無理の効かない…
「無理が効かない」とは、このことだったのだ。当たり前だけど。若い頃は鍛えればそれに応じて体力は伸びたように思う。だから部活などで上級生が下級生をしごいたりするのは昔なら普通にあった。それが文化の一面を成していた。人権を過度に重視する今では考えられないことだが、鍛えるやり方は絶対悪とばかりは言えない。それは、可能性を引き出すからだ。が、それはしかし、伸び盛りの頃の話。年齢を重ねて気づいてみたら、普通に鍛えてもさっぱり体力が向上しなくなっていた。これだけは経験してみないとわからない。
なるほどな、「無理の効かない歳」とはこのことだったのだ。
右膝がほんの少し痛むだけで、ひょっとして歩けなくなったら大変だ⚠️と焦る。
それもこれも歳を必要以上に重ねてしまったから心配が出てくる。どうなるかわからないからだ。
母が10年ほど寝たきりだった頃の事を思い出せば、吾輩はまだまだこの先最低でも15年くらいは生きながらえるのではないか。そうすると95歳だ。しかし寝たきりは嫌だな…241215記す。
📍 朝ウォーキングに出かける時、猫の餌がなくなっているのに気づいた。メモ書きに「猫の餌」と記して出かける。途中、どちらのコンビニにするか少し迷ったが、イートインのある方を選んだ。そして、雑誌を買ってしまってページをめくった。適当に珈琲を飲み干し帰路につく。帰宅して気づく。猫の餌が売っているのは、もう一つのコンビニの側なのだった。それを忘れて帰宅して気づいた。
さぁ、と、洗濯物干して再び出かける。どうせやらなければならないウォーキングの歩数確保なので、苦にはならない。😓。
📍 駅前のセイムで餌を買って戻る。
清く貧しく美しく
なんのきっかけか、途中、こんなキャッチフレーズが思い浮かんだ。
これは福島県の只見中学校へ転校した時の教室に掲げてあった標語である。しかし、貧しい?はおかしく感じたので、じっくり思い出してみた。やはり違っていた。貧しいではなく、「正しい」だった。確かにそうだ。貧しいのは自分のことだった。苦にするほどではないが。
清く正しく美しく
悪くない標語だ。私にはそう思える。
当時は小学校4年生だ(確かそうだ)。この標語の意味などよくわからなかったが、響きが嫌いではなかった。
ついでに思い出した。野口英世の言葉として「忍耐と努力」というのも掲げてあった。これはわからなくもなかった。よく先生から聞かされた話は、子供の頃に手に大火傷を背負って忍耐と努力で偉業を成し遂げた福島県人だ、見習うのだぞ、というようなものだった。
残念ながらどうしたことか、先生の顔を思い出せない。同級の男子生徒の5人くらいはすぐ思い出せる。あとは特徴のある女子生徒3人ほどしか思い浮かばない。好きな女の子もいた。
只見という土地は、猪苗代湖にそう遠くない山奥だ。野口英世はその猪苗代という、只見からしたら都会の出身である。なので、彼ができたのは都会であり、運も良かったんじゃ、と子供心に思ったりしていた気がする。只見小学校の思い出はこれで終わりだ。
帰宅。
野口英世の生い立ち
出身地は、福島県耶麻郡三島町(現在の福島県猪苗代町)である。1876年(明治9年)にこの地で生まれた。猪苗代町には彼の記念館である「野口英世記念館」があり、生涯や業績について詳しく知ることができる。また、この地域は美しい自然環境に囲まれた土地でもある。
【業績】
野口英世の業績は、細菌学・医学の分野、特に以下のような研究が知られている。
1. 梅毒スピロヘータの研究
ドイツのポール・エールリヒの研究所において、梅毒の病原体であるスピロヘータの培養法の改良に成功し、梅毒治療研究に大きな貢献を果たした。
2. 黄熱病の研究
主にアフリカで黄熱病の研究に取り組んだ。病原体を特定するために現地でフィールドワークを続け、多くの成果を上げた。しかし、この研究中に自身も黄熱病に感染し、1928年(51歳、享年53歳)に若くしてガーナで亡くなっている。
3. 細菌学の基礎研究
ペンシルベニア大学などで細菌学を学び、様々な病原体に関する研究を行った。特に炭疽菌や破傷風菌など感染症に関する研究で注目を集めた。
再掲期間 月次単位
ノリさんの投稿部
▶︎投稿日 241215
体力が とてつもなく落ちて あいうえお
生きのびる 力止めたら おさらばだ
▶︎投稿日 241214
大樹の葉 風に任せて 散り落ちる
大樹殿 貴方もだいぶ ハゲてきた
大樹君 君の足下には 衣が無数
激寒の季節ついに来て 意気消沈
有名人 ヒートショックに 尽きました
この命 生き延びるだけ 生きのびる
🙆♂️髪の毛が抜けて、頭が冷えすぎて家でも帽子が必要になりました。
🙆♂️お医者に相談しょうと思います。
🙆♂️それから、手や足の指先がかなりの違和感があります、これも副作用です。末梢神経障害です。
———————-
▶︎投稿日 241211
十二月 木々色づきて 温暖化
温暖化 今頃色づく 師走かな
何かあると 独り住まいの老人は 孤独死思う
▶︎投稿日 241201(日)晴
いやはやと 電子口コミ 世が変わる
怪し気な 人々か跋扈する 選挙運動
大樹に 鳥たちを飼っている 炎天寺
我が友の そのまた友も ガン治療
友逝きし 後に知らされ 涙する
救急車 朝早くから 鳴り走る
青空に 木々色づいて 布団干し
段々と 大樹の向こうに 青空見ゆ
この時期の 大樹の姿に 似る頭
ゆっくりと 食事味わい 落ち葉かな
待ってました 木々の紅葉 夕陽浴び
▶︎投稿日 241125(月)晴
異常気候色づかぬ木々再生どうする
秋がなく 冬に直進 大丈夫か
冬来る 秋を飛び越え 備えなし
抗がん剤 一週間の 関節痛
寒さゆえ 眠気押し来る 老いの身に
抗がん剤 体のだるさ 続く今
主治医から 元気貰って 帰途につく
一万歩 歩いて帰宅 バタンきゅう
北の風 枝葉揺らして 前屈み
▶︎投稿日 241108
昼食は 即席汁粉に 餅を入れ
▶︎投稿日 241107
11月 秋雨でなく 線状帯
この天候 とまどい続く この私
酷暑日の 体にこたえる暑さ 今は亡き
通院も これなら許せる 秋の空
がん療法 私の髪も 秋模様
立冬にあっという間の 感深し
立冬にあやかって
大樹の葉 北風来ても 未だ落ちぬ
立冬に これだけ揺れても 葉落ちず
洗濯物 大樹の枝葉に 同期せり
灯油売り チャイム鳴らして 売り始め
10月も 下旬なのに 夏日くる
異常気象 トコトントコトン 異常気象
異常気象 人もケモノも タジタジだ
能登半島 千年に一度の 隆起あり
この隆起 光る君へと 連動す
選挙について
投票日 皆さん夜なべで 雨模様
この雨は 落ちる人には 気が重い
雨の中 通院するのも 煩わし
大樹から 葉一つ一つ 落ちにけり
抗がん剤 頭髪は太陽の フレアの様
▶︎投稿日 241023
友のブログ 凄いパワーに 敬服す
鳥たちも 昼寝するのか 静かです
この葉達 全て落ちたら 鳥たちどうする
遠出して ご褒美にプリン 買いました
室温も 18度となり 秋来る
鳥たちも 秋の稔りを 満喫す
▶︎投稿日 241016
煩悩を 焼き尽す火が 立ち上がる
お護摩の日 稲刈り終えて 聖火あり
この薬 沢山の弊害 押し寄せる
点滴を 受けてご褒美 アップルパイ
註釈 点滴に2時間15分かかります。
観たいなあ 彗星西に 窓は無し
風に乗り 聞こゆる声は 運動会
▶︎投稿241011(金)晴 241017まで掲載分
蒲焼を 貰って食べて バテをとる
小学生 AIの話をしている この凄さ
化学療法で減る白血球を増やすための注射で。
何とまぁ 時限注射器 腹につけ
カフェ開き 移ろいゆく日々 客足も
カフェ開き 悩み多いのは お客様
カフェ開き ただひたすら 悩むなり
秋雨が いよいよ寒さを 招きけり
室温が これからの寒さ 予感せり
化学療法で治療後、27時間経つとお腹に着けたボディポッドか、勝手に液を注入します。ジーラスタ皮下注射です。これもまた、凄い時代になりました。
川柳・俳句-mandara
▶︎241025
諸行無常 栄枯の果てに 消ゆる影
取引ありし 昔を想う
← 船井電機の破産手続き開始に想う
▶︎241023
清秋や 里山深く 闇落ちぬ
▶︎241020
神経痛 ミミズが走る あにこちに
老化とは 病の種を まく季節
4コマ漫画 by y.Mandara 241107
鑑賞 伊藤若冲 (人物伝 8月3日参照)
▶︎伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)
– 誕生日:1716年3月1日
– 死亡日:1800年10月27日
new 俳句スタディ
とうきびを捥ぐや身ぬちにひびきける
「身ぬち」とは、「身内(みうち)」が転じた表現で、体の内部や体の芯を意味する。この意味がわかると、ズシンと感じる。語彙力がないと俳句も鑑賞できないので取り上げた。[出典 毎日俳壇]
そのほか、知らない単語や言葉がたくさん見つかる。特に俳句や和歌の世界、漢文の世界、知らないことだらけである。
編集日 241215(日)晴
▶︎定期検診予約日 2024/12/19 この日までに、HbA1c、空腹時血糖値、LDL、PSA、尿酸値のいずれも改善させる。
食事と運動
→241215-睡眠4時間程度 質悪 昼間眠くなるか?
→241214-途中覚醒4 睡眠の質 低域
寝つきは良く、最初の睡眠は深く、一度目覚めた後はほとんどうたた寝。その後は1時間毎に起き上がる。
—————————-
朝食 ‖ 省く。
間食‖ ☕️+ナナチキ atセブンイレブン
昼食‖13:00-14:00 ‖野菜サラダ→タンパク源(サバと野菜の煮込み)→ご飯100g→みかん1/2 💊4種(朝の分)
夕食 ‖18:00-19:00 ‖ サラダ→サバ煮込→玄米ご飯80g→りんご1/4 💊3種(夜用)→ウォーキング
日本酒の糖質 日本酒1合(180ml)あたりの糖質は、一般的に6~9g程度とされています。ざっくり10g以下、と覚えておこう。
運動と健康日記
【メモ】🔻座る時間が2時間増える毎に死亡リスクが15%アップする[筑波大教授医学博士監修 シニアのための筋肉の新常識 ]
▶︎241215(日)
📌 ウォーキング歩数 >6000 ⇒ 7500歩
【三大筋トレ】昼食後ウォーキング代わり
▶︎スクワッド ‖ 15×1
▶︎擬似デッドリフト負荷12kg ‖ 15×3
✴️膝の痛みが少しあるので中断
▶︎ベンチプレス ‖ 腕立て伏 / 代用 ‖休
▶︎他[縄跳、ランニング]休み
【メモ】週3回以上の筋トレは有害
241112-筋トレの効果が出るか体験中。
✴️12/13-右膝が痛みあり。様子見。
241212-途中覚醒6 日本酒が悪かったか?就床も遅かった?夕食も23:00と遅かった
241211- 朝 ‖ 途中覚醒1 睡眠の質が良
「参考書 ‖ 糖質疲労」から引用
▶︎小魚・牛乳・卵⇒LDLが高くなる?→食べ物から体に取り込まれるコレステロールは30%。残りは体が作り出す。遺伝70%。肥満とコレステロールは直接は関係ない。 肥満は食事と運動で1ヶ月程度で改善できる(プレジデント 野口緑)。
▶︎肉食増やしてから尿酸値が高くなったのか→ 次の検査で再確認。✴️右手指第二関節が握ると腫れぼったい感じと痛みはこれに関係あるか?昔指を反らせて無理に関節を訓練したせいもあるか?(これが有力とはChatGPTの回答)
我が養生訓
更新日 241214
- 貪らない、分かち合う。
- 良いものより悪いものを摂らない
- 禁酒→アルコールが良いという説は聞かない。
- 病気の原因はストレス。それは蓄積しなければ病気は逃げてゆく
- 食事は食べる順序が重要。米の主食は100g糖質35g。お粥などは水分を差し引いて計算する。100gでは糖質の余裕は5gしかない。ご飯は50g(糖質18g)に抑え、空腹は他の糖質の少ないもので満たすこと。バナナ小1本で38g⇒バナナ小1/2にする。
- バナナ小1本(80g皮付)糖質20g
- 食後30分以内のウォーキングで血糖値スパイクは予防できる、
- 筋トレ ‖ 週2回。ランニング 週1回
- 走ると体が軽くなる →全力疾走が1番。⇒今のところ、疾走は不可能。
その他の健康関連情報
▶︎編集日付 241124
- 末梢神経回復のためのビタミンB12を含む食品⇒魚介類、乳製品、黄卵、肉類 ‖ ラム肉、レバー・小魚・黄卵はLDLが高くなる?★要次回の検査データで確認。
- → 対処薬のメコバラミン錠は効果を実感する。頭部皮膚を触ると痛みが走っていたが、ここ一年近く忘れている。回復したのか?しかし白髪は増えている。
タイトル 大往生したけりゃ医療とかかわるな / 「自然死」のすすめ
→ 優先順位 低下 ✴️疑問 ‖ この人も、近藤先生も、安保先生も長生きはしていない。ポックリ逝ったのかどうかは不明。
著者 中村仁一 ‖ 幻冬舎 ‖ 2012年1月31日第1刷発行 ‖ 京大医学部卒、 亡近藤誠医師などと共に、現代医学界の標準治療に疑問を呈している医学者1人。2021年6月死去。81才⇔日本人男性の平均寿命。★平均寿命は例外の事故死など含むため、実際は中央値の84歳よりさらに高齢と見做して良いと思われる。ざっくりと、自分の寿命は現役に戻らなくて済むなら100歳は無理でも88歳までは確実と思われる。241208。
リサーチ期間 2024年12月1日〜
内容 老後の生き方に影響する内容を整理・リストアップしてゆく。
中村 仁一(なかむら じんいち、1940年 – 2021年6月5日:享年81)は医療評論家としても活動。 1966年に京都大学医学部を卒業後、財団法人高雄病院の院長や理事長を務め、2000年からは社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所の所長として勤務しました。
1996年には、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰し、延命治療の拒否や自然死の推奨を提唱しました。また、1970年代にはクイズ番組にも多数出演し、「クイズグランプリ」のグランドチャンピオンになるなどの活躍を見せました。
著書には『老いと死から逃げない生き方』や『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』などがあり、医療や死生観に関する考察を多数発表しています。
✍️
★既に一度読んで傍線が引いてある。
捨てない本として残しておく。
▶︎241201-241205 しばらく捗りそうもない。筆止中。