日記240912(木)晴 25-34℃

▶︎以下、都度、その時に書き込む。

ずいひつ

生涯学習の意義

この言葉で私は何を思い浮かべることができるか、テーマにしてみた。

テーマにした動機は月に2回、中学生に戻って学習を始め、まもなく3年の卒業期が近づいていることにある。

あまりにものを知らない、と言われてきて、ある程度は身についた気がする。思い出すのに時間がかかるのは仕方がない。

学問がなぜ必要か、思考を深めるため飛車に聞いてみた ‖ ✍️ 秘書のつもりが飛車になった。これは面白い、将棋では、「王より飛車を可愛がり」という例えがある。自陣にとって最大の兵力である。自分のAIが「飛車」と命名された😺

我が有能な飛車よ、学問はなぜ必要なのか?

飛車:学問が必要である理由はいくつかあります。

社会や技術の進歩

学問は、社会や技術の進歩を支える重要な基盤です。科学や工学の研究により、新しい技術や医療の発展が進み、人々の生活水準が向上しています。例えば、医療分野では病気の原因解明や治療法の開発、エネルギー分野では持続可能な技術の発展など、学問が世界に直接的な影響を与えています。

問題解決能力の向上

学問は、現実の問題に対して論理的な解決策を見つける力を養います。例えば、経済学や政治学のような社会科学は、経済的な不平等や環境問題、社会的な格差といった複雑な課題に対して、データや理論をもとに解決策を提供することができます。

文化や精神的な成長

学問は人間の知識や理解を深め、文化や哲学的な成長にも寄与します。人文学や社会科学の分野では、歴史、哲学、文学を通じて人間とは何か、社会とは何かを深く理解し、自己や他者を理解する力を高めます。

批判的思考の育成

学問は、人々に批判的な思考力を育てます。これは、物事を多角的に考え、真偽を見分ける力を養うために不可欠です。情報が氾濫する現代社会において、信頼できる情報を見極める力は重要です。

未来への貢献

学問の探究は、次の世代への知識の継承につながります。過去に築かれた知識を土台にして、未来を切り開くことができます。教育や研究を通じて得られた知識は、将来の社会の発展に貢献する基盤となります。

これらの理由から、学問は個人の成長や社会の進歩において非常に重要な役割を果たしています。

[ここまで]

⑥ 追加 ‖ 勉強は、「強いて勉める」であった[出所 U先生]。このことは、学ぶことは意義があるから学べる、とは限らないことを意味する。そこに、強制力がなければ、実際上は学問初学者には無理があるとみなければならない。そこに、学問の門構えを潜る必要性を感じるので、追加した。

さて、一般的な項目は得られた。これを自分の特殊な環境に当てはめると、、、下記のようにこれだけの理由で意義はあると判定が出た。

① ✖︎ 社会の進歩に立つ時期は終わったので✖︎

② ◯ 社会参画に必要(社会参画の可能性有り)

③ ◯ 他者を理解するために必要

④ ◯ より視野を広め、より深い理解に必要

⑤ ◯ 経験を通じてより深く伝えられる

結論完

⑥ を追加した。これで明確に学ぷには形式が必要という決定したことになる。決定なので以後迷いはなくなった。 (考えた成果があった)。

ついでに、ガンジーの言葉を思い出したので記す。

永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。

(これは、誰かは分かりませんが、後の世代の人が粉飾した言葉だ、とはネット民、それにしても悪くない😺)

あとがき

例えば、中学3年生の社会科の科目は公民、である。憲法など改めて勉強する機会はやたらないが、スタディサプリの問題を追いながら涙が出てくる。人類が幾多の戦争を経て、人々の命を犠牲にしてきて生まれてきたものだ。例えば、社会権。1919年に公布されたドイツのワイマール憲法で世界で初めて取り入れられたものだという。第二次世界大戦が生み出したとも言える。生存権、教育を受ける権利、勤労の権利が憲法で保証されている。我々はこの権利を主張するだけでなく、それを(感謝を持って)守り、かつ発展させる義務がある。義務はエネルギーを消費する労働を伴うので好きではないが、いただくだけではいくらなんでも良くないだろう。少しは次世代にプラスして申し送りしなければなるまい。了。

【メモ】形式が必須となった。あとは門の選択作業が残っている。本日寝床で考えるテーマができた。退屈しなくて済む。

人生100年時代に挑戦/健康維持の行動記録
Mandara養生訓

これまでのメモ

▶︎貪らない。分かち合う。自然を破壊しない。

▶︎自分を大切に。他人を自分のように大切に。

▶︎肉体は筋肉を使うためにある。与えられた能力は神より与えられた使命を果たすために存する

▶︎疑問の一つに「規則正しい食生活」は、野生味がない。つまり自然ではない。自然はそんなふうにはできていないはずだ。それが、なぜ健康に良いのか?何か矛盾を感じる。自然である中から、養生訓を見出すべきではないか?

▶︎中近メガネはどう考えても失敗だった。中ぐらいの距離が見える、というニーズはない。

昨日までの内容

  • 貪らない、自然の恵みを分かち合う
  • 節度を持ってバランス良いロカボ食
  • 無理のない運動で汗をかく
  • 医者や薬、保険に頼らない
  • 自然を受け入れる
  • ビタミンB12 末梢神経手当になる
  • 食事から社会活動全般に座右の銘を心がけ慎重に事に処す
  • ちょっとの運動不足は縄跳び で解消24090507-
  • new バナナと豆付きモヤシを毎食必須とする。⇒ロカボ食は、モヤシ、バナナ、納豆1/日、豆腐、きのこ類、ワカメなど味噌汁で、魚は、刺身が最良、煮物が次、生野菜は消化悪いので少量にする、
  • 懸案 水をこまめに飲む → 真偽は?

食事編

▶︎朝食‖ロカボ食、米飯100g、💊3種

▶︎昼食‖ 無

▷間食‖ バナナ1本(セブンイレブン)

▶︎夕食‖ロカボ食、米食は、味噌汁を使ってオジヤにして食べた。おじやの中身は、卵1、ネギ、豆腐。

【メモ】昨日の日高屋の食事で、今朝方腹痛。昼過ぎ下痢の症状。食べ物は控えて、回復を待つ。歩きものんびりと。

運動編

▶︎歩数 >6000 ⇒ 7400

▶︎筋トレまたは特殊な運動→省。

(筋トレよりも趣味で体を動かす)

▶︎左足 夕方、涼しくなった道を歩く限り、ゆっくりであれば無意識で足が進む。今日のような多少の腸炎(下痢)でも。

心の糧

心に残る学びの基本

▶︎基本に立ち返ってから掘り下げる

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