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79歳、夜明け前の道をゆく──学び続ける理由
夜明け前の山道を、私は一人で歩いている。
深い群青に染まった空の下、かすかな光が、静かに世界を目覚めさせていく。
誰かに呼ばれたわけじゃない。
目的地があるわけでもない。
それでも、私は歩き出した。
79歳のこの手で、未来の扉に触れたくて。
あの日、遠ざかったもの
若いころ、私は学びのエスカレーターに乗ることなく、地べたに立っていた。
校舎の窓から漏れる光を、遠くに見上げながら、
私は、ひとり、夜の町に立っていた。
進学も、教科書も、私には手の届かない夢物語だった。
日々を生きること。ただ、それだけだった。それが、15歳の私を支えていた。
それでも、
知らない言葉、届かない世界、見たこともない景色──
それらを、心のどこかで、ずっと渇望していた。
知らないからこそ、
学びたい。
知りたい。
触れたい。
若き日の心は、幾度もそう叫んでいた。
けれど、その声は、忙しさと孤独のなかにいつしか消えていった。
そして、とうとう
79年の時を経た。
人生長いようで短い。30歳になった時は、まさか自分が?40歳になった時、40かよ?、50歳になった時、少し平然と早いな、と、、そして60、70と感慨が鈍くなって気がつけばすぐそこに冥土が見え隠れしている。もうジタバタできないぞ、、
私はふと思った。
あの日、諦めたものたちに、先の見えてきた今から手を伸ばしても許されるのではないかと。
遅すぎるだろうか。
無駄だろうか。
そんな問いが胸をずっとよぎってきた。
けれど、夜明けの山道を踏みしめるこの足は、確かに知っている。
遅いなんて、誰が決めたのか。
無駄かどうかを決めるのは、私自身の心が決めるのだと。
学びとは、生きること
ただ、生きるために学ぶのだ。
空気を吸い、陽を浴びるように。
川の流れに耳を澄ますように。
心に新しい風を吹き込むために。
知識は、魂に注ぐ水のようなものだ。
知への渇望は、時に食欲を凌駕する
あなたへ
もしも、あなたの胸にも、小さな諦めが眠っているなら。
もしも、あなたの中に、「もう遅い」とささやく声があるなら。
どうか思い出してほしい。
夜明け前の一番暗い時間を歩く者だけが、やがて朝日の中へたどり着くことを。
79歳の私は、
これから、語り尽くせない万感の思いを秘めながら、
新しい道を歩きはじめる。
ごく最近まで、94歳でまだ学ぼうとする人も身近にいた。暇なだけ、というだけでは片付かない。私など、それに比べればヒヨコだ。
あなたもまた、自分だけの朝を、迎えに行ってほしい。
2025年4月10日 立川駅ヤマダ電気4F喫茶店内にて