240922(日)雨、曇

人生100年時代に挑戦/健康維持の行

食事

▶︎朝食‖ ロカボ食(味噌汁)、鶏の胸肉、玄米100g、ナッツ10片、

▶︎昼食‖ 欠食

▷間食‖ 、、、駅ビル1F ‖ パン1個、☕️☕️

▶︎夕食‖ロカボ食 ‖ BaceBread(米飯間に合わず)、果物無し1/4

運動

ウォーキング ‖ 午前 ‖ Mac 3345+2 ≒ 7000歩

筋トレ ‖草むしりとスクワット30回

私の養生訓

  • 貪らない、自然の恵みを分かち合う
  • 節度あるロカボ食
  • 食後すぐの運動
  • 自然を受け入れる
  • ビタミンB12 末梢神経回復に有効か
  • 食事含め社会活動全般に座右の銘を心がけ慎重に処す
  • 縄跳び 週2 24090507-
  • バナナと豆付きモヤシを毎食必須とする。⇒ロカボ食は、モヤシ、バナナ、キャベツ(湯)納豆1/日、豆腐、きのこ類、ワカメなど味噌汁で、魚は、刺身が最良、煮物が次、生野菜は消化悪いので少量、トマトは皮付き煮物へ

その他のエビデンス 継続

▶︎糖質疲労からキーワード抜粋

  • 糖毒性の症状が現れないように⚠️
  • メタボリックドミノを引き起こさない
  • 食後はすぐ体を動かす。できれば座らない。70代体験 ‖ 食後30分に始める水泳はその後体調が非常に良い
  • 日本人はバターも肉の脂も遠慮なく摂るべし(欧米人と体質が異なる)。脂質が血糖スパイクを抑える
  • 「マヨネーズ」を加えると血糖値が劇的に上がりにくくなる
  • 血中コレステロールが心配だから卵を控える、は無意味 ‖ 卵はOK→よく体験的に確認する。
  • 腹持ちを良くするためにも米より肉・バター ⇒ バターは長い間良くないと言われてきたが…
  • 1食あたりの糖質(炭水化物)はおにぎり1個まで(≒40g)我流 ‖ 100g/日 Max
  • タンパク質と脂質でお腹いっぱいになるように食べる⇒満腹 ‖ お腹が苦しくなるほどではない。中性脂肪が増えないように注意⚠️検診データを確認
随筆 ‖ 心に浮かんだことをあれこれ書き記す

夏目漱石の講演録(YouTube)

他人のためにする仕事を「職業」、自分のためにする仕事を「道楽」と定義して論考 (1時間程度)

URL https://youtu.be/n_Bi_V2xUN4?si=KMqGB7esecdUMDxT

漱石はこの前年に「修善寺の大患」によって生死の境をさまよい、病が小康状態となったこのころ、大阪朝日新聞社の招聘に応じて、関西地方での講演会に登壇した明治44年の講演録である。

たまたま、Googleお勧めのYouTube。みると、この文言に出逢った。おっ、面白い。

1時間以上の講演録は今の自分には集中力が続かない。が、この言葉から自分なら何が連想できるだろうか、と考えてみた。

ボケの進まない今のうちに他人の考えより、自分の考えならこうだ、に重点を置きたい。若い時は、吸収の方に力が入るだろう。しかし、今はインプットよりアウトプットである。まとまりの悪い長文にってしまったが、このまま残すことにした。

世の中、人の生き方は、千差万別で、職業一途で他には目もくれず匠の道を極めた人、道楽に走りすぎて身を破綻させた人、あるいはその狭間で生きた人など様々な例がありそうである。

私の場合は、他の人はいざ知らず、興味のないことには全く身が入らない性格のようだ。「私はコレで首になりました」という昔流行ったテレビのパイポコマーシャルのタイプである。他人から見ると頑張り屋で、その道オンリーの職業人に見えるらしい。もしそうなら、もっとましな人生になっていただろう。どこまでも未成熟児のまま今がある。

例えば、60才位から、子供用のボロボロの電子ピアノをもらって、とうとう子供達を放って自らがもっぱら手に触れて、そのまま時間さえあれば鍵盤に触れていた。食事もそこそこ、3度の飯より、であった。まわりからうるさがられても、最初はエリーゼのために一曲弾ければ、という目標が、なんだかんだ10年近くほぼ毎日手に触れていた。しまいには屋根裏に移動させられて、である。

思ったより難しい楽器ではあったが、仕事中でも、時間があるといつのまにか、日頃の課題が思い浮かんできて仕事に支障をきたしたものである。あの忙しい頃に平均して1日1時間は失っていただろう。365時間✖️10年で、3650時間、考える時間も入れたら、1万時間近く費やしたのではないか。その割には身に付かなかった。賢い元上司から、子供時代に始めないと楽しめない楽器だよ、仮に弾けてもね、と言われたものである。事実であった。

楽譜を見て鍵盤を確認すると、その瞬間に楽譜の内容が頭から消えてしまう。大人になってからピアノを始めた、記憶力の悪い人間には、やはり無理があるのだろう。本当は、ピアノを始める時期自体が遅すぎたのだ。しかし、世の中には「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。しかし、この諺は私にとって例外である。「好きでも…」と置き換えるべきだろう。なぜなら、私は単にピアノをやめられなくなったからだ。

ピアノに触れ、その音を聴くことは、私にとって至福の極みであった。しかし、それはもはや依存症だったに違いない。障害者レベルと言っても過言ではない。こうして書きながら気づいたのだが、もし当時これを知っていたなら、私は間違いなく病院送りになっていただろう。

そんなわけで、何の役にも立たない時間を膨大に失ってしまい、他人が知る由もない道楽に過ぎなかったかもしれない。そして、ピアノが壊れて触れなくなってから、その弊害を様々考え、我慢してピアノを絶ってから10年(詳細は忘れたが)ほど経つ。可能かどうかは別として、今でも忙しかった現役時代に、十分にできなかったという欲求不満が残り、残念な思いが続いている。内心は「弾けなくなっている」という気持ちが本当はある。

なぜなら、プロになるなら1日最低でも3時間要する難しい楽器なのだ。1日練習をサボれば2日遅れる、というくらいだ。トータル3万時間、否、10万時間必要だと、ピアノを教えているプロの方から聞いたこともある。いくら何でもそれは無理だ。実際、そんな時間はないのだから仕方がない。

しかし天才なら3歳で初めて、小学校高学年でオーケストラで弾ける子も世界では何人かいる。要は才能だ。私も何とかしてナイトクラブでピアノを弾くという夢を持っていたが、その実現は彼方に消えた昔話である。

好きなことをして生活できる、これは理想である。才能なくても貧乏しても個人的には問題ない。が、道楽できる身分ではない。

当時は、よく仲間と会った時に、ゴルフに凝って会社が傾く、という話が「まことしやか」に語られていたものである。が、私も対象は異なっても例外ではなかった。あの膨大な時間を本業に費やしてたなら、と思うこともあるが、よく考えると、それができない私は好きなこと以外はできないタイプであったようだ。いわゆる道楽ものなのかもしれない。

結論 ‖ 専門バカ、道楽者、この両者はいずれも世間から外れた印象を受ける。道楽ものよりは専門バカの方がまだマシなのはいうまでもないが、専門すぎて周りに迷惑をかけるとなると問題は似たようなものになる。

数年前に、昔の友人から「遊びを知らなすぎてつまらない」というような呟きを耳にしたことがある。それは振り返れば容易に認識できる。頭の中は一心不乱だったのだ。申し訳ない、これからでも少しは取り返したい、そんな可能な範囲はあるだろう。そのため、我慢している(問題を抱えているかもしれない)。

基本姿勢 ‖ この講演録はおすすめでGoogleの仕組みで出てきた番組だ。ちょっと聞いて面白く感じるのであるが耳を傾けると流されてしまう。動画情報は効率が悪い。文字なら、全体の中から要をスピーディーに抜き出せるので、動画や録画情報は苦手だ。

[夏目漱石略歴]

1867年2月9日生 – 1916(T5)年12月9日

江戸時代の終わる大政奉還のあった年に生まれ、大正5年に没している。本講演は、明治44年、前年度に病気で寝込んでいたという。

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