967 02 03
7:30起床
8:00 簡単なパン食(全粒粉BaceBread2個)で済ませ、ウォーキング開始

桜にも 紅葉の色の あるを知る
8:30-atセブンイレブン
∟ ThinkingTime
このニュースの時間になると、つい新聞を手に取りたくなる。古い人間なのだろうか。スマホでニュースを漁るよりも、紙面を広げて眺める方が落ち着く。おそらく、全体を一望できるからだろう。狭い画面の中で断片的に見るよりも、山頂から広がる景色を見渡すように、世界の動きを俯瞰したくなるのだ。事実そのものは同じでも、情報の全容が「なんとなく」見えにくい。そこが、私をスマホのニュースから遠ざけているのかもしれない。しかし、ブログにはスマホが効率がいいので、いつものようにニュースをスマホで探り、一呼吸おいてまた出発だ。
9:30-再スタート(日光浴、運動、ストレス解消)
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桜紅葉 春を忘れぬ 枝の先
📍 11:30-帰宅
∟途中、産地直販っぽい安くはない店に通りかがり、野菜数点と、すみれ科の小型パンジーをひと苗、それとレタスの苗を一つ買い求め、帰宅路へ向かった。午後のウォーキングに猫のベッドを買い込んで戻ろう――
📌 胡瓜はもう終わりだ。根こそぎ引っこ抜き、少し晒して萎んでからゴミ箱行きだ。下手に根を残すと害虫が残っていたり害をもたらすという。他に購入した苗を家の周りの土に移し水をたっぷり与えた。園芸の知識も欲しいところだが、レシピと同じで、我流から始める。
16:00-午後のウォーキング開始
∟郵便局📮台東区都税事務所宛に休業届提出。昨日、一昨日?だったか、国税から電話があった時の雰囲気で、納税が必要になるのではないか、そんな、雰囲気を感じるが、とりあえずは郵送しておこう。

この美しい夕焼けを見て幸せを感じないとすれば、それは自己責任だ。80歳の独り言。
幸あれと 夕焼け告ぐる 八十路かな
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18:30-19:30 夕食タイム

Yogiboの上でいびきをかいて寝るタロ(元名きなこ)。せっかくベッド買ってきたが、ヨギボーを知ったら他では寝れないだろうな。どうしたものか、、、★改名した。元の名は、娘が付与した名前だ。呼びにくいし、性別もわからない。
吾輩も寝るとしよう。今日も無事に終わった。
📍 22:30 The day is drawing to a close.
▶︎ドイツでシリア難民の国外追放案 極右の台頭警戒、入国拒否は2万人
【要約】
メルツ政権下のドイツで、シリア難民の国外追放案が浮上。政府は「内戦は終結した」として早期帰国を求め、応じない場合は送還も検討する方針。移民流入に対する国民の不満や極右政党の台頭を背景に、国境での取り締まりも強化。2025年5月の政権発足以降、約2万人の入国が拒否されている。従来の「移民に寛容な国」としてのドイツの姿勢が大きく転換しつつある。
【コメント】
ドイツがついに「寛容の国」から現実主義へと舵を切った。内戦終結を理由とする送還方針は、一見もっともらしいが、人道主義と政治的思惑の境界はあいまいである。極右勢力の伸長を恐れた政策転換であることは否めない。
だが、移民問題の根本には「国民の安心感の喪失」がある。社会の分断を避けるには、単なる排除ではなく、共生の枠組みを再構築する知恵が求められている。ドイツの選択は、ヨーロッパ全体の方向を占う試金石となるであろう。
✍️第三者的な観点から見れば、社会現象も振り子のようなものである。行き過ぎれば反動が生じ、やがてほどほどの位置を求めて揺れ戻る。日本でも移民政策をめぐる議論が高まっているが、国際社会の中でこそ「適度な移民政策」のあり方が問われている。ゼロから無制限まで、両極のあいだで中央値を探るように振動するのは、まさに自然の摂理といえよう。
▶︎ノリさん投稿
独居老 洗濯物干して 一安心
初冬です 設定上げる 独居老
朝起きて 至福のときぞ 茶を一杯
季節際 耐えられないと 独り言
朝方の ゆるりとした時 至福です
サルトルの実存主義
サルトルの実存主義について調べた。これまでの私の視点とは異なる部分が目立つ。とはいえ、私自身の考察が即断的で、狭い視野に基づいていた可能性も否定できない。ゆえに、彼の哲学はいずれかのタイミングで私の思索を広げ、新たな視点で物事を捉える助けとなるかもしれない。これが現時点での結論である。もっとも、この結論は言葉にするまでもない、という思いもある。とはいえ、曖昧に終えるのも落ち着かないので、以下に少しだけ整理しておくことにする。
もとはといえば、高校の倫理の授業で扱われていた内容に疑問を持ち、そこから深掘りを始めたものである。社会経験を経ていない高校生と、すでに人生の黄昏に立つ年代の者が同じことを学んでも、その受け止め方が異なるのは当然である。だが、その両方を実際に経験している者は稀だろう。その稀な立場から論じることこそ、「また楽しからずや」である。
言いたいことははっきりしているが、制限時間が来た。一旦中断する。
続く
実存とは、現在の存在(例えば、今の私)
本質とは備わっている中身、性格、生きる目的
実存は本質に先立つ ‖ 実存が本質の先に立ち重要である、という説。
当たり前のことを述べているに過ぎないようにも思える言葉。決断と実行の成果は未来にこそ存在する。未来に働きかけ、それにより価値が生じるわけである。過去はすでに変えようがない。しかし、ここは、的を得て掘り下げる必要のあるところである。そのためには、次の「アンガージュマン」について少し述べておかなくてはならない。
サルトルにおける「アンガージュマン※1」とは、自由な選択と行動を通じて、自分自身と世界に対して責任をもって関わることだとする。
ただ何かをするだけでなく、「自分の行為が世界をどう変えるか」、そして「その行為が自分をどういう人間にするか」を意識しながら、積極的に社会や他者の問題に関わっていく姿勢を指す。
アンガージュマンとは、目の前で不正や苦しみがあるときに、見て見ぬふりをするのではなく、「自分事として捉え、行動する」ということである、という。
‖ 自分を「投企(とうき)」する ‖
これは、自分という存在を未来へ、世界へと投げかける(プロジェクトする)という意味となる。今の自分に満足せず、「私はこうありたい」「世界はこうあるべきだ」という理想に向かって、具体的な行動を通じて自分自身を作り上げていくことを意味する。
ブログで述べる範囲を超えてしまうので、ここまでとする。何か問題に遭遇した時に、さらに深掘りして考えることで問題の本質に迫り、行動へのヒントになると思う。
251112メモ
注釈※1 アンガージュマン
アンガージュマンは、一般的に「参加」「関与」「傾倒」といった意味を持つフランス語である。サルトルの哲学(実存主義)において、重要なキーワードとなるものである。
酔いと失敗の記録
黒霧島を買い、夕食の席で残りを空けた。値は張るが、やはり旨い。もちろん、美味だけを書き留めたいのではない。アルコールが体をめぐり、ある閾値を超えると酔いが回り出す。その状態についての私見を、いま記しておきたいのである。
酔っている最中は自分ではまともだと思っている。しかし後で痕跡をたどると、平時ならしないミスが堂々と残っている。現役時代は宴席も多く、知られた失敗も人知れぬ失敗もあった。手痛い経験をわざわざ語るのも妙だが、彼岸に到着してからでは書けないことでもある。だから続ける。
要するに、アルコールが入れば認知も判断も歪むという厳しい現実である。これは飲める者なら誰しも一度は身に覚えがあろう。大切なのは、失敗を単なる笑い話にせず、取り繕わずに徹底して掘り下げることだった――と、いま思う。そうしておけば、同じ轍を少しは避けられたかもしれない。
今宵は飲み干してから書いた。ゆえに誤記もあるやもしれぬ。晩秋の夜の自戒として残しておく。

