日記240913(金)晴 25-35℃

[519回目[14] ‖ 花の画像はエーデルワイス /Googleから ]

今朝から、本日はさらに猛暑日だ。35℃とは、、

よくできているアプリだ。なぜわかるのか。原理に少し興味が湧くも、深追いしない。スマホが万能ツールに近づいている。

前回は明け方に深い眠りがあったが、今回は睡眠直後が1番深い眠りになっている。

📌 12:00- 家にいる。

なぜこれほど眠くなるのだろう、、

📌 14:00-.窓際に腰掛けている。「健康常識は9割がウソ」という手元にあったPHP出版の小冊子を読了した1/3は既知、1/3はなるほどそうだろうな、残り1/3は、勉強になった部分がある。いつか読もうが1冊消えて、さっぱりした。残り三冊ほど積んである。

遅い時間、猛暑につき、ウォーキング中止。

→ エアコンから水が垂れて使えない。

勝手に玄関から飛び込んできた黒いトンボ。知らないうちに下で屍になっていた…

📍 14:00-15:00 昼食で素麺1束。エアコン故障につき、寝室へ移動。寝るだけの機能だ。整理して居心地よくしないと…

📍 寝室に移動。横になっていると、睡魔が襲ってくる。いくら寝ても眠い。横になると眠くなるように体ができているようだ。

📍 18:00-18:30 夕食。米が切れている。知人の店に玄米5Kは注文はしてある。彼の契約先の田んぼのコメは完売したので別に探して納品してくれるという。

→ 食事終えたら、休まずに外出することにする。一呼吸おくと眠くなる。

稲妻や 秋の夜道を 駆けてゆく

が、雷雨にはならなかった。夜になると少しは過ごしやすくなって、足の動き滑らかになる。スーパーで主食の代わりに蕎麦を3食分ほど仕入れてきた。他、🥒としばらく口にしていない果物(ぶどう、プラム)、緑茶。

ニュース

マイナ免許証、来年3月導入

現行免許証と併用可/家で更新時講習

利点として、自治体と警察に分かれていた住所変更手続きがワンストップで完結する、など。

免許保有者の写真▽有効期間▽免許の種類▽眼鏡の着用などの条件――といった情報をマイナカードのICチップに加える。カードの券面は変わらない。

一体化は任意で、免許センターや一部警察署で申請できる。既存の免許証は廃止せず、マイナ免許証と両方持つこともできる。マイナ免許証のみを保有する場合は新規取得時や更新時の手数料が比較的安くなる。[=日経電子版]

フジモリ氏死去 ペルー元大統領、86歳

【サンパウロ=日経記者】南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日、死去した。熊本県出身の移民の子として首都リマで生まれ、1990年に日系人として初めて同国の大統領に就任した。

96年から97年にかけて発生した日本大使公邸人質事件では、武力突入を指示して人質71人の解放につなげた。

2000年の3選後に側近による汚職の発覚を受けて辞任を表明し、訪問先の日本で事実上の亡命生活に入った。05年のチリ入国時に身柄を拘束され、07年にペルーに引き渡された。

大統領在任中の軍特殊部隊による市民殺害事件に関連し、10年に禁錮25年の有罪判決が確定して収監。恩赦による釈放や取り消しを経て、23年12月におよそ5年ぶりに釈放されていた。

✍️ [個人的な感想]第一印象として、初めてニュースで藤森氏を拝見した時、なんと意志の強い風貌をした方だろうか、流石に大統領という地位を勝ち得た方に相応しい、と思ったものだ。命を脅かされるような治安の悪いペルーで正義を主張し戦うなどまして他国の大統領になるなどという事を考えただけで、すごい方だなあ、という印象である。顔つきからして違っていた。確か奥様と政敵にもなった。また娘さんも大統領選に手を挙げて惜しくも敗れた、と記憶している。遺伝なんだろう。86才といえば、私より7才上でしかない。長い投獄で命を縮めたのではないだろうか?ご冥福を祈るしかない。[人物伝にリポート掲載]

GM提携戦略、ホンダから現代自へ EV変調が転換迫る、総販売数でトヨタを抜く

【ニューヨーク、ソウル】米ゼネラル・モーターズ(GM)は12日、現代自動車と電気自動車(EV)やソフトウエアなど次世代車の共同開発で提携を検討すると発表した。GMはホンダと進めていた次世代EVの共同開発を取りやめており、現代自との提携に活路を求める。

米韓の車大手の提携は初めて

75歳以上医療費3割負担の拡大検討 高齢大綱6年ぶり改定

緊縮財政のPB黒字化方針としての一連の増税路線である。気づきにくい、比較的国民の抵抗の少ない部分から、まだまだ続く。今度は何か、であるが。

円が年初来高値、一時140円台半ば FRB大幅利下げ観測

記事省略。

人物伝

フジモリ氏略歴

アルベルト・フジモリ氏は、ペルーの政治家であり、1990年から2000年まで同国の大統領を務めた人物である。フジモリ氏の両親は日本からの移民であり、彼自身も日系人として知られている。彼の政治的経歴は、ペルー国内外で大きな注目を集めたが、その評価には賛否両論がある。

略歴

  • 生年月日:1938年7月28日、リマ、ペルー生まれ
  • 両親:日本からの移民であり、ペルーで農業に従事していた。
  • 教育:フジモリ氏はペルーで初等・中等教育を受け、その後、ペルー国立工科大学に進学した。後にフランスとアメリカでも学び、物理学と数学を専攻した。彼は大学で教鞭をとるなど、教育者としてのキャリアも持っていた。

政治経歴

  • 1990年大統領選挙:フジモリ氏はほとんど無名の候補者であったが、ポピュリストの姿勢と反エリートのメッセージで支持を集め、勝利を収めた。彼の当選は、当時のペルーが直面していた経済危機と、センデロ・ルミノソ(光の道)というゲリラ運動の脅威に対する強硬な姿勢が背景にあった。
  • 経済政策:彼は厳しい経済改革(通称「フジショック」)を実施し、ハイパーインフレーションを抑制した。この政策には、公共企業の民営化、財政赤字の削減、自由市場経済の導入などが含まれた。
  • センデロ・ルミノソ対策:フジモリ政権はゲリラ運動に対して軍事的に強硬な姿勢をとり、治安を回復するために積極的な対策を講じた。この過程で、人権侵害の疑惑も浮上した。
  • 大統領権限の拡大:フジモリ氏は1992年、クーデターを起こして国会を解散し、憲法を改正することで権限を強化した。この行動は「自らの権力を強化する独裁的行為」と批判された。
  • 再選とその後:彼は1995年の大統領選挙でも再選を果たしたが、2000年の3選目の際に不正疑惑や汚職が表面化し、辞任に追い込まれた。彼は日本に逃亡し、辞職をFAXでペルーに伝えた。

その後の人生

  • 日本への亡命と逮捕:2000年、フジモリ氏は日本に亡命したが、2005年にチリに渡った際、ペルー政府の要請で逮捕され、2007年にペルーに引き渡された。
  • 裁判と有罪判決:2009年、ペルーの裁判所でフジモリ氏は人権侵害と側近の汚職の罪で有罪判決を受け、25年の刑が言い渡された。
  • 恩赦:2017年、健康状態を理由にペルー政府から恩赦を受け、釈放された。

フジモリ氏の政権は、ペルーにおける治安と経済を回復させた一方で、人権侵害や汚職など、多くの問題も引き起こした。そのため、彼の政治的遺産に対する評価は依然として分かれている。

歴史の真実は一般的に解釈されている内容である。

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