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今日は日暮里の歯医者で定期予約していました。雨模様なので用件はそれのみに絞り、東京都美術館再訪し、田中一村展示会に足を延ばして来ましたので、ここに概要を記します。
甚だ教養不足の私ですから、級友から「田中一村」展示会が東京都の美術館にあると聞いて初めてそんな人がいるのだ,と知りました。そんなわけで、聞いた当時はそれほど関心はありませんでしたが、時間が経つにつれじわり気になり出し、本日1人で足を運びました。
彼は7才ぐらいから絵を描き出し、神童と言われたようです。そして69才で没するまで一筋に絵を描きつづけたというだけに、膨大な数の絵画が展示されていました。もちろん、芸術一筋で生活苦の痕跡も残していますが省きます。
彼の作品は生前にはほとんど知られておらず、幼少期から神童と言われたにもかかわらず、芸大は入学するもすぐに中退し、各種展覧会に出品するも落選ばかりで、死後にようやく見出されて評価が高まったのだそうです。NHKでも放映され、有名になったようです。特に奄美大島での作品は多くの人に親しまれているようで、その精緻な表現力に直に接してきました。写真は禁じられていますので掲示できませんが、死後に有名になるなど、ゴッホのようです。いや、芸術作品は他と比較できるものではないと思います。通り一遍の言葉しか出ませんが、圧倒的な作品の数々は素晴らしい限りでした。
上野駅、スターバックス内で記す。
現在、田中一村の大規模な回顧展「奄美の光 魂の絵画」が、2024年9月19日から12月1日まで、東京都美術館で開催されています。この展覧会では、奄美大島での一村の代表作をはじめ、彼の生涯にわたる作品が展示されています。特に、近年の研究で発見された資料も加えられ、一村の芸術的探求の深さが紹介されています。
この展覧会では、約200点に及ぶ作品が展示され、彼が奄美大島の自然や文化に触発されて描いた美しい南国の風景や動植物の細密画が見どころとなっています。また、講演会や関連イベントも開催されており、奄美の文化と一村の関係をより深く知ることができる機会が提供されています。
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 – 1977年9月11日)は、69年間の生涯を通して独自の芸術を追求しました。特に南国の自然を描いた作品で知られています。
田中一村は千葉県出身で、幼い頃から絵画の才能を示しました。彼は伝統的な日本画の技法を学びましたが、後にその枠を超えて独自のスタイルを確立しました。1950年代には奄美大島に移住し、そこで出会った南国の動植物をテーマにした作品を数多く制作しました。彼の作品は、植物や鳥などを細密に描写しつつ、色彩豊かで詩情あふれる表現が特徴です。
彼の作品は生前にはほとんど知られていませんでしたが、死後に評価が高まり、特に奄美大島での作品が多くの人々に愛されています。現在でも彼の絵画は、日本画の伝統と南国の自然美を融合させたユニークな作品として高い評価を受けています。
田中一村の生前の人脈は非常に限られていました。彼は生涯を通じて孤高の画家として知られており、特に後年は奄美大島に移り住んでから、自然と向き合う生活を選びました。
若い頃、彼は東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進学しましたが、中退しています。この頃に、当時の美術界の人々と接点があったとされていますが、彼の独特な作風と生き方から主流の美術界とは疎遠でした。奄美大島に移住後も、現地の住民との交流を深めつつ、あくまで独自の表現を追求しました。
また、彼は同時代の多くの画家や美術批評家たちとの直接的な交流は少なく、画壇に参加することを避けました。そういった意味で、田中一村は孤高の画家として人脈よりも、自然との対話や独自の芸術を中心にした人生を送ったと言えるでしょう。
田中一村の作品展示会は、定期的に開催されています。彼の作品は、その独特なスタイルと奄美大島の自然を描いた美しい表現が評価され、特に南西諸島や東京を中心とした美術館で展示されることが多いです。
常設展示としては、奄美大島にある田中一村記念美術館が有名です。この美術館は、一村が奄美大島に住んでいた時期に描いた多くの作品を展示しています。奄美の自然を細密に描いた一村の作品を見るために、彼のファンや自然愛好家が訪れることが多いです。
また、日本各地の主要な美術館で田中一村の回顧展が不定期に開催されています。こうした展示会では、一村の代表作や生涯にわたる作品が幅広く紹介され、彼の生涯や画業について深く知ることができます。開催情報は各美術館のウェブサイトや美術展のカレンダーで確認することができます。