あるがままがいいのか(健康と人生)
長年に渡り、自然を尊重してそのからくりに任せる、という基本的な考え方をしてきた(*2)。その後、そのことに関しては考え直すこともなく、深掘りもせず生きてきた。
しかしながら深くは考えてこなかったが実際には理想と現実の狭間にはズレがある。
例えば、今は老眼鏡が手放せない。これがなければ、細かい文字は認識しずらいために、本や新聞の類は既にまともに読めなくなっているはずだ。自然の不具合を補足して生活しているわけである。
間もなく、乗り換え駅近い。乗り過ごしが頻発しているので、思考を中止。
注釈(*2)[粉ミルクと母乳育児]たった今、目を通した「ニセ科学の正体」という新刊の第3章「人体にまつわるニセ科学の真相」の203頁の最終行に次のようなフレーズがある。
…最新の研究においても母乳育児のメリットが次々と明らかにされており…
やはり、まだ研究が遅れている分野においても、自然の力がなおざりにされていることが現代病の蔓延につながっているのではないか。これこそ、自然のカラクリの精緻さの顕れでなのではないか。
人間は考える葦である…パスカル / 考えたら成長するのか?
人間は生きてる限り何かしら考えている。このことを小学校4年生じぶんに気づき、大人が「長年これで飯食ってきた」とかいう表現をする意味がわかった(つもりになっていた)。それだけ頭を使って考えてきたんだな、と。それ以来「考えてきた量」が違う、自分には知らないことを知っているのが大人だ、と思い、年長者には無条件で一目おくようになったものだ。
しかしいざ自分がこれほど年齢を重ねたにも関わらず、昔の年配者とは比べようもなく子供みたいな気がする。これには正直、おどろく。
今日の忘れ物
→ オーバーコート ‖ TGGからの帰り
→ 家のエアコンを高い温度設定にして外出
→ 帰宅後、野菜の煮物をしていて鍋を焦がした。