この春、なぜ私は学び続けるのか(2/2)──「そこに山があるから」

750 7 250502追記

前回は、「学ぶとは生きること」「人生そのものだ」といった漠然とした思いを綴った。自分でも、まだ腑に落ちていないまま書いたのだが、それも決して嘘ではない。確かに、それは本能的な欲求でもある。

だが今朝、モーニングタイムにふと考えた。もうひとつ、別の理由が欲しい、と。


傘寿にして、高校の通信課程で学ぶ。これは、ある意味で私が生まれた時点で、すでに教育という「ハシゴ」をはずされていた時代──太平洋戦争の延長線にある出来事だとも言える。

前回の文章では、学びの動機はまだ曖昧で、内容にも具体性を欠いていた。今回は、「学ぶことが誰かのためになるのか?」という問いを出発点に、後付けながらも、ある明確な目的を考えてみた記録である。


学ぶとは、未知と出会うことであり、発見することである。ただそれだけの理由でいい。たとえば、登山家ジョージ・マロリーが「なぜ山に登るのか?」と問われたとき、「そこに山があるからだ」と答えたという有名な話がある。それと同じだ。そこに「知らないこと」があるから、私は学ぶ。

理由など、本来はいらないのだ。


それでも、動機を明文化することで、気持ちに張りが出る。だからあえて、大義名分を探してみた。

気づいたのは、これから共に学ぼうとする若者たち──孫のような年代の彼らに、もし「なぜあなたは学ぶのですか」と問われたとき、「学びたいから」だけでは、どこか物足りない、という思いである。

そして、私はこう考えた。

かつて、学ぶ機会を失ったことは、もしかしたら「幸い」だったのではないか。なぜなら、学び直す今この瞬間にしか得られない「わかる」という体験があるからだ。


私のように、学ばずに社会に出た者は多い。だが、傘寿にして高校一年生、というのはなかなかいないはずだ。そう考えると、これは実に面白い。だからこそ、今だからこそ、学ぶ意義を若者に伝えられるのではないか──。

すでに社会経験を積んできた証を彼ら示しながら、教育機会の貴重な価値を語れる。それが当たり前の世代に、何らかの警鐘を鳴らせる。これが、できるのはある種の特権ではないか。

この思いが、新しい発見となり、学ぶことへの弾みとなった。今日のモーニングタイムは、そんな静かな決意が生まれた。


補注:

(*1)この有名なエピソードは、イギリスの登山家ジョージ・マロリー(George Mallory)によるもの。エベレスト登頂への挑戦を繰り返していた彼が、「なぜ山に登るのか?」と問われ、「Because it’s there.(そこに山があるから)」と答えた。この簡潔で哲学的な一言は、以来、挑戦の象徴として語り継がれている。

5月1日良い天気に恵まれ、13000歩ほど歩いた記録


社会人教育と生涯教育の時代

追記250502

生涯学習はなぜ望まれるか?


👉 小中高で学んだ知識は、時代と共にブラシアップしなければ忘れたり、時代遅れになってゆく。時にはそれまでが間違っていた、となることもある。そこで、健康のために基礎体力を維持するのと同じように生きている限り知識ベースでも絶えず知識のアップデートを継続し、社会活動のために、国際人としても視野を広めておくべきである。それは、現在の生きている立ち位置・状況を把握するためにも、進むべき方向を修正したり、見定めるためにも必要な態度と言えるだろう。以下に生涯教育機関の成り立ちや、歴史的経緯をリサーチした。

生涯教育についての国際的共有情報

ユネスコの生涯教育論 

登録/更新年月日:2006(平成18)年1月27日

生涯教育と生涯学習
lifelong education and lifelong leaning
参考検索キーワード : 臨時教育審議会、ユネスコ総会、生涯学習体系、生涯学習社会の教育・学習システム、成人教育の発展に関する勧告、山本恒夫


1.生涯教育の概念


【定義】
 生涯教育とは、個人、集団、社会の向上のために、生涯を通じて人間的、社会的、職業的な発達を図る営みのことである。
【説明】
生涯学習は、個人の側で行われる考え方や行動様式の変容の過程であるのに対し、生涯教育は、その個人に働きかけ、変容の中の発達を助長する営みである。生涯教育はlifelong educationの訳であるが、英語圏の場合、lifelong educationは1920年代にすでに用いられており、1940年代後半には生涯教育の主な考え方がほぼ出揃っている

 その後(第2次大戦後)の新しいことといえば、生涯教育をただ単に教えることだけを意味するものととらえるだけではなく、したがって、生涯学習を問題にする場合には学習者の側の特性等に関心を寄せることになるが、生涯教育を問題にする場合には、生涯学習を推進、振興、援助、支援する側の指導者、教育の内容・方法、教材、施設、組織、制度、行財政等に関心が寄せられる。

たとえば、人々の生涯学習への関心を顕在化させたり、学習能力を高めたり、生涯学習の条件整備をするということなどがそうである。

 したがって、生涯学習を問題にする場合には学習者の側の特性等に関心を寄せることになるが、生涯教育を問題にする場合には、生涯学習を推進、振興、援助、支援する側の指導者、教育の内容・方法、教材、施設、組織、制度、行財政等に関心が寄せられる。

 生涯教育についても、生涯学習と同じように、ある統一的な定義があるわけではない。我が国では生涯教育という言葉をあまり使わなくなったが、用語として生涯学習のみを使うとした臨時教育審議会答申(昭60~62)が出されるまでは、むしろ生涯教育の方が多く使われていた。最近は、生涯教育にあたることを、生涯学習の推進、振興、援助、支援のような言い方で表すことが多い。


 生涯教育の用語法をみると、ユートピア的な考え方を表す場合と、より抽象度の低いガイドラインを表す場合とがある。前者は人間が絶えず成長(心理学者や哲学者のいう成長)していくことを前提とし、その成長過程のすべてにわたって成長を援助することが生涯教育だとする。ユートピア論にもさまざまなものがあるが、生涯教育は人や社会をより人間らしくすることを援助するという考え方が広く受け入れられている。


 一方、生涯教育がガイドラインを表すという場合のガイドラインとは、生涯教育についての理念に沿って教育の発展を図るためのそれである。これは、あらゆる年齢での学習を可能にするための組織、行政、学習機会、方法、教材等をどうしたらよいかということについての一連の措置の仕方や基準であり、教育を生涯教育の考え方で再編成するためのガイドラインである。たとえば、学校教育で生涯にわたって学習することに意欲を持てるようにするということや、生涯を通じての学習能力を培うというのは一種のガイドラインであり、あらゆる年齢での学習を可能にするための一連の措置の1つということになる。


 生涯教育は一般用語ないしは包括的な概念であり、すべての教育理論や教育実践を含んでいるから、何ら新しいものを内包していないとする批判がある。それに対しては、この批判は表面的で、生涯教育は社会改革、生活水準の高度化、職業技術の向上、仕事の高能率化、余暇活動の増大等と結びついて、教育再編成の計画、実行、評価のガイドラインを提供しうるという反論もある。
(ユネスコの生涯教育論については、中項目「ユネスコの生涯教育」を参照。)

参考文献
・山本恒夫『21世紀生涯学習への招待』協同出版、平成13(2001)年
・井内慶次郎監修、山本恒夫・浅井経子編著『生涯学習[答申]ハンドブック-目標、計画づくり、実践への活用』文憲堂、平成16(2004)年


追記250502-

[関連情報]ユネスコの起源

ユネスコの設立には、以下のような著名人が関与しました。特に、その前身組織からユネスコ創設までの過程で活躍した知識人や政治家が重要な役割を果たしています。

太平洋戦争で広島・長崎に原子爆弾が投下され、人類の滅亡に瀕するほどの犠牲が生じました。その破滅に追いやる発明には多くの科学者が関与しました。ユネスコの設立には、科学者アインシュタイン、キュリー夫人、政治家(ブルム)、教育者(新渡戸稲造)など、多様な分野の偉人が関わりました。特に日本の民間運動は、国際復帰の礎となった点で特筆されます。

1. 国際知的協力委員会(ICIC)の関係者

ユネスコの前身となる国際連盟の「国際知的協力委員会(ICIC)」には、以下のような世界的な知識人が参加していました:

  • アルベルト・アインシュタイン(ドイツ・物理学者)
  • マリ・キュリー(フランス・物理学者、キュリー夫人)
  • 新渡戸稲造(日本・国際連盟事務局次長、ICICの事務担当)

2. ユネスコ憲章採択と設立会議の主要人物

1945年のロンドン会議でユネスコ憲章が採択される際、以下の人物が中心的に関与しました:

  • ジュリアン・ハックスレー(イギリス・生物学者)ユネスコ初代事務局長(1946–1948)、科学と教育の国際協力を推進。
  • レオン・ブルム(フランス・元首相)、ロンドン会議でフランス代表として参加し、ユネスコの理念形成に貢献。
  • アーチボルド・マクリーシュ(アメリカ・詩人・政治家)、ユネスコ憲章の起草に影響を与えた。

3. 日本の関与

日本の民間レベルでは、戦後間もなくユネスコ運動を主導した人物がいます:

  • 土居光知(東北大学教授)
  • 桑原武夫(東北大学助教授)
  • 上田康一(外務省連絡官)
  • 1947年、世界初の民間ユネスコ協力会を仙台で設立。
  • 湯浅八郎(同志社大学総長)
  • 西田天香(一燈園創設者)
  • 京都でユネスコ協力会を発足させ、日本の加盟運動を推進。

4. その他の影響力のある人物

  • ヴィットリーノ・ヴェロネーゼ(イタリア・第4代事務局長)
  • 教育と文化の国際協力を強化。
  • 松浦晃一郎(日本・第8代事務局長)
  • 1999–2009年在任。アジア初の事務局長として改革を主導。