謎解きシリーズ:「記憶と自己同一性」第1回:細胞は入れ替わるのに、なぜ記憶は残るのか?

第1回:細胞は入れ替わるのに、なぜ記憶は残るのか?

― 記憶の生物学的基盤(ニューロンとシナプス)

私たちの身体は、常に新しく生まれ変わっている。

皮膚の細胞はおよそ1か月で入れ替わり、血液は3〜4か月、骨でさえ10年もすればほとんどが新しいものに入れ替わっている。

にもかかわらず、私たちは昨日の出来事を覚えており、幼少期の記憶さえも持ち続けている。

いったい、記憶はどこに宿っているのだろうか。

実は脳の神経細胞は例外で入れ替わらない。

体のほとんどの細胞が代謝で更新される一方、脳の神経細胞(ニューロン)は生涯ほぼそのまま残る。

特に大脳皮質や海馬など、記憶を司る領域の細胞は、胎児期に大量に形成されて以降ほとんど新しい神経細胞は形成されず、そのままである。

つまり、記憶を保持する“配線”そのものが、一生を通じて維持されているのである。

記憶は「細胞そのもの」ではなく「つながり方」に宿る。細胞なら、常に流れるように新しい細胞に置き換わっているので物質としては消え去る。

現在わかっていることは、記憶とは「ニューロン同士がどのように結びついているか──そのパターン」であるということである。

この結びつき(シナプス結合)は、経験や学習によって強化・変化し、頻繁に使われる回路はより強固に結びつく。

これを、専門用語では「シナプス可塑性」と呼び、人間の記憶の基盤となっている。

新陳代謝が起こって細胞は入れ替わっても、「構造」は維持される。

たんぱく質や細胞膜は日々作り替えられるが、神経回路の「形」は保たれるように調整されている。

たとえば家を建て替えるとしても、間取りも柱の位置も同じなら、そこに住む感覚は変わらない──それと同じ理屈である。

記憶が失われるとき、それは「構造の崩壊」である。

アルツハイマー病などで神経細胞やシナプスが破壊されると、その配線パターンが壊れて記憶が消える。一度壊れたパターンは戻らない。

つまり、記憶とは物質ではなく、秩序=構造としての情報なのである。

私という存在の「連続性」も、構造によって支えられている。

細胞が変わっても、私が「私」と感じるのは、脳の神経ネットワークがその構造を保ち続けているからだ。

まるで、流れる水が変わっても、川の形が同じであるように。

まとめ

  • 体の細胞は入れ替わるが、脳の神経細胞はほとんど入れ替わらない。
  • 記憶は細胞そのものではなく、神経同士のつながり方(シナプス)に保存される。
  • 代謝で分子が置き換わっても、構造が保たれるため記憶は維持される。
  • 記憶とは「情報の構造」であり、物質的存在ではない。

付記:哲学的視点から

もし身体がすべて入れ替わっても記憶と人格が続くなら、「私」という存在とは肉体ではなく、情報構造そのものといえる。

それはAIや脳科学の議論にもつながる深いテーマであり、「生きるとは何か」「死とは何か」を考える上での大きなヒントになる。謎は尽きない。続く。