2040 02 05 08 12 13[記号 ^ は、時々を示す]
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📍 – 11:00- カフェ OH!PAL∟ ThinkingTime
自由は、血を流してでも得がたいものだ。私はその渇望を、小学校低学年から成人まで抱き続けてきた。「自由のない天皇陛下より、上野公園の乞食の方がいい」と母に漏らしていたのを今でもよく記憶している。
「あれをしたい、これをしたい」という子供心は、「あれはダメ、これはダメ。大人になったらやりなさい」という父の絶対的な拘束によって封じ込められた。小4の冬、家出を想い描いたこともあったが、「畑の大根を盗んで食い繋ぐしかないのか」という現実的な思考に阻まれ、断念したのを覚えている。
こうした経験から、私は自分の子供や管理職になった頃の部下には、本人の希望と判断を最優先させてきた。もちろん、放任しすぎて親、あるいは上司の存在を無効化せぬよう、助言は欠かさない。しかし、人生は思い通りにはいかないものだ。親、あるいは上司無き後の長い歳月を生き抜くのは子供、あるいは部下自身であり、ならばこそ、自ら道を選ばせるのが妥当だと考える。
だから社員の退社など自己本位で引き留めたこともない。あくまで本人の将来がよくなると思えば、悲喜交々でありはしたが、むしろ勧めることさえあった。
しかし、これも今考えると間違っていたかもしれないと思うことも多い。それはリーダーが組織を守る立場であると仮定したなら、人材が減ることにもっと大きく抵抗するべきだろう。その観点に立てば事は簡単ではない。自分の縄張りを守るという観点でみたら、そこには争いがある。人には向き不向きがある。リーダーという観点に目をやれば争いも避けて通れないかもしれない。果てしない生き物の醜い生存競争がちらつく。私は争いは好まない。旅芸人の一員か、あるいはおでん屋の親父あたりが似合ってるいるのかもしれなかったのだ。知らないからこそ自分に似合わない大きなことを考えるものだ。
しかしながら、可能性は無限である。それは量子の世界と変わらない。
行き着くところ、人生は運と努力の積み重ねの結果である。ここにきて、新ためて「量子論的な発想」を試みたいところだが、長くなるので筆を置く。考えるネタができた。楽しみを残してウォーキング再開だ。
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📍 13:00- atマクドナルド店到着。が、充電器を忘れた。戻るしかない。何度も忘れる。絶対忘れないようにするには、常時持参するバッグの中に入れっぱなしにするしかない。一旦出してまとめておいても忘れる。これは、理屈ではなく、実績重視の考えを現場で行使すべきだ。本日のウォーキングはこれまでだ💦残り、7%.。💤💤💤
▷14:30 at Home. FreeTime

窓際のキニ
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📍 21:00-The day is drawing to a close.

