【最終録 3章📍ここからへ 2025/2/15】
タイトル 「死を見つめる心/ガンとたたかった十年間」 ‖ 著者/岸本英夫 ‖ 講談社 ‖1973/3/15初版
著者略歴 ‖ 1903年6月27日 – 1964年(昭和39年)1月25日 60歳、脳腫瘍で死去(小生18歳、倉敷市在住時)
東京大学教授や東京大学附属図書館長を務めた。兵庫県明石市出身で、父は宗教学者の岸本能武太。東京帝国大学文学部宗教学科を卒業後、ハーバード大学大学院で宗教心理学を学び、M.A.を取得。帰国後、東京帝国大学で講師、助教授、教授を歴任し、宗教学の研究と教育に尽力した。尚、GHQの宗教行政にも関わった。
目次
第1章 死に出会う心構え
1.1 我が生死感
1.2 別れの時
1.3 私の心の宗教
第2章 癌とのたたかい
2.1 アメリカで癌とたたかう
2.2 癌の再発とたたかいつつ
2.3 命ある限りゆたかに
第3章 現代人の生死感
3.1 生死感四態
3.2 死
3.3 現代人の生死感
3.4 人間と宗教
その他
あとがき 高木きよ子
父の死生観 岸本雄二
主人の思い出 岸本三世
文庫刊行によせて 同上
以上のような構成になっている。本書を読む動機は、私自身の考えと照らし合わせ思考を深めるためである。したがって、どこかで納得のゆく自分なりの解が得られるか、あるいは、それ以上読み進めても得られるものがないと判断すれば、本稿はそこで終了することになる。
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第7回 第2章 癌との戦い
2025/2/11(火)晴 建国記念の日
✍️この章では癌を宣告された死の苦しみについて記されている。それは死刑を宣告され、死を待つばかりの死刑囚の心境と同じではないかと。そして、その苦しみは死刑を宣告された直後から死ぬまでの間続く。しかしながら、死は生まれた瞬間から確定しており、ただ宣告されていないだけである。真実は変わらない、我々は「知らぬが仏」として今を生きているに過ぎない仮の宿のようなものだ。知らなければその不安は生じないので知らないことが幸せであるというのも、決して嘘ではない。では、知ることに何の意味があるのか。いくら考えても死後の世界を知ることができないのであれば、知らない方がよいのではないかそんな気もする。
✍️癌が発見され、死が身近に迫ったとき、人はどのような心境になるのか。現在、平均寿命に近づいてきた自分にとって、それは極めて興味深いが深刻な問題でもある。しかし、健康であれば、とりあえず死を考えずに生きていける。結局、死を意識せずに日々を過ごしているだけであり、それ以外において死刑囚と何ら変わりはないのではない。
✍️健康に自信のあるときには無神論者だった者が、健康を失うと同時に有神論者となる。「困った時の神頼み」である。日常的に信仰心を持たない人でも、困難に直面すれば神仏にすがる。そのような心理を表す言葉として、多くの人が思い当たる節があるのではないだろうか。
✍️本を読み進める中で、記憶に残っていた一文に出会った。それは、「死に臨んで最も心の支えとなり慰めになったことは、『自分の死後、自分を思い出してくれる人たちがいる(だろう)』ということである」という言葉だ。
そうすると、生きている間にいかに他者の心の中で生き続けるかが、死を迎える際の心の支えとなるのだろう。この考えは、しばしば想起して、長い間、繰り返し考えた。人の心の中で生きるということは、拡大解釈すれば、「歴史に名を残す」につながる。そうすると、著者の指摘する死に対する免疫、という点では最も強い免疫と言えるのではないか、という思いに至る。
✍️しかし、これはあくまで過去の思索の仮定であり、年齢を重ねた今は微妙に異なる気もする。
✍️日本の歴史をたどれば、聖徳太子から徳川幕府が崩れるまで、さらには近代国家の発展に貢献した歴史上の人々が思い浮かぶ。しかし、歴史は必ずしも正しく伝えられているとは限らない。戦国時代には多くの殺戮が行われたにもかかわらず、現代ではそれが美化されることに疑問を抱く。一方で、釈迦(*)のように王子でありながら出家し無一文で人々を救い、長きにわたり感謝と生きがいを与え続けた宗教家もいる。しかし、それも後世の人々が神格化して伝えている側面がある。本当かどうかは分からないが、少なくとも釈迦一人だけの知恵によるものではない歴史を通じた多くの弟子たちの集合知と言えるのではないか、と考えている。
そうしたことを考えるうちに、私は「神仏と思うべき存在は遠くではなく、身近にいるのではないか」と思うようになった。つまり、偶像ではなく、生きている目の前の人こそが、自分にとっての神仏である、と。これを演繹的に掘り下げれば、無数の論点が出て説明が簡単にはゆかなくなるので、ここは深入りしない。そこに至る筋道は省き、結論として、私は「身近な人の中に神を見出し学び続けることが、これから生きることであり生の本質である」と考えている。
十分うまくは表現できていない。話が横道にそれた。本の内容に戻る。
釈迦は、釈迦族の王シュッドーダナの子として生まれ、カピラヴァストゥの宮殿で育った。幼少期から聡明で、武芸や学問に秀でていたと伝えられる。
裕福な王子として成長したが、老・病・死の苦しみに直面し、29歳で出家を決意する。その後、苦行を経て菩提樹の下で悟りを開き、仏教を開いた。
釈迦の誕生に関する物語は、仏教の信仰や象徴的な教えとして語り継がれている。
✍️私の疑問は、釈迦には妻子があったのに、家庭を捨てて悟りを開こうとしたことにある。そこをどのように捉えられているのか調べた結果を記す。
▶︎釈迦(ゴータマ・シッダールタ)◀︎
釈迦は29歳のときに出家を決意し、妻ヤショーダラーと息子ラーフラを残して宮殿を去った。この出来事は、仏教の伝統において「大いなる出家」として重要視されている。
ただし、「妻子を捨てた」という表現は適切ではない。釈迦は個人的な幸福や家族の愛を超えて、すべての人々の苦しみを救う道を求めたのであり、家族を意図的に見捨てたわけではない。後にヤショーダラー(釈迦の元妻)も出家し、ラーフラ(釈迦の息子)も釈迦の弟子となったことからも、彼の出家が単なる無責任な行為ではなく、深い精神的探求の一環であったことがうかがえる。
もう一つ、著者の心の支えとなったのは、自らが続けてきた仕事である。彼は、自分の学問[仕事]を「個人のものではなく、同じ道を歩む多くの研究者との協同の成果である」と考えていた。そこには心を通わせる仲間が存在し、その中で自分という存在が生き続ける。
つまり、「自分を思い起こしてくれる人々」と、「自分の仕事を受け継ぐ同志たち」がいることで、彼は死を乗り越える力を得たのである。彼はあの世を信じるのではなく、知性によって死を超えようとし、そのことに誇りを持ったという。
長くなったのでここまでとする。私には、まだ明日がある。死が差し迫ってはいない甘さがある。
第8回
第2章 左傾部全切開 250212
この章では極めて悪性の癌だと宣告を受けた後の経緯が述べられている。非常に悪性の進行癌と言われながら、その道の権威から手術を繰り返してゆけば長生きできる稀に見る運の良い癌だという診断を受けた。当初発見された時は半年の命も保証ができないぐらいの悪性癌だと告げられていたのであった。が、その診断に延命できるという新しい診断が加わった。
ここで彼は一時的に気が緩んだ。死ななくて済む、という安堵感から、それまでは患部が気になりしきりに手鏡使って調べていたのが、それを忘れるようになっていった。
それから二、三週間経った頃に久しぶりに会った著者の知人が岸本氏を見て「血色がたいへんよくて、すっかりご健康のようですね」といわれた。そのようなことが、偶然とは言えないほど、何回か続いた。どれほどの精神的安堵感が生じたか想像がつく。
✍️手術しながら長生きできると聞いてから、彼は死を忘れがちになった。その結果、血色が良くなったという。これは精神面が体調に大きく影響することを物語っている証だろう。昭和38年2月20日付の朝日新聞に掲載された。小生はこの頃、東京の五反野か岡山県倉敷市のどちらかに住んでいた。
第9回
第3章「現代人の生死観」
250213(木)
序
最終章とはいえ、本書の半分以上の頁を割いていることから、ここでは著者が癌に罹患し、闘病しながら考えたエッセンスが語られているに違いない。宗教学者としての学術的な知識を交えつつ、人生における唯一の謎ともいえる「死を見つめる」ことが、本書の核心なのだろう。
感想録が長くなるか短くなるかは、今のところ不明である。およそ頂点に近づくと、知識の量は到底及ばないものの、思考の過程が類似している。そのため、登ってみた先に広がる景色は大きく変わらないように思える。そう考えると、あまり時間をかける必要はなさそうである。
14:00- 生と死の問題は他人事ではない。自分1人の問題として、この先を生きてゆく上で必ず解かなければならないように思える。しかし、それ自体は解き明かすことのできない永遠の謎であることも真なりである。今はまだ複雑極まりなく思う。
宗教学者が実際に死に直面した後の精神生活の変遷には強く惹かれたが、学問としての生死観には興味が湧かない。これまでに考え尽くしてきた内容の繰り返しになるからである。
私としては、「生と死」を学問として究明するつもりはない。生きている今をより良くすることにのみ注力したい。なぜなら、残された時間が確実に短くなってきたからである。
したがって、これ以降は共感した部分に絞ってリストアップすることにとどめる。迷った時に、それが参考になることもあるだろう。
続く
第10回目
250214(金)晴
✍️第3章で私が得る結論はほぼ明確である。それは、「死を忘れず、そこを起点として何かに打ち込める自分を持つことが幸福であり、人生の目的に沿う」ということである。では、その肝心な「打ち込める自分」をどこで、どうやって見出すのか。これは各人各様の答えを持つことになる。
✍️私自身がかつて導き出した答えは、「自分を忘れることができる対象を持つこと」だった。よって全く同じである。その思考過程では、自分を忘れ命さえも忘れ去ることのできる対象にすべてを捧げることであった。
もう一つの反面の真理として「嫌なことはしない」という選択肢も答えに含まれていた。なぜなら嫌なことには没我没入はできないことが容易に考えられるからだ。ただし、実際にそれが可能なのかという問題も考えた。その結果、「完全なものが世に存在しないのと同じように、完全な回避も不可能である」という結論になる。仕事をする上で、嫌なことが全くないという状況はありえない。しかし、目標があれば、目の前の嫌なことや困難は必ずしも苦痛とはならない。避けることのできない壁ならば、それを乗り越えること自体が生きがいにつながる。
さまざまな派生的な思考過程を述べたが、これらは当然、著者自身も経た思考の流れであろう。
読み進めながら、思い浮かんだことを記した。本日は終える。あとで傍線を引いた箇所を抜き出し残そうと思う。まだ1/3くらいは未読であるが、内容はほぼ推し量ることができる。
すこし読み進めた結果、専門家に対する敬意が足りなかったと頭をよぎった。現代の宗教についての深い洞察が書かれていた。ただし、その内容は癌に罹患したことによる差し迫ったものではなく、私の本書を読む目的からは逸脱していた。いくらか内容を追加し、新たな興味を残しつつ、次回で締めくくることになると思う。
📍 ここから
第11回
250215(土) 第3章以降
ここでは、著者の研究として現代宗教の役割について解かれている。しかし、死そのものは永遠に謎であることに変わりはない。読み飛ばしながら傍線を引いた本の一部を掲示して終える。
【記号】▶︎:引用、✍️:コメント
▶︎深く味わう人生
このように、死から目をそらさずに済む状態になると、「よく生きる」という意味はおのずと変化し、必ずしもただがむしゃらに働くことだけが生きることではないと考えられるようになった。もっと静かに、深く人生を味わうこと――これが私の心に展けてきた心境である。
✍️ 私は、まだがむしゃらに死を忘れて生きようという立ち位置にいる。この考え方は私の未熟さを痛感させてくれた。
…
▶︎(著者の次男)癌で死ぬことはありません、と告げられた時、父はものすごく喜んだ。僕はあんなに喜んだ父を見た事がない✍️そういうものかと改めて考えさせられる。それほどまでに死が忌避されていたという事実についてである。私は生きるも地獄、死ぬも地獄というようなめに遭遇した時は、辛くても神がそのように仕組んでいるのだな、と思ったものである。人生楽しいことだけではない、辛いこともある。それでこそ死に際に健やかな顔になれるというものだ。
…
▶︎現代人は死に直面した時に弱い。近代文化が死を忘れさせるような生き方を可能にしたからだ。しかし、死を全く忘れて暮らすことが、人間の本当の幸福をもたらすとは思われない…人間は、やはり、死から目を背けてはならない。
…
▶︎藤原道長はこの世の栄華を尽くした挙句、臨終の床では画像の阿弥陀仏の手に結び付けられた紫の糸の一端をしっかり握って、死んでいった。それで、西方の極楽浄土へ行くことができると信じていたのである。
— しかし現代ではあの世を信じている人は稀だろう。—
現代社会では死に対する教養を培う機会を持つことが、容易ではないのである。
…
▶︎ほとんど全ての人間が、何らかの意味での秘めた悩みを、人知れずいだきながら、それに耐えて生きている。それがこの世というものである。
…
▶︎宗教の役割の推移
宗教が変わらざるものだけで形成されていると考えるのは誤りである。(この説明は長いので省く)。宗教も時代と共に変わるべきものだ。
✍️長い説明というのは、宗教には核心となる要の焦点が楕円形のように2点存在している云々。
…
▶︎宗教の問題を突き詰めてゆくと、
①人間は何のために生きているのか
②人間はどう生きてゆけば良いのか
の2点に絞られる。
…✍️逆説的に、(理屈で)考えないでください、感じてください、というセロ(*)の言葉も思い出す。
…
▶︎成立宗教(既成宗教のことかと思う)の形骸化した部分は滅びてゆくであろう。しかしそれは、宗教そのものの消滅を意味するものではない。
—————————-
✍️ ほぼ近い考え方であった。もちろん環境の違いから微妙に差異はある。が、取るに足りない末節における差異である。本リストに取り上げた内容は、昭和30年に『人間と宗教』に所載されていたものの転載が多い。著者が亡くなったのは昭和39年であり、これらは癌が発見される前後のものである。出版社の編集で取り上げられたものであろうか………
完
【注釈】(*)考えるな、感じろ
考えるな、感じろ(Don’t think, feel.)」は、ブルース・リー(Bruce Lee) の言葉として有名です。
このフレーズは、映画 『燃えよドラゴン(Enter the Dragon)』 の中で、彼が弟子に武道の極意を教える際に語ったものです。彼の武道哲学である「ジークンドー(截拳道)」の精神を象徴する言葉であり、理論や思考にとらわれるのではなく、直感的に動き、心で感じることの重要性を強調しています。
ここでセロと称しているのは私はマジシャンのセロが盛んに使っていたために記憶しているものであり、セロがブルース・リーの言葉を気に入って使っていたと思われます。もっとも、他の人もさらに前に使っていたかも知れないありふれたワードとも考えられますが、、私もこの言葉が好きで、しばしば使います。実際、個人的には理屈っぽい割には、理屈より直感の方がしばしば早く真理に近づくことも多いと思っている。
3.1 生死観四態とは
生死観四態とは、人々の生と死に対する考え方を大きく四つのタイプに分類した哲学や心理学、宗教学などの分野で議論されるテーマであり、特に日本では心理学者や宗教学者が提唱する概念として知られています。
✍️学問的な分類である。学問とした瞬間に生死の問題から隔離される気がしないでもない。最後のコメントにもあるように絶対的な分類ではないが、生死を考える上で役立つ、という。
生死観四態の分類
1. 生肯定・死否定型
・生きることを積極的に肯定し、死を恐れたり避けようとする考え方。
・例:現世での成功や幸福を重視し、死をできるだけ遠ざけようとする。
2. 生否定・死肯定型
・生きることに価値を見出せず、死を安らぎや解放と考えるタイプ。
・例:苦しみの多い人生からの解放として死を受け入れる宗教的思想。
3. 生肯定・死肯定型
・生も死も自然なものとして受け入れ、どちらにも価値を見出す考え方。
・例:「生きることも大事だが、死もまた避けるべきものではない」とする東洋思想的な視点。
ここは、最近連想で創作した短歌でニュアンスが伝えられる。今の立ち位置である。
ついにゆく 今ぞ行くとは いうばかり 我が命こそ 解りにくけれ
4. 生否定・死否定型
・生きることにも死ぬことにも否定的で、どちらにも満足できない状態。
・例:人生に絶望しながらも死を恐れる葛藤を抱える状況。
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この四態は、人それぞれの価値観や人生経験、宗教的背景などによって変化することがあり、絶対的な分類ではありません。しかし、自分や他者の生死観を理解する手がかりとして役立つ考え方です。
250215(土)
▶︎健康日記
→ 右足首にビビッとした痺れ(神経痛?)を感じる。
→→📍 3:00 ずっと痛みが続いている。夕方、寿司を食べたせいか。お昼もコンビニの白いご飯にカレー。食生活が乱れている。とにかく、なんとなく調子が良くない時に発生する。しかも、今日はずっと眠くない。疲れていない、という感じで、書き込んでいるうちにやゝ空腹感がしてきた。隣で猫の小さなイビキが聞こえる。さて、足首の表面がジクジクするので眠れない、どうするか…速攻では効かないと思うが、飲み忘れているビタミンB12を飲む。
もう一つ考えられるのは、食べて必要な運動(体にとっては仕事)をしていない罰かもしれないので、片付け物を始めた。
熱めのお風呂を沸かして入ってみた。血流が悪さをしていなるのではないか、と考えたからである。しかし、そうではなさそうだ。相変わらず痛みが走る。しばらく腰をかけて様子を見よう。深夜2:00記す。
📍 3:30-激痛と言ってもいいぐらい、抉られるような痛みになってなかなか寝ておらない。
📍 3:45-ここまで痛いと痛み止めに頼ることを思いつき薬箱を探す事にした。アセトアミノフェンというのが見つかった。AIに尋ねて2錠とりあえず飲んだ。AIでは医師に相談して、というが深夜ではそれはできない、と再度尋ねると埼玉県の救急医療相談の電話番号を教えてくれた。しかし、こんな深夜だ。もう少し我慢しておこう。先ほど一瞬寝たようだ。

memo>老人を扱う病院に勤務していた医師のYouTubeで糖尿病の治療についての高齢者の様子について視聴した。
🔺高血糖より低血糖が怖い
🔺認知症は低血糖者の方が高血糖の人より遥かに多く発症する。
🔺低血糖になるような治療していると、やがて低血糖になりやすくなる云々
以上、引き続きリサーチは必要。日本では大規模調査されていないのでエビデンスが不足。
⭕️食事
朝食‖軽食、玄米80g
間食‖無し
▶︎昼食‖コンビニのカレーライス
▶︎夕食‖池袋の回転寿司¥1200程度。腹8部。
▶︎体重47.3kg。痩せたままだ。うまくカロリーを取れていないようだ。
⭕️運動
▶︎ウォーキング ‖ 10,000歩→9200
飯能⇔神保町
▶︎筋トレ / 現在筋肉痛2日目少し落ち着いてきた ‖ 今日は筋肉痛につき辞めた。
📌 計画的にトレーニングしないと筋肉は失われてゆく❗️
→ストレッチ
→スクワット
→擬似デッドリフト
→ベンチプレス
⭕️仕事
⭕️趣味
【質問】人類の食物が通過する出入り口の距離はいかほどか?
【回答】およそ7〜9メートル。10メートル弱。その間の通り道でどんな化学変化が起きているのだろう?
▶︎我養生訓
- 良いものより悪いものを摂らない。
- 禁酒→米国発‖ アルコールは少量でも良くない ‖ 癌の原因
- ストレスは引きずらないこと。なぜなら全ての病気はストレスが起因。
- 食事は食べる順序を守る。ロカボ食参照。
- 食後30分以内のウォーキング。血糖値スパイクの防止。効果確認 ‖ 済
- 筋トレ ‖ 週2回⇒★専門家に相談
- ランニング 週1回⇒遊歩道発見
- ロカボ食実践 ‖ 脳には糖質が必須であり、その不足は認知症リスクが大きいと主張する雑誌記事あり。
- タンパク質はアミノ酸からなるので、肉食で無くても健康的な生活は可能である。250203分析参照。
ロカボ食の糖質制限
⚠️脳のエネルギー源は糖質である。それとどうバランス取るのか❓
ロカボ食の基本的な糖質摂取ガイドラインは以下の通り。
📌 1食あたりの糖質量:20~40g、参考書では40gである。
→ 玄米100gあたり35g、白米は37g ‖ 糖質総量から見て、ご飯は80g程度にして不足ならタンパク質やナッツ、バナナ1/4などの果物で補填する。
📌 間食1回あたりの糖質量:10g以下
📌 1日の総糖質量の目安:70~130g

手数料など仕組み不明のまま、JPYの残高30k分のBTCを購入してみた。やらないことには細かいことがわからない。あとで疑問になった部分を調べることにした。 ‖ 不明点 300,000JPY分、BTCを購入したが、これはトレードで買ったのではなく、Coincheckの店頭売買で買ったのではないか。チャート見ながらのトレードをして様子を見るべきではなかったか?
▶︎購入の理由 ‖ たまたまチャートを見た。30万円程度、現金(JPY)らしい金額の残高があるようだ。寝かしておくのは意味がない。リスクはそれほど抱えていない。それにレンジ相場と見て下位にあるとみた。これ以上下がらず、上昇に向かえば資金は増加する。→ 結論 ‖ 意味わからずとも、あとで調べる方にし、残高をBTC購入にあてた。この時、トレードすべきだが、やり方わからずのまま。手数料が引かれたようだ。あとで時間のある時調べる。
手数料=0.01954×1BTC
= 291,130 ∴ 手数料=300,000-291,130
=8870円→ これは高い。トレードは無料と聞いていたので、何かしらミスしている。
★値上がりするとみている。その場合、知識より機会損失が大と考えた。また実取引により生の知識が得られる点も考慮した。