個人的メモ
ウォーキング中、二重スリット問題について思考を巡らせていた。すると、不意に別の記憶が紛れ込んできた。Zという人物の記憶力が、私に比べて異様なほど突出しているという事実だ。
これは長年、私の心に影を落としてきた「しこり」である。正直、生きた心地のしない時期が相当期間あった。それは、自分自身の能力不足からくる至らぬ想いの残骸でもあった。
能力というものは、標準から大きく逸脱すると、長所と短所が激しく分離する。その偏りは、時に周囲へ深刻な影響を及ぼす。
一つの例を挙げれば、数年前、彼から豆類の栄養価が詳細な数値でまとめられた本を渡されたことがある。「値を覚えろ」と言われた瞬間、私は反射的に強い拒絶感を覚えた。それまでの積もり積もった経験もあり、吐き気すら催したのだ。
彼にとっては善意を伴った「当然」の行為だったのかもしれない。私の糖尿病を案じて調べてくれたのだろう。しかし、あの膨大な数値を前提とした対応を要求する姿勢は、私には恐怖でしかなかった。しかも「なぜ見ないのだ」と激しく責め立てられる。
彼にとっての「普通」が、私にとっては「暴力的な恐怖」となる。
これらに起因する様々な恐怖は、数十年の間、誰にも語れぬ「秘密」であった。救いを求めて言葉が溢れ出すこともあったが、常にどこかで保身を図り、核心を避けていたように思う。
数年前、自身の能力の減退を自覚する中で、私はようやく対処法を模索し始めた。精神的負担を取り除くための、切実な試みだ。
最終的に到達したのは、「彼の要求は、私の生命のリズム、ひいては祖先の意志に沿わない」という独自の生存理論であった。当初は薄氷を踏む思いだったが、時間をかけて思考を切り替えた結果、現在は精神の均衡を保てている。
幸と不幸は常に半々である。量子と同じで重ね合わせで存在している。生きてもいるし、死んでもいるというあの説だ。
今は、この「しこり」を手放す時期を見据え、毎日一定の時間を静かな内省に充てている。人間には「覚える」能力だけでなく、「忘れる」能力もまた、それに劣らず重要なのだと痛感している。
2026/2/18 11:00 記録
▶︎健康記録 今朝の体調 70/100 深夜覚醒回数 2
手術を予測せざるを得ない
▶︎食事療法とレシピ ‖📌 野菜サラダ類にナッツ類を入れるとなかなかイケる。
・朝食前‖ ゆで卵、バナナ1/2 →外出
・昼食‖カフェ OH!PAL、パンは良くない、と肝に銘じていた時があった。今でも、それが記憶から消えたわけではない。しかし、パンの香りやうまさは記憶に残っている。
・夕食‖日高屋 紹興酒1 唐揚げ
・間食‖ ジュース1/4缶、アーモンド10個、バナナ1/4、トマト小1
▶︎運動 ウォーキング>8000 8100歩
▶︎高活の定義‖15〜50分‖すでに答えがあり、かつ、社会にあまねく普及している日常的な知識を更新することが目的。社会に貢献するとか、あまり視界を広げると苦しくなる。⚠️要注意 深追いは、高活には属さない。(例)量子論、それは高活を超越している。神の領域を覗き見するが如しであるが、この範囲は世界の天才にお任せし、その香りをいただく程度にしておくこと。迷路に入って戻れなくなり一巻の終わりとなる。
▶︎その他キーワード
遠方の親戚の葬儀 / 困ってはいないか、気になる。しかし、遠すぎる。お互いに乗り越えるしかない。m> 聞くところによると、近年は葬儀は家族葬が一般的になり、身内ですませる例が多くなっているという。特に、身内が少ないケースでは、ほとんどが家族葬でパッケージ化が進み負担が軽いというが。

