朝は天気さえよければ快適な気分になる。これは現役時代とは異なる感触だ。現役時代は、どうしても前日の課題が心に残りいつも休養は不十分で疲れていたような気がする。
これから、予約していた病院へ向かう。カレンダをよく見ると、糖尿病の予約と勘違いして、空腹のまま出かけてしまった。相変わらミスが多い。
📌 8:30- at 飯能中央病院受付で予約票を提出し待機。
while> 待合室テレビ ‖ 出演者がワイワイ楽しんでいるだけに見える。よく見ると観光地紹介番組だ。食べ物で大はしゃぎしているが、若者に受けるのだろうか。私的にはもっと静かな物語のある番組が好みだ。
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📌 9:30-受診 泌尿器科 ‖ -9:40 ▼診療メモ▼
mm> PSA 基準値4.0 測定値6.7 測定日 24/04/24(78) ‖ 診断 ⇒ 「前回より少し上がっている。「今のところはまだ大丈夫です 。血液検査は半年に一回程度で、次回は11月14日の10時前後で来院してください。よほどデータが悪くなるようなら埼玉医大を紹介します」。ものの1分ほどで終わった。
📍 次回も採血は不要。9:50受付済ます。
📌 13:00-13:30 昼食‖記録は健康蘭へ。
→ 草むしり。ダンボール40㍑1個分。ストレス過剰にならないように、少しづつだ。
アメリカ大統領選、ハリス氏「私たちに勢い」
激戦区で遊説開始。
✍️ 吾、直感では接戦。ハリス氏の若さで、後半になるほど人気が高まると見る。あとは、共和党と民主党との政治戦略如何か。
参考 民間調査機関
終身雇用では戦えない/ NTT社長が描く世界復権の道
社歴の長い日本の伝統的大企業の国際的な存在感の低下が叫ばれて久しい。年功序列といった雇用慣行や自社だけで最適解を求める垂直統合型のモノづくりなどにとらわれ、活力を失ったことが背景にある。
NTTでは2022年に島田氏が社長に就任して以降、民営化以来最大と呼ばれる人事改革が続いている。インパクトの大きいのが、公社時代から続いた年功序列の撤廃だ。23年4月、NTTドコモやNTTデータなど主要グループ会社の約6万5千人を対象に社員の地位を示す「等級」の在任年数を撤廃。専門性やスキルに応じて評価する制度*1に変えた。[経済新聞]
「市場不安定なうちは」という条件付きアナウンスである。利上げすべきか、利下げすべきか定まらないので当然という話になろうか。
パリ五輪結果
- 卓球団体日本、男女で4強入り
- スケートボード女子パーク ‖ 2大会連続銀メダル ‖ 開心那さん(15)、16歳の草木ひなのさんは8位だった
- 男子グレコローマンスタイル60㌔級、文田金メダル(既報)
- 女子68㌔級、尾崎銅メダル
new宮崎で震度6弱、 津波注意報 ‖ 気象庁、南海トラフ地震との関連調査
気象庁によると、8日午後4時43分ごろ、宮崎県で最大震度6弱を観測する地震があった。震源は日向灘で、震源の深さは約30キロ。地震の規模はマグニチュード(M)7.1と推定される。
気象庁は8日、九州・日向灘で起きたマグニチュード(M)7.1の地震を受け、より大きな南海トラフ地震との関連を調査すると明らかにした。
new南海トラフ地震「普段より数倍確率高く」 評価検討会会長
南海トラフ地震の評価検討会会長の平田直・東京大名誉教授は南海トラフ地震について「普段よりも数倍(発生する)確率が高くなっている」と。
*1 人事考課制度[NTTの試行錯誤]
NTTの取り組む人事評価制度に思う
人を評価するという極めて難しい問題である。不完全な人が不完全な人を評価すること自体、不可能な分野とも言えると思う。考え始めると泥沼に入り込む仕事だ。並大抵ではない。かと言って、努力するものが評価を受けるシステムは必要であろう。解のない解を求める混迷する現代を代表する課題である。
すでに民間中堅企業では何年も前から試行錯誤が繰り返されている。結果、うまくいったという話はあまり聞かない。えいやっ、で決めるのとたいした差はないのである。が、そこをできるだけ公平にということである。考えれば考えるほど人と人の間に差がなくなってゆく。2度とやりたくないストレスのかかる不要な仕事だ😸
今日は、定期検診の日だった。糖尿病と泌尿器科。糖尿病の診察は別の日だった。
先日、肝臓の検査をサボってしまったが、医師の判断では多分肝臓には問題ない(かなり断定的な判断に聞こえた)、あるとすれば血液系の病気が少し気になる、というものであった。安心したせいで、精密検査の予約日を忘れた。事後連絡はしていない。自分の健康への取り組み方針が定まらない。
昨年末近くにコロナに罹患した。その時は持病の併発でひどい目にあった。その時の苦痛の記憶が、病院を避けてきたそれまでの方針に迷いが生じた。老人は重症化しやすい、という事実に直面し、懲りた面がある。
しかし、これは特別コロナに限ったことではなく、どんな病気でも持病が影響を受けるはずだ、という仮説を持ってことにあたっている。
それ以来、食事と適度な運動を心がけて、ロカボ食に変更し、結果、HbA1cの数値などは8.3から6.8に低下し、医師が驚いたほどである。その結末に安心し、今、薬もやめて次回の精密検査のデータを吟味してみようと思っている。しかし、やゝ不養生が生じている。次回の精密検査待ちだ。
「はだしのゲン」という漫画を購入して読んでみている。 電子媒体で読める。スマホでも読めるが、画面が小さくて疲れる。
一冊400円しない。10刊位あったので全部読むと4000円弱だ。長編だ…
これを読もうと思ったきっかけは、特定の人間と情報共有の必要性を感じているからである。この本は学校教育で話題になっていた本である。教育上、まずい描写があるとか、ないとか、であった。そのうち読み進めればわかるだろう。
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漫画をまともに読むのは何十年ぶりだろう。私の子供の頃は、漫画王とか、冒険王という月刊誌だった。人気のあったのは、いがぐりくん、鉄腕アトム、鉄人28号とかだった。
大人になってから漫画を読んだことはなく、漫画を勧められたこともあったが、読む気にはならなかった。漫画を読む人の気持ちも知って悪くない。
食事
▶︎朝食 断食
→ 11:00 コーヒー2杯とFチキ
▶︎昼食‖ 13:00-13:30 ‖ ロカボ食(🥒・生キャベツ、人参水煮、豆モヤシ、ワカメ、味噌汁、豆腐4片)→納豆→クルミ3片
⇒ 食材加工 ‖ 生キャベツ→湯通し→冷蔵庫、鶏の胸肉ぶつ切り水煮→水切りして冷蔵庫へ保管
★腹八分の欠点 ‖ 空腹だと、食べたかどうか忘れる ‖ 満腹だと体によくない ⇒ 対策はただ一つ、規則正しく、食べる。満腹するほどは食べない。
▶︎夕食‖
運動
▶︎ウォーキング Σ ≒ 6000 > ‖ 4000 +
▶︎畑仕事 1C →むしり取った草をゴミ袋に詰め込んだ。雨後晴れて乾いていた。1日1袋やればすぐに終わる。
▶︎片付け 1C
Σ ≒
メモ
狩野山楽→弟子 ‖ 狩野探幽→千宗旦(せんのそうたん千利休の孫)→ 松永貞徳(まつなが ていとく)
松永貞徳(まつなが ていとく)
松永貞徳(まつなが ていとく)
1571年 – 1653年 享年83
安土桃山時代から江戸時代初期
俳諧師、歌人、文人 / 弟子に松尾芭蕉など
京都出身で、本名は松永安左衛門。
俳諧の創始者として知られ、俳諧の形式を確立し、弟子を多く育てた。
貞徳は、当時の和歌や連歌に対する批判から俳諧を発展させました。彼は俳諧を庶民に親しみやすい文芸にすることを目指し、平易で機知に富んだ言葉遣いを好みました。
彼の作風は、「貞徳俳諧」と呼ばれることがあります。
また、貞徳は『ささめごと』や『俳諧談林』などの俳諧論を著し、俳諧の理論と実践を広めるための活動を行いました。
彼の影響力は大きく、彼の門下からは松尾芭蕉をはじめとする多くの俳人が育ちました。
晩年は京都で過ごし、1653年に没しました。彼の業績は日本文学の発展に大きく寄与し、俳諧の祖として今なお尊敬されています。
◾️人脈
松永貞徳(まつなが ていとく)は、その俳諧活動を通じて多くの人々と深い関わりを持ちました。以下は彼の主要な人脈の概要です。
### 弟子・門人
1. **山崎宗鑑** – 貞徳の初期の俳諧に影響を与えた先駆者。貞徳は宗鑑の影響を受けつつも、独自のスタイルを確立しました。
2. **松尾芭蕉** – 貞徳の弟子の中でも最も有名な俳人。★芭蕉は貞徳の教えを受け継ぎつつも、さらに俳諧を発展させました。
3. **松永貞幹** – 貞徳の息子であり、俳諧の活動を共にした。
### 同時代の文学者・文化人
1. **近衛信尹** – 公家であり、貞徳と親交があった。信尹も俳諧に興味を持ち、貞徳との交流を通じて影響を受けました。
2. **木村得玄** – 貞徳と共に俳諧を楽しんだ仲間。彼もまた、俳諧の発展に寄与しました。
### 政治・武士階級
1. **細川幽斎** – 戦国武将であり、茶人、歌人でもあった。幽斎は文化人としての一面を持ち、貞徳と交流がありました。
2. **徳川家康** – 江戸幕府の初代将軍。家康は文化の保護者としての一面もあり、貞徳の活動を支援しました。
### 文化交流
1. **狩野永徳** – (既報)絵師として知られる狩野永徳もまた、貞徳の俳諧活動に影響を与えた一人です。二人の間には芸術に対する共通の理解がありました。
松永貞徳は、これらの人物との交流を通じて俳諧の普及と発展を図りました。彼のネットワークは、俳諧を広める上で重要な役割を果たし、彼自身の作品や思想が広がる基盤となりました。