落とし物の整理 ― 時間の片付けという老活
資料を片付けながら、処分する手が止まる。どれもかつての自分が必要と思って残してきたものである。
昨日のコラムで取り上げた童門冬二さんのメモを思い出す。
特急電車に乗って落としてきた過去の落とし物。後回しにしてきた「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」のメモが山のように残っている。
それでも、これまで多くを捨ててきたはずなのに、である。
人はモノを捨てるとき、同時に時間や記憶も整理しているのかもしれない。
時間の片付けという作業
先に進む前に、やはりこれらの片付けが必要である。
書類を一枚ずつ手に取るたびに、当時の思いや計画がよみがえる。まるで過去の自分との対話のようでもある。
片付けながら、心の奥の棚を整理しているような感覚になる。
時間は目に見えないが、確かに「溜まる」。その澱(おり)を取り除く作業は、老いの節目にふさわしい行いだと感じる。
立ち止まる勇気
思えば、ウォーキングに費やしてきた時間の一部を、こうした内省の時間に振り分けてもよかったかもしれない。
歩くことで前へ進み、片付けることで過去を整える。両者は、どちらも「生き方の整理」である。
歩きすぎた時間を、いま少し立ち止まって整えるときかもしれない。
人生の後半戦は、スピードよりも「整理力」である。
80歳の課題がまた見つかった
⚠️ビットコインが信じがたいほど急落していた。放置していた指値買いが成立していたまではよかったが、よく見るとそのあと間違って、すぐに高い値段で指値注文を入れていた。幸い、資金残高はなかったので買いは成立せず大事には至らなかった。どうやら高値の指値は成行注文と同じ扱いになるらしく、冷や汗をかいただけで済んだ。とはいえ、判断ミスが重なれば、いずれ老後資金を失うことになりかねない。危ない。
考えてみると、こうした“うっかり”は認知症の兆候なのではないかという不安が頭をよぎった。昔、「気狂いは自分が気狂いだとは思わない」と聞いたことがある。認知症も似たようなものだろうと思い調べてみたところ、やはり自覚しにくいという点で共通しているらしい。早めに相談できるかかりつけ医を探しておく必要がある。
色々考えるにつれ、ある時期頃から何らかの衰えに自分では気づかずにいたのは間違いなさそうだ。3歩歩けば忘れる、などと言われたことも確かあった。それは今では当たり前にそうなっている。何かやり始めても、すぐに別の思いついたことをやっているのだ。新たな課題がまた一つ増えた。
▶︎健康記録 健康指標 71/100 深夜覚醒回数 2
なぜか深夜覚醒数がグッと減り、体が楽だった。朝方お腹空いて、つい貪ってしまった。半ズボンで雨模様なので傘を持ちそそくさとウォーキング開始した。家の中を居心地良くすることも考えるが、座ってしまうと良くないのがわかっているので、今のところは、家はほぼ寝る、食べる、休憩する、で済ますことにしている。一つ加えると、生前整理作業が残ったままである。
▶︎食事療法とレシピ ‖
☀︎朝食‖ロカボ食[トマト、ブロッコリー、ゆで卵]、玄米粥120g、バナナ1/2、💊忘れ❗️
☀︎昼食 ‖ BaceBread2個、その後、軽ロカボ[サバ缶、豆腐、玄米粥100g、パインナップル50g
☀︎夕食‖
☀︎間食‖
▶︎運動 ウォーキング>8000 ‖ ?
朝 ‖ 割と歩きが軽快である。日によってなぜこうも差が出るのだろう。
☀︎その他の運動‖デットリフト
ストレッチ、スクワッド、腕立て伏せ、ジョギング20分、テニス壁打ち、筋トレは週1回でも効果大。週3回以上効果なし。
▶︎その他
一週間で終わるはずのことが、一年がかりになっている気がする時がある。今日は散歩時間を省いて整理が少しばかり進んでいる。
対策 ‖ ウォーキングを減らす。
▶︎親父の小言◀︎
大めしは喰うな、冷酒は後で効く、火は粗末にするな、初心は忘れるな、恩は遠くから返せ、 人には馬鹿にされていろ、年忌法事は怠るな、家業には精を出せ、働いて儲けて使え、人には貸してやれ、ばくちは打つな、世話やきにこるな、物を拾わば身につけるな、何事も身分相応にしろ、神仏はよく拝ませ、朝は元気よくしろ、亭主はたてろ、火事は覚悟しておけ、風吹きに遠出するな、後始末はきちんとしろ、水は絶やさぬようにしろ、戸締りに気をつけろ、自らに過信するな、怪我と災いは恥と思え、袖の下はやるな貰うな、書物を多く読め、難儀な人にはほどこせ、貧乏は苦にするな、借りては使うな、義理は欠かすな、大酒は飲むな、人の苦労は助けてやれ、年寄りはいたわれ、家内は笑って暮らせ、出掛けに文句を言うな、万事に気を配れ、泣きごとは言うな、女房は早く持て、人には腹を立てるな、 産前産後は大切にしろ、不吉は言うべからず、病気はよくよく気をつけろ、