伝統を重んじるべきか否か?
こんな純粋なテーマが思い浮かんだ。
私は伝統を重んじてこなかった。それは、単に伝統文化を知るチャンスに乏しかったという事実と、興味も持たなかったという原因に行き着く。知識がなく、興味を持つきっかけもなければ、やむを得ない、ということは言えると思う。そこは教育の持つ意味が大きい。私は一般的な軌道から外れたところで育ち、80歳過ぎてふとしたきっかけで歩いたことのない軌道を見つけて歩んでいる。そうして振り返ってみると、色々と世間からズレたところを歩んできた、ということを知ることになる。
とはいえ、知らずに通り過ぎた人生もまた自分の一部だ。何も知らなかったからこそ、今、ひとつひとつ新鮮に学べる。
若い頃に知っていたら気づけなかったであろう感動を、今、ゆっくりと味わっている。
内容が尻切りトンボ。書いているうちに伝統を思わずべきか、という問いを忘れてしまった。よくあることであるが、目的を忘れて結論に至っていない。
途中を端折り、結論をここで述べてしまおう。伝統はこだわるべき時と、こだわるべきでない、という時とさまざまである。基本的には、多勢に従うことが良いと思う。ただし、伝統と言っても、そのほとんどは迷信に基く場合が多いので、ほどほどに、というのがスタンスである。言語化が不十分であるが、この項を終える。
▶︎健康記録
昨夜20:00に就床。零時頃に目が覚めた。健康指数(適当)68/100点。
📌 コンビニにて。寝過ぎて頭痛。あちこち痛みがある。右手の小指が痺れている。これは、3年ほど前に浅草橋のマンションに住んでいた頃に鉄のドアで挟んだものだ。よくへし折れなくて済んだものだが、放置して自然治癒を待った。信じられないくらい見かけは普通に戻ったが、流石に痺れだけは残っている。ついでに思い出してしまったが、考えてみるとアチラコチラ古傷があるのに気づく。古くは子供の時に石をぶつけられて左目の上の眉毛あたりに傷跡がある。続いて、テニスで左脹脛の肉離れで細ってしまった後遺症。さらにコロナ流行期の終盤に今の自宅で転倒して転び、左目直下の頬、五針くらい縫った跡は、外見は目立たないが、失明しなくてよかった。などと思っていると、いきなり左太ももに電気のような刺激のある神経痛が走った(体調が思わしくない時に現れる皮膚表面の刺すような痛み、小さな恐怖)。
他にも探せば古傷はあるだろうな、、昔冗談で「体にガタがきている」とか言い合っていたが、実は何も知らずに聞き齧ったことを真似して口にしていただけだったことを思い出す。今、その現実に直面して「納得」、こういうことだったのか、と。冴えない思い出が浮かんでしまったが現実が甘くないことを知る。
【メモ】昨日の歩数2000程度→これが神経痛発症の原因の一つか?今朝、数回発症した、つい「イタタッ」と声を出してしまう。経過を見るしかない。
▶︎食事療法
☀︎朝食‖ BaceBread1個。☀︎定期購入解約済み。
☀︎朝昼食‖12:00-13:00 ‖ 豆腐、蒸しもやし、サバ缶1/2、五穀米150g、💊3種+ノイロトロビン錠2
☀︎夕食‖18:00-19:00 ‖ ロカボ食、五穀米150g💊ビタミンB12+慢性痛み止め2錠。
▶︎運動 ウォーキング>8000 ‖ 5222
▶︎その他
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▶︎私の養生訓◀︎良いものより悪いものを摂らない病気を治すのは医者ではない生きるとは戦いどこかしらある不具合は正常範囲禁酒貯めてはならないストレス⚠️血糖スパイク防止加工食品✖️食後30分以内のウォーキング筋トレ と有酸素運動 / 週一、自然から遠ざかるほど健康から遠ざかる、◎汝の食事を薬とせよ◎高齢者や菜食主義者ではB12が不足しがち
▶︎日常訓◀︎日々是新朝聞道夕死可也人間至る処青山有り人間万事塞翁が馬一利を興すは一害を除くに如かず 一事を生ずるは一事を滅するに若かず急がす焦らず