2.満洲へ
日本の神戸港から船へ物資を積み込み、10月7日朝、大連へ胸躍らせながら着くと、関東軍の大尉などが出向えてくれ、満鉄の広軌鉄道に乗り換え9日朝、奉天の関東軍によってあらかじめ準備されていた武器弾薬、軍服、防寒具の支給を受け完全武装をする。
その後貨物船に乗り、佳木斮港へ到着したのだが、なんと、この地の匪賊の襲撃を受け死傷者が数人でたため、上陸は不利と判断して船内に待機していたが、翌日、日本の関東軍が準備してくれた仮兵舎に入り「屯懇隊ここにあり」の威力を誇示した。
北満の寒さは殊の外厳しいのと、開拓地への入植は匪賊の横行による治安問題があり、来春までできなかった。
昭和8年2月から150人の先発隊が早朝から入植地へ入り、厳寒の零下30度の中で本体の受け入れ準備作業に着手する。しかしながら寒さと匪賊に備えての本隊受け入れ準備は大変な苦労であった。
4月1日、本隊が現地へ入植を完了したので鍬入れ式を行い、弥栄村(いやさかむら)用地を12部落の基礎造りをした。そして一斉に共同家屋(満洲式長屋)の建築にかかり、更に不随した物置、倉庫、畜舎なども徐々に出来上がり、8月15日には東本願寺からの着任を得て「弥栄本願寺」を開設して、精神的なよりどころとして村の中心の丘に弥栄神社を建立し、南山に忠魂碑を建立した。(続く)
作者 杉本久(原文)