闘老251017(金)秋晴26-16°

934 20 22

7:30-ウォーキング開始

のろのろと 確かに進む 老いの知恵
秋晴や 人影まばら 飯能駅

📍 8:00- atミスタードーナッツ店

∟ ThinkingTime ニュースウォッチ、解析

二万の絵 今は数秒 AI描

📍 10:00-nextStage 帰路ウォーキング​

やる気だけ 体に拒まれ 今日もまた

📍 11:00 帰宅。午後の予定考える。朝考えても他人との約束以外は殆ど守れないので無駄になるので午後は別に考える。

駅前で採取してきた小粒のザクロひとつ。うまく取り出す方法がわかった。これなら食べれそうだ🎵⇒超美味しかった。

ランチタイム ‖ 12:00-13:00

13:00-ウォーキング開始、都内で鶯谷の業務用スーパーへ買い出しに。帰りは日暮里、西日暮里と歩き繋ぐ。それでおよそ10000歩だ。10時間の就床で疲れが取れたせいか、杖がなくても普通の歩きは平気だった。✴️それとも、昨日マグロブツや豚肉などタンパク質を十二分に摂取したせいもあるのだろうか?

今朝デザインした[Mandala]のロゴ。イメージ文字のHIGANは、彼岸と悲願を絡めた。絵はもちろん彼岸花。彼岸花には非常に多くの別名があり、地方の異名も含めると1000以上あるとも言われる。その中でも代表的なものは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)である。花が咲く時期には葉がなく、葉がある時期には花がない。毒もあるらしく不気味な感じがしないでもない。しかし入間川の緑の中で咲く真っ赤な曼珠沙華は美しく記憶に残る。

📍 17:40西武線小手指駅通過→飯能駅 ‖ 🚶‍♂️

入間川 土手に鳴き立つ 秋の虫

帰宅 1万歩超過。

19:00-20:00 夕食タイム

♨️

📍 21:00 The day is drawing to a close.


ニュースコラム

維新、連立へ12項目要求 自民総裁と会談

議員定数削減や消費減税

[前半切抜補填]維新の藤田氏は12項目をテーマに挙げ、国会議員の定数削減や消費税率の引き下げなど個別政策の実現を求めた。憲法改正、外交・安全保障といった基本政策について見解の一致を確認した。以下略。

✍️基本路線の一致を原則とするは当然のこととして、少し記事に立ち入ると、維新側の要求は現役世代の負担を減らす社会保障改革、政治とカネの問題、首都機能を分散させる副首都構想が柱だ。

維新は「身を切る改革」を旗印に掲げているが、これは一見潔いようでいて、実際には緊縮財政を助長する危険なスローガンである。国の成長を支えるための積極的な財政出動を抑制し、結果的に社会の活力を削ぐ懸念がある。

▷現役世代の支援を強調する裏では、必ずと言ってよいほど現役世代以外の切り捨てが起きる(表向きは巧妙に隠されている)。結局のところ、プライマリーバランス黒字化とは国民から資金を吸い上げる政策である。参政党の安藤議員が声を枯らして叫んでいるが、マスコミが取り上げることはない。他の暴風でかき消されている。これが続く限り、増税路線は形を変えて密かに進行する。なぜ国民は気づかないのか――現役を離れた者の声は届かない、それがこの国の現実である。

維新はその点への理解を欠いたまま、民意を汲み取っているつもりでいるように見える。国民の側も、SNS上の表層的な議論に流されやすく、政治リーダーシップを支える成熟した議論には至っていない。両党、特に維新は「改革」イメージで支持を拡大しつつ、自民党との協調姿勢を強めているように映る。

▶︎▶︎個人の自己破産、12年ぶり高水準 物価高・賃金低迷で借り入れ拡大

▶︎中国、基礎研究予算手厚く ハイテク覇権へ米に対抗

新5カ年計画に明記

✍️記事の詳細は省くが、中国の対米への対抗的な施策である。日本も遅れずに頑張って欲しい。真剣さが足りないと危惧する。これまでの緊縮一辺倒ではなく、長期的な国家基盤を支えるインフラ投資や研究開発費を拡充すべきである。

本来、日本には基本的に財源制約は存在しない(これは条件付きなので大きく誤解されやすい事実)。それにもかかわらず、財務省は依然として緊縮財政を至上命題のように掲げ、権限を維持している。

この構造を改めない限り、成長戦略は絵に描いた餅となる。財政運営の機構改革こそ、政治の最優先課題である。

▶︎中断

◾️村山富市元首相が死去 101歳、社会党委員長・自社さ連立政権[11:00]

【要約】

村山富市元首相が17日午前、大分市内の病院で老衰のため死去した。101歳であった。明治大学専門部を卒業後、社会党に入党し、大分市議・県議を経て1972年に衆院初当選。1993年に社会党委員長、1994年に自民・社会・さきがけ3党連立政権の首相に就任。自衛隊合憲・日米安保堅持という社会党の路線転換を断行した。1995年の戦後50年談話(村山談話)では、植民地支配と侵略への反省と謝罪を表明し、戦後日本外交の節目を築いた。1996年に辞任し、社民党初代党首に就任。2000年に政界を引退後も、日中友好協会名誉顧問などを務めた。

✍️戦後政治の転換点を象徴する人物で、村山談話など評価は別れるものの、「最後の社会党首相」として、歴史に刻まれるだろう。ご冥福をお祈り申し上げます。

◾️夕刊

▶︎高市氏が靖国に玉串料 参拝は見送り、外交に配慮

詩歌・俳句・川柳・短歌

▶︎ノリさん投稿

チョコチョコと やって帰ってしまう 土木業
一本の ビール残して 寒くなり
窓開けて 秋風入れて マッサージ

本日は、久々の天気です。お大事に!

【メモ】

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