日記250119(日)曇

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東の空から陽射しが眩しい。しかし、全体的に雲が覆っている。-3℃〜10℃予想である冷たい朝だ。

ニュースウォッチ

いつもは経済新聞の電子版を眺める。しかし本日はなぜか経済記事が難解に思えて触れたくない。いつものウォーキング​途上でコンビニに入って新聞販売棚を眺めて取り上げた新聞が毎日新聞だ。好き嫌いはないので、これで今朝のニュースを眺めてから始めようと、コーヒーにナナチキを齧りながらおもむろに毎日新聞を広げた。

中国から祖国(日本)へ反戦訴え

長谷川テルの信念 / 「エス語」で平和希求

こんなタイトルで、一面の半ページ分の紙面に報じられている。取材記事は、そこから3面に続いており、長文である。3面をめくると、こちらも上部半ページを使って記事がまとめられている。

ざっと速読して感じたことを記す。記事には、日中戦争時代に反戦を訴え続けた日本女性と、中国留学生による活動が描かれている。その内容を追う中で、大塚らいてうや与謝野晶子を連想させる部分もあった。

なお、日中国交回復後の1980年に、日中合作ドラマ『望郷之星 長谷川テルの青春』(栗原小巻主演)が制作され、そこに日中両国を愛した人物として描かれている。

長文を深く読み込み要約するのは難しいため、簡潔な感想を記すに留めたい。

主人公である長谷川テルは、1937年に始まった日中戦争を「軍事ファシストが自らの利益のために起こした侵略戦争」と喝破し、ラジオ放送で日本兵に戦闘停止を呼びかけたすごい人物である。

彼女は1912年、山梨県に生まれ、後に中国へ渡り二人の子供を産み育てたが、1947年1月に中絶手術の失敗により34歳という若さでこの世を去った。夫である劉仁氏もその3年後、後を追うように病没している。

子供達は戦後に日本人の親族(テルの姉)と交流が実り、日本で活躍しているようである。

山梨県で生まれたテルは、保守的な父親とは意見が合わず、親元を離れ、20歳の頃にエスペラント語と出会い学び始めた。しかし、時を経るうちにそれが治安維持法違反に問われ、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)を退学処分となる。

その後、中国人留学生である劉仁氏と知り合い、父親の猛反対を押し切り結婚を断行。やがて劉氏を追って上海へ渡った。この辺は、並々ならぬ意志の強さを感じさせる。その後の第二次上海事変では両国の戦闘を目の当たりにし、「両国人民のために戦争をやめろ」という強い訴えをエスペラント語で綴った。

この記事では、両親の間に生まれた2人の子供達への記述はないが、子供たちにとっては、何の罪もないのに大変な困難な環境に置かれたことを忘れてはならない。戦争の悲劇は計り知れない世代に不幸をもたらすのだ。

現在、「長谷川テル著作集」を出版するプロジェクトが、「長谷川テル研究会」の6名によって進められているという。テルが残した文章は、論説、翻訳、小説、短歌と多彩である。どの時代にも、先を駆け抜ける人物はいるものだ。出版を楽しみに待ちたい。

あなたのすぐ周りにも、目を覚まさせてくれるような人物がいるに違いない。ただ、我々はそれに気づいていないだけである。

連想→ 大塚らいてう、与謝野晶子

大塚らいてう(らいちょう1884年~1971年)は、日本の作家、思想家、そしてフェミニストです。女性解放運動の先駆者として知られ、1911年に『青鞜(せいとう)』という女性文芸誌を創刊し、「元始、女性は太陽であった」という言葉で女性の社会的役割の重要性を訴えました。

与謝野晶子 与謝野晶子(1878年~1942年)は、日本の歌人・詩人・思想家であり、明治から昭和初期にかけて活躍した人物である。大阪府堺市に生まれ、短歌を通じて女性の自由や個性を訴えた。1901年に発表した歌集『みだれ髪』では、情熱的な恋愛や女性の感情を大胆に詠み、大きな反響を呼んだ。また、日露戦争時*に「君死にたまふこと勿れ」という詩で反戦を訴え、物議を醸した。夫である与謝野鉄幹とともに雑誌『明星』を創刊し、多くの若手歌人を育成。女性の地位向上や人権擁護にも尽力し、日本近代文学史における重要な存在として知られる。

(*)日露戦争

日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日に開戦し、1905年(明治38年)9月5日に講和条約(ポーツマス条約)が締結されることで終結した。戦争期間は約1年半。


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▶︎米大統領就任式明日。寒さで屋内開催

📍10:30- ウォーキング​再開

📍 12:45- スマホケーブル忘れ帰宅してみると、

首から上だけ外に出して寒さを凌いでいた。

📍 13:00-

📍 14:30- 昼食後入間川の土手下ウォーキング​

青葉散り 枯れ木の土手や 冬入間
入間川の土手を歩く。かつて青々と繁茂していた葉は、今や枯れ木と化し、その骨が露わになっている。
静まり返る風景に、季節の移ろいを思う。青の輝きは去り、今は寂寥せきりょうがただそこに在る。

📍15:00-上空、晴れ間は2割以下なので、天気は曇りである。歩いていると、雨が降り始めた。急いで帰ろう。

📍 帰宅

筆止

22:00- 寝る準備→就寝。

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