日記240815(木)猛暑

備忘録

▶︎PB黒字化を背景とした増税リスト

Screenshot

▶︎資本金別法人税率[財務省/江田憲司提供]

▶︎お金持ち優遇策その他(おそらくまだある) ‖ 同上、江田憲司氏ショート動画より

▶︎自民党への政治献金額リスト(公開分 ‖ 江田憲司)

[単位 万円]

▶︎国債保有量と保有先推移[日銀]

詩歌 俳句・川柳・短歌

のりさん投稿

少しづつ 気温下がって 寂しけり

ちょっと動き 汗ジワッとくる この暑さ

河口湖 浮かぶ灯籠 霊供養

本日は お店休んで 寝るばかり

夕方に 傘突き抜ける 雨が降る

黒き雲 頭上に来たり 大粒の雨

雷神は 今日もまた来て ごあいさつ

自然界 今度は地震で 警告だ

この地球 色々やられ 疲れてる
人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録

食事

朝食‖ 6:30-7:30 ロカボ食

昼食‖ 13:30-外食 腹八分に抑制、アルコール無し

夕食‖6:30-7:30 ロカボ食、タンパク質 ‖ 鰻

運動

ウォーキング ‖ 都心往復 7259歩

スクワット 10回 ‖ 10回でも効果実感

→ ただし、続かない、キツイので意欲が湧かない。

備忘録

▶︎食後30分に筋トレしてください[fromYouTube]

特にスクワットがいいです。スクワット、ワンレッグヒップリフト、背伸び、懸垂器具があれば懸垂を日ごとに順に変え3セットから5セットやると食後の血糖値のピークかなりさがります。

多すぎるタンパク質やプロテインパウダーは腎臓に悪い。取っちゃだめ。納豆、たまご、魚、脂肪の少ない鶏肉、豚肉がいい。鶏肉の胸肉は普通に調理するとパサパサで不味いけどアルミホイルをひいて油を使わず10分間一番火力が弱い火を入れる美味しく…

▶︎8/22 飯能中央病院精密検査予定

リレー人物伝(人を辿り歴史を知る)

日本のお札になった人々

聖徳太子

夏目漱石

福沢諭吉

野口英世

伊藤博文

樋口一葉

板垣退助

新渡戸稲造

渋沢栄一

📌 津田梅子→ 8/15 追加掲載 大山捨松

📌 北里柴三郎 8/15掲載

岩倉具視

二宮尊徳

高橋是清

北里柴三郎

1853年1月29日 熊本県に生まれ

1931年6月13日 没(78) / 東京だ

1874年に東京医学校(現東京大学医学部)に入学し、1883年に卒業。

その後、東京大学の助手として働きながら、細菌学の研究を進めました。

ドイツ留学とロベルト・コッホとの出会い

1885年、北里はドイツに留学し、ベルリン大学でロベルト・コッホのもとで研究を行いました。ここで彼は、破傷風菌の純粋培養に初めて成功し、破傷風の原因となる毒素を発見しました。また、破傷風毒素に対する抗毒素を開発し、これが破傷風の治療における画期的な成果となりました。

ペスト菌の発見

1894年、香港でペストが発生した際、北里は現地に赴き、ペスト菌を発見しました。ほぼ同時期に、フランスの細菌学者アレクサンドル・イェルサンも独立してペスト菌を発見しており、二人は共同発見者とされています。

帰国後の活動

1892年に帰国した北里は、東京大学で教鞭をとり、日本国内での細菌学研究の発展に尽力しました。1914年には、北里研究所を設立し、病原微生物の研究と感染症の予防・治療において多くの成果を挙げました。また、北里は、1923年に創立された慶應義塾大学医学部の初代学部長としても活躍しました。

彼の人脈

ロベルト・コッホ

北里がドイツに留学した際に師事した細菌学者ロベルト・コッホは、結核菌の発見でノーベル生理学・医学賞を受賞したことで知られています。コッホとの出会いと指導は、北里の研究に大きな影響を与えました。

アレクサンドル・イェルサン

ペスト菌の共同発見者であるフランスの細菌学者アレクサンドル・イェルサンとは、香港でのペスト研究を通じて関係を築きました。両者はそれぞれ独立してペスト菌を発見しましたが、その成果を尊重し合いました。

志賀潔

北里の弟子であり、赤痢菌の発見者として知られる志賀潔も重要な人脈の一人です。北里は志賀を指導し、彼の研究活動を支援しました。

福沢諭吉(既出)

北里は、慶應義塾大学の創立者である福沢諭吉とも深い関係を持っていました。福沢の支援を受けて、北里は慶應義塾大学医学部の設立に尽力しました。

高木兼寛

北里は、日本の海軍軍医であり脚気の研究で知られる高木兼寛とも交流がありました。高木は日本赤十字社の設立に関わり、北里の医療活動を支援しました。

リレー人物伝(人を辿り歴史を知る)- NO2

津田梅子→大山捨松

大山捨松(おおやま すてまつ)

1860年 – 1919年 享年(80)

日本の明治時代の教育者、看護師であり、軍人の大山巌元帥の妻としても知られています。彼女は、女子教育や看護教育の発展に寄与し、日本の近代化に貢献した人物です。

### 生い立ちと教育

大山捨松は、1860年に旧薩摩藩士の家庭に生まれました。1871年、政府の命を受けて岩倉使節団に同行し、アメリカに留学することとなりました。彼女は、アメリカの私立学校であるニューヨーク州ロックフォードの女子寄宿学校で教育を受け、ここで近代的な教育や看護の知識を身につけました。

### 帰国と結婚

1882年に日本に帰国後、捨松は日本初の看護学校である赤十字看護学校の設立に関わり、日本における看護教育の基礎を築きました。同年、陸軍軍人の大山巌と結婚し、大山捨松として知られるようになりました。

### 社会活動と教育

大山捨松は、日本赤十字社の活動にも積極的に参加し、日清戦争や日露戦争における看護活動を支援しました。彼女は、多くの若い女性に対して教育の重要性を説き、女子教育の普及に尽力しました。彼女の活動は、当時の日本社会において女性の社会進出を促進するものでした。

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