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8:00-食後ウォーキング
8:30-10:30 atミスタードーナッツ店∟ ThinkingTime
政治に関するYouTube番組を聴きながら歩いてきた。いつもは音楽なのだが、今朝はラジオがわりに聞いていた。時間的にはまとめきれないが、課題を残して済ませた。
10:30- Jump to the next work stage. 🧑🦯
次のステップは歩きながら考える。🧑🦯
歩きついでに入間駅まで足を伸ばした。
この前、「爆弾」という映画の評判を耳にしていたのである。
話題になっているらしく、映画館の前まで実際に足を運んで掲示を眺めてみた。
すると、次の上映は15時30分開始とある。
時間が少し空きすぎるので、今日はやめにした。
口コミを調べてみると、記録的な動員数で話題になっている作品らしい。
主役は佐藤二郎(50歳代)と、もう一人。
演技力がすこぶる高く評価されているという。
Wikipediaで写真を見てみた。
全く知らない俳優であった。
しかし、アカデミー賞も受賞している。
つまり、知らなかったのは、私が映画から疎遠になっていただけの話である。
皆が面白いと言うからには、きっと面白いのだろう。
次の機会に延ばして、必ず観ておこうと思う。
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22:00-The day is drawing to a close.
▶︎ノリさん投稿
初ものの 蜜柑を食べて 旨し美味し
▶︎251212(金)晴風強し
大樹殿 すっかり葉落ちて 冬模様
ついに9度 いよいよ本格 冬模様
槌音を 聞きながら蜜柑 まるかじる
ブロッコリー 何度も温め 総くずれ
今朝もまた 温ヨーグルトに 冬景色
温ヨーグルト なかなかよいぞ 冬の空
朝めしを 無事食して 外寒波
▶︎251213
北風に シート同期して どよめけり
;建築現場のシートが北風でバタバタしています
冬枯れに 青空見えて ホッとする
;葉の落ちた大樹から青空がみえます
19% そろそろアラーム 鳴り響く
冬枯れに 日射しを浴びて 爺がゆく
[政治]
政治倫理についての考察
政治家が他国や特定勢力の「接待」に応じる姿を間近で見たことがある。その方は偶然に隣席にいて名刺を交換して気づき、驚きを隠しきれなかったのだが、内心違和感を覚えたことを覚えている。
接待の場は時に単なる礼儀や社交の範囲を超え、「国家としての判断」を曇らせる危険を孕むからである。
政治家は国民の代表であり、私的な好意の受け取り手ではない。
その意味で、政治家が接待に安易に乗ることは、愛国心の欠如というより、政治倫理の緩みを露呈しているように見える。
【論点1:政治家は接待に応じてよいのか】
政治の場における接待は、単なる個人の歓待では終わらない。
相手が誰であれ、「貸し」を作る構造が必ず生まれる。
接待を受けた側が意識していなくても、周囲は「借り」を背負わせようとする。
そこに、人間の弱さが付け込まれる余地がある。
政治家は、こうした構造に最初から近づくべきではない。
むろん外交には儀礼があるが、儀礼と馴れ合いは違う。
私の違和感は、その境界線が曖昧になっているように見えた点にある。
【論点2:民間企業の接待と政治の接待は同じか】
民間企業の世界では、接待は「当たり前」の文化として存在してきた。
上層部が権力や利害に侵されることも珍しくない。
私は現役時代、そうした場を実際に見てきた。
だからこそ言えるが、民間の論理がそのまま政治に持ち込まれると、事態はより深刻になる。
企業は最終的に株主や顧客に評価され、倒産や退場という形で清算される。
しかし政治は、失敗してもその代償を払うのは国民である。ここに決定的な違いがある。長く政権の場を担っていると癒着がどうしても生じる。その意味だけでも、政権交代は必須のことなのだが、国民の認識は異なる。遅れた文化であると思う。
【論点3:なぜ接待が効いてしまうのか】
権力に近づく接待は、人を陶酔させる。
「自分は認められている」「重要人物だ」という感覚が、判断力を鈍らせる。
本人は気分良く応じているだけでも、周囲の利害が静かに入り込む。
そして触手は、個人だけでなく組織全体へ伸びる。
この構造が一度できると、後戻りは難しい。
私が「手遅れではないか」と感じるのは、この構造が長期化しているように思えるからである。
ただし、ここは推測も混ざるので、断定は慎みたい。
【論点4:自分の迷い(自己省察)】
一方で、私は善悪を単純に言い切れる立場でもない。なぜなら現実の社会は、綺麗事だけでは動かないからである。
私は過去に、そうした空気に馴染めず、どこか「堅物」として損をしてきた感覚がある。だから、正しさを唱える自分が「田舎者で敗北者なのか」と感じることは多々あった。
それでも、こと政治においては譲れない一線があると私は思う。
【結論:政治家の背中には国民がいる】
政治家は、背中に国民を感じていなければならない。会社のトップであれば、社員ということになる。それゆえに、決して揺らいではならない精神の一線がある。
外交儀礼を否定するのではない。
しかし、相手の利害が入り込む余地を自ら広げるような振る舞いは、国家の倫理を損なう。
私が言いたいのは、「接待そのもの」ではなく、「接待が政治判断を侵食する構造」を警戒すべきだという一点である。
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【次に深掘りするべきポイント】
接待を「全面禁止」とするのは現実的か。
外交儀礼と利害誘導の線引きをどう定義できるか。政治家個人の倫理問題なのか、制度設計(透明性・監査・公開)の問題なのか。参考:会社なら会社法があって、相当に掘り下げられた過去の資産(判例)がある。
「愛国心がない」という断定より、「政治倫理の制度疲労」として論じた方が説得力が増すのではないか。
民間の接待文化を変えずに、政治だけ清廉でいられるのか。
それとも政治の側が、民間へも規範を示すべきなのか。
【短い要旨】
政治家の背中には国民がいる。
民間で許される接待が、政治で許されるとは限らない。
政治家に限らず、人の上に立つ者の基本的な心構えである
251213記
1. 2021年度(コロナ支援策下での低水準)
• 件数: 約6,030件
• 傾向: コロナ禍における「ゼロゼロ融資」などの強力な金融支援策により、倒産件数は歴史的な低水準を維持しました。多くの企業が政府の支援によって資金繰りを保っていました。
2. 2022年度(増加に転じる)
• 件数: 約6,880件(前年比14.1%増)
• 傾向: コロナ支援効果の剥落や、ロシアのウクライナ侵攻などに伴う原材料費・エネルギー価格の高騰が影響し始め、倒産件数は増加に転じました。特にコスト増に苦しむ企業が増え始めました。
3. 2023年度(大幅な増加)
• 件数: 約8,881件(前年比29.1%増)
• 傾向: 大幅な増加となりました。ゼロゼロ融資の実質的な返済開始が本格化し、さらに物価高、人件費高騰、慢性的な人手不足が要因となり、体力の弱い中小企業から倒産が加速しました。
4. 2024年度(11年ぶりに1万件を突破)
• 件数: 10,070件(前年比13.4%増)
• 傾向: 2013年度以来、11年ぶりに年間1万件の大台を突破しました。これは、コスト増を価格転嫁できない**「物価高倒産」や、必要な人員を確保できない「人手不足倒産」が相次いだ結果です。特に負債5,000万円未満の中小零細規模**の倒産が目立ちます。
5. 2025年(見込み)
• 傾向: 2024年度の増加傾向は続き、年間倒産件数は引き続き1万件を超えることが見込まれています。

