231122(水)快晴 場所 飯能自宅
キリスト教文化を知らなければ、西洋の歴史を深く知ることはできない。世界三大宗教の一つであるキリスト教の教本である聖書をこれから学んみようと思う。
ちなみに個人的には日本古来の神道や、古くはインドから中国を経て渡来した仏教など、成人して後、多少の関わりを持った。ただし、結果としてどれも中途半端で知識も浅い。それは求道心の弱さ、あるいは強力なリーダーに巡り合っていないこともあるのかもしれない。いずれも教えの根本は類似点が多く、利他業がいかに個人の幸福に寄与するか、といったことを手を変え品を変え記述されているように思う。もちろん、うまく表現できないだけで、もっともっと深遠で哲学的な内容だった気もする。それらの大半は個人として否定できるものは何もない。おそらくキリスト教の中心的な教えもそうではないか、ある程度は想像できる。聖書の中身はどうか、これから少し楽しみだ。
聖書は世界なロングセラーとしても隠れた存在であろう。一度は触れてみたいと思ってきた。また、それは日本の歴史にも大きく影響してきたのは確かであろう。
9時に約束していたボランティアの活動をしているという方が来訪した。玄関口で構わない、と言っていたが、整理中の1階へ招いて移動式テーブルを囲んだ。世間話を少ししてからテキストを広げた。
相手はM氏とここでは略称する。両親がクリスチャンで、自身も自然と身についた、と。そして、いろいろな疑問は持ちながらも成長過程で学び実践してきて思ったという。やがて、大人になって「これは信じることができる」と確信したという。
「何か疑問はありませんか?」
と聞いてきたが、知識がないのだから疑問も何もない。
「何か語っていただければ、あるいは教えていただければ、そのことについて無限に疑問は湧いてくると思いますけど」と伝えた。
30分しか予定していないことを告げてあったので、あらかじめ配布されていた入門者用のテーマを提示してきた。予習は全くしていない。興味も受け身なので、文字情報は今は読む気になれない。で、その内容は…下記の2項目であった。
- 聖書はどんな疑問に答えている?
- 最初は日常生活にどのように役立つ?
特段、書き留めたい気もしないので、ここまでとする。
次回2回目は、来週水曜日(11/29)と決めた。彼曰く、私のことを「考え深い人だ」と。まるで勘違いしている。