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猫との暮らしと依存
気がつけば、もう二年以上「きなこ」と暮らしている。最初は牙を剥いて威嚇するほど警戒心が強かったのに、今では足を枕にして昼寝をするほど身近な存在になった。依存するように寄り添う姿は愛らしく、私はそれを受け入れている。猫と人間の間に、自然と心地よい依存関係が育っているのだと実感する。
依存が生態を変える
自力で餌を獲らなくなった猫は、人間に依存して生きている。このような人間との関係が長〜く歴史に溶け込むことになれば、やがては生態そのものが変わっていくかもしれない。依存は弱さではなく、時に生存戦略の一つなのだ。私たち人間の社会においても、誰かに頼り、誰かに支えられて生きることは避けられない。
深海魚の極端な依存
この連想から思い浮かぶのが、深海に棲むチョウチンアンコウである。メスが数十センチに成長するのに対し、オスはわずか数センチしかない。オスはメスに噛みつき、その体と一体化して一生を終える。自らの器官を退化させ、繁殖だけを担う存在となる。これは依存の極致であり、深海という過酷な環境に適応するための究極の形である。
猫と人間への投影
もちろん猫と人間の関係は、アンコウのように極端ではない。しかし「依存」という視点で見つめ直すと、そこには不思議な共通点がある。依存は一方的な従属ではなく、安心や喜びを分け合う「共生」のかたちでもあるのだ。きなこが足元で眠る姿を眺めながら、私はその事実をしみじみと感じている。
老いと依存の問いかけ
高齢になればなるほど、私たち自身もまた誰かに頼らざるを得ない場面が増えていくに違いない。こうして猫との共生を考えてみると、依存は本当は恥ではなく、生き抜くための自然な営みかもしれない、とも考えられる。そうであるとしたら、老いにおける依存もまた、新しい共生の形として受け入れる形があってもよいのではないか。――夏の夜の戯言であろうか。
2025/8/29掲載