今朝、ロカボ食を済ませ、庭の雑草をまとめつゝゴミ袋に詰めていた。今朝の空はいつもより太陽が眩しく、ギラギラしている。
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新潟県の「佐渡島(さど)の金山」の世界遺産登録は韓国の賛意が決定打になった。日本側が朝鮮半島出身者の「過酷な労働」を取り上げる展示を設け、韓国側が容認した。歴史問題を政治利用することが多かった日韓両国が客観的な史実に向き合ったと評価する声があがる。
戦時中、佐渡の鉱山で働いた朝鮮半島出身者の総数は約1500人だったと説明されていた。日本の植民地だった朝鮮半島で1939年に民間の労働者の募集が、42年に行政による「官あっせん」が始まり、44年に国家が国民を動員する「徴用」が朝鮮半島でも導入されたとある。
続くパネルでは朝鮮半島出身者が特に過酷な労働に従事していたことをデータを示して紹介した。危険性が高いとされる坑内作業のうち、岩盤に穴をあける「削岩」は「内地」の出身が27人に対し「朝鮮半島出身」が123人を占めたという記録を示した。
- パリオリンピックの閉会式が日本時間の12日に行われ、次の開催都市・ロサンゼルスにオリンピックの旗が引き継がれて17日間の大会が幕を下ろしました。
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- 国立大学の「機能強化」に関する有識者会議が始動した。
- 日本三大盆踊りの一つ、徳島市の阿波踊りが11日開幕した。
カブトムシと言えば誰でも知っている昆虫である。であるから、カブトムシに不思議な行動がある、などということは意外だった。その中学生は自由研究で自宅の玄関外で30匹以上の成虫のカブトムシを飼っていたところ、野生のカブトムシが飼育ケースの周りに集まってくることに気がついた。「フェロモンが関係しているかもしれない」と考えた彼(IMさん)は森林総合研究所の主任研究員に相談した…

今中学3年生のIMさんは「高校に入ったら実験を再開したい。将来、カブトムシの研究者になりたい」と夢を描く。[出所 日経電子2024/8/12]
✍️ 道端の植物一つとっても、よく見ればわからないことだらけだ。カブトムシの生態だって疑問持って眺めているとまだまだ解明されていないことがあった、ということで、この世は、実はまだまだ解明されていない不思議なことが無限にあるのではないか。
時々、日本国憲法がアメリカに押し付けられた、というコメントを見かける。しかし、憲法の前文を読む限り、そうは思えないので、調べてみる。
日本国憲法の制定過程なる資料が以下公開されている。
「日本国憲法の制定過程」に関する資料
衆憲資第9号
公開元 衆議院憲法審査会事務局
公開日 平成28年11月
総ページ数 63
[内容]ポツダム宣言から敗戦後の憲法制定までの経緯の概要が記載されている。
8/14 午前会議、ポツダム宣言受諾決定 ‖ この日、マッカーサー元帥が連合国最高司令官に就任
8/15 終戦詔勅を放送、鈴木内閣総辞職
8/16 大令降下 ‖ 詳細不明、天皇の名で東久邇宮稔彦王に内閣総理大臣がら任命されたのか?
8/17 東久邇宮稔彦王内閣成立
8/18 トルーマン米大統領が「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成*1 」を承認
*1 対日政策のために設置された3省[陸・海・国務]調整委員会(SWNCC)が採択したもの。
〜
8/30 この頃、日本の法制局で内々に憲法問題の研究に着手
9/1 第88回帝国会議召集(詳細省く)
9/2 日本降伏文書に調印 (GHQ設立)‖ 無条件降伏が法的に確定
GHQ日本の陸・海軍の解体を指令 一般命令第1号
9/10 GHQ、言論及び新聞の自由に関する覚書交付(GHQの批判を禁止する「プレスコード」を指令)
9/11 GHQ、戦争犯罪人容疑者逮捕を指令
9/13 大本営廃止
9/18 東久邇宮首相、外国人記者団と会見
憲法改正などの内政面に関する改革について現時点ではGHQ指令の完遂に全力を挙げており、検討する余裕無しと表明
法制局、内部文書「終戦と憲法」にて、憲法改正の問題点を列記
9/22 「米政府の『降伏後における初期の対日方針』をGHQが基本司令として交付
10/2 GHQ民政局(GS)設置
10/4 マ元帥、近衛文麿国務大臣と会見し、憲法改正の必要を示唆。
GHQ、自由の制限の撤廃に関する覚書を交付 ‖ 人権指令 ⇒ 治安維持法および国防保安法の廃止、政治犯の即時釈放、思想警察官史の罷免等。
10/5 東久邇宮稔彦王内閣総辞職
10/9 篠原喜重郎内閣成立(10/6 大令降下)
10/11 GHQ、5大改革(婦人解放・労働組合の奨励・学校教育の民主化・秘密審問司法制度の撤廃・経済機構の民主化)を要求。
ここまで戦後の慌ただしい改革時期に興味を持ち、日程を追ってみた。日本国憲法については、翌昭和21年11月3日に交付され、3ヶ月後に施行されている。その間、付図のように日本からの提案、GHQからの修正要求など頻繁にやりとりがあったようである。
したがって、押し付けられた部分はあったにしても、それまでの日本の言論の自由化に関する要請などみると、戦争を2度と起こさないような仕組みで修正されたのではあるまいか、少なくとも一方的に押し付けられたというものではないように感じる。
これ以上、深入りするとまだまだ基礎的な知識がが人並みに追いつかないので中断して後の機会に委ねるとする。

食事
▶︎朝食‖ 7:00-8:00 ‖ ロカボ食
→ 消化不良気味。野菜の食べ過ぎを感じて、盛り付けけて量が過ぎないよう注意し始めた。
⇒ 繊維質はもやしが1番調子が良さそうだ。
▶︎昼食‖ロカボ食→BaceBread→牛乳200cc
▶︎夕食‖21:00- 遅い時間なので軽く済ます。
▶︎間食‖枝豆100g程度。
運動
▶︎ウォーキング>6000 ‖ 4200 +
その他
★栄養を十分に取ろうとすれば、量も増やさないといけない。そのためには、もっと運動量を増やすべきか?…[気づき]
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)
生涯 1618年? – 1694年 享年77位
1603年が江戸幕府が開かれた年なので江戸時代前期から活躍した画家である。
- 浮世絵の先駆者:浮世絵というジャンルを確立し、庶民文化を芸術作品として描いた最初期の画家の一人です。
- 「見返り美人図」:代表作の一つで、美人画のスタイルを確立しました。この作品は、日本美術史の中でも特に有名です。[下記切手参照]
- 風俗画:当時の庶民の生活や風俗を描いた作品が多く、江戸時代の庶民文化を知る上で貴重な資料となっています。
- 版画技術の発展:木版画の技術を駆使し、色鮮やかで精緻な作品を数多く残しました。

今日でも美術館やコレクションで高く評価され、展示されています。
人脈
菱川師宣には詳細な記録が残っていないため、具体的な人物関係を特定することは難しい。いくつかの関係性や影響を挙げて以下に示します。
- 同時代の浮世絵師:菱川師宣は、浮世絵の創始期に活動していたため、同ふ時代の他の浮世絵師たちとも影響しあったと考えられます。特に、師宣の作品は後の浮世絵師たちに大きな影響を与えました。
- 江戸の文化人:江戸時代の文化人や商人との交流があった可能性があります。彼の作品には当時の江戸の風俗や庶民文化が反映されているため、彼自身もその文化の中に深く関わっていたと推測されます。
- 出版業者:浮世絵の多くは版画として出版されていたため、師宣は出版業者との関係が深かったと考えられます。出版業者を通じて彼の作品は広く流通し、人気を博しました。
- 弟子:菱川師宣は弟子を取っていたともされ、彼の画風や技術を受け継いだ弟子たちがいました。弟子たちは師宣の影響を受けつつ、独自の作品を生み出していきました。
師宣の人脈についての具体的な記録は少ないものの、彼の作品や影響を通じて、当時の文化や芸術界における彼の位置づけを理解することができます。
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