日記250712(土)曇30-20°c

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朝食を済ませ、テーブルに戻り、テーブルで先に居眠りする猫を眺めながら、一緒に居眠りしそうになり、危うく外出。コンビニまで歩くとちょうど目覚める。そこで、いつもコーヒーを飲む。マクドナルド店までバイクという手も考えたが、当面、歩く行為をやめない方を選んだ。

今日は目の「かすみ」が目立たない。改めて周囲を見ても、昨日に比べて目がスッキリしている。なぜだろう。そして、日課となっているコーヒーを飲みながらスマホで日経新聞のニュースの主要記事を閲覧する。

いつもなら、ブログに要約を掲載するところだが、最初に長ーい記事を読んでしまい、深入りしすぎた。記事のアップはやめておこう。時間がかかりすぎて1日があっという間になくなる。若い頃なら先を急がないかもしれないが、今はそんなゆとりはない。

長い記事は消費税減税に関わる一体の記事群である。

色々言われているが、「取りっぱぐれがない」徴税システムであることは紛れもなく事実だ。消費税という名前は如何に国民を騙せるか腐心し尽くした暁の呼称だ。電気代などの公共料金を除けば、その大半は企業が売り上げをあげたら無条件にうわ前を刎ねるだけのシステムである。相手に利益が出ようが出まいが関係なく無条件に取り立てる徴税システムである。いわば「みかじめ料」だ。

国民の消費に対する徴税システムではない。つまり、「預かり金」ではないのである。酷い話だが、営業と考えると民間ではしばしば「見せかけ」は当たり前に行われていることを思えば、国を司る人々が、国民の抵抗を如何にして少なくできるかに腐心するのも仕方ない。国民もそれに騙されないように可能な限り回避すれば良いのだ、、とは言い過ぎで、とても公的発言としては戒めなければならないのだが。

福祉の安定財源確保に絶対に必要だ

後付けかどうかは別とし、言い訳としては理解できなくもない。それは「福祉の安定財源確保に絶対に必要だ」という政権の説明である。一見、そうか、と思わされる。

しかし、それにしても、消費税という呼び方はうまく考えたものだ。容赦なく生まれたての赤子から明日の命の約束のない老人や病人も取り立ての対象となる「日本で生まれて生きているすべての人の権利に対する対価」のようなものなのだ。

暇のない現役世代ではそこまで気づかないだろう。私も現役世代では自民に「おまかせ」であった。何かわからないけれども、国が決めたことは仕方がない、鵜呑みにして受け入れていたものだ。私の同僚なんかも、100円のものを買って10円召し上げられても国が困っているなら大したことないではないか、と言っていたものだ。(消費税は預かり金ではない、という事実や、その他、ツッコミどころのある記述もあるが、そこまでは論じない)。

当時の多くの国民も一面、そう思っていただろう。第一、国民が政府が決めたことに反抗する方法はほとんどないのだ。デモに加わるなど「女房や子供を背負っている」現役の中堅にそんな暇があるとは思えない。仕事サボっている暇はないのである。それこそが、為政者としてはありがたいことだったかもしれない。

いや、今の世代は状況が違うかもしれない。が、当時は右肩上がりで、日夜忙しい仕事をこなし、さらに後輩を指導し、企業戦士として日々挑戦していたわけだ。消費税がどうとか言ってる場合ではなかったのである。

また、代表を国会に送った以上、任せるしかないのである。人に任せていちいち疑っていたのでは社会が成り立たない。疑うという行為そのものが労力を要するものである。だからこそ、信頼できる社会システムが最重要なのだ。ところが、国民の監視が甘くなると、裏金問題のようなことが当たり前に行われるようになる、という闇ができてしまう。人間のなすことは、そんなものだと思うしかない。

抽象的な論調になってしまった。これで言いたいことの30%程度であろうか、、、書いて考えを明らかにする、というのは甚だ難しい。残りの70%を明らかにしようとすると、ひと月はかかる気もする。いや、さらにもっと論考が必要になる。日が暮れるので、ここで終える。

私論としての消費税に対する結論は、廃止以外ない。消費税導入前のシステムに一旦戻し、改めて議論し直すべきである、である。

あと一つ、消費税減税には、コンビニのレジシステムなどシステムの変更が伴い、そのための期間として1年は欲しい、というシステム側の意見もあった。これは私は元システム屋だったこともあり、共感する。

どこかの国が一週間で減税を決定をした、という話もあるが、真剣にやる気になればそれは可能かもしれないが、方々で火が吹くので火消し対策もかなりのコストになったはずである。筆止。250712 10:00

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