日記250519(月)曇後晴

詩歌・俳句・川柳・短歌など

🔸250519(月)ノリさんの投稿

29℃ 20℃30℃ 日替わりだ

▼大樹もこんもりと葉を茂らせました

ようやくと 初夏の大樹の 鳥の声

▼電子レンジでチンをする具材で、

朝食は カルビー丼で チカラ付け
ずいひつ

母親の思い出

今日の散歩中、私の育ての母親のことが思い浮かんだので、母の日ではないが、書き起こしてみることにする。

母(里親)は、もし今も生きていれば、2025年12月9日で満107歳になる。長寿の時代であれば、まだ生きていてもおかしくはない。

はっきりとは覚えていないが、母は72歳頃の冬に脳梗塞で倒れ、その後すぐに寝たきりとなった。以後10年以上を生き、85歳で亡くなった。

倒れた当時、医師からは「手術をすれば右手の不自由は残らないかもしれない」と言われ、私はそれを母に勧めた。しかし、頭蓋骨にメスを入れて開くという説明に気の弱い母は驚き、断固として拒否した。

思い返せば、倒れる1〜2年前から母は「坂道を登るのがつらい」と言っていた。その言葉を、今の私ならよく理解できる。当時の私は40歳頃で、まだ歩くことは楽しくて仕方がない年であったが、80歳になった今、そのつらさが身に染みてわかる。無理をさせてしまったのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。

母が倒れてからは、父が介護の中心を担った。晩年、母はベッドの中で「死にたい」とよくつぶやいていた。その気持ちも、今の私には痛いほどわかる。せめて枕元に置いていたラジオで好きな歌を聴かせてあげたかったが、父が「うるさい」と片付けてしまった。私は何とも言えない思いになったが、夫婦のことに立ち入ることはできなかった。

今にして思えば、そこには父と私の決定的な性格の違いが表れていた。父は「明治の男」らしい気骨ある人物だったと言えるかもしれないが、要するに痛みに鈍感だっただけなのかもしれない。

一方の私の性格は母親似で、どちらかといえば心配性で、我慢を重ねる性格である。


後日、付け足してゆくかもしれない。

記載 250519

人生100年時代に挑戦[闘老・老活]

▶︎日常訓◀︎

朝聞道夕死可也

人間至る処青山有り

人間万事塞翁が馬

日々是新

一利を興すは一害を除くに如かず

一事を生ずるは一事を滅するに若かず

(興一利不如除一害 生一事不如省一事 )

禍は口より出て病は口より入る(貝原益軒)

◎なにがあっても、一歩一歩(のらりくらり)

🔸健康日記250519(月)曇

6:00起床 健康点数75/100 睡眠65/100

▶︎食事

朝食‖ 野菜炒め作り置き+玄米ご飯 100g(糖質35g)、💊3種(血糖コントロール、ビタミンB12、タムスロン) ‖ 課題 断薬

間食‖ バナナ1/4

昼食 ‖BaceBread2個、アーモンド数個💊B12、

夕食‖野菜サラダ、素麺1束。

▶︎運動 ウォーキング>8000 ‖ 11,400歩

踵を先について、体の重荷に任せて回転させて歩くと楽に進む。片足づつ、踵を使うと早足も長続きできる。

▶︎その他

‖ 耳鼻科で聴力、副鼻腔炎(昔は蓄膿症と呼称)を検査

‖ eGFRの悪化を抑える

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